YouTube で青葉城恋唄 さとう宗幸. https://www.youtube.com/watch?v=3VlOygdxoI4
の楽曲の「背景」の映像に札幌時計台があることが、コメント欄で、激しくつっこみを受けている。
奇を衒う本ブログは、青葉城恋歌と札幌時計台を繋 [つな] いでみた。
札幌時計台。 おいらの本籍からほんの先の、ぬっぽんさんだいがっかりの「名所」。
元来、あのクラーク博士 (すごい、山師=ペテン師=いか@さま野郎だったらしい)の札幌農学校の建物だ。
さて、この札幌時計台が、日帝時代、ずっと札幌農学校だとすると、「仙台」とつながる。
すなわち、「札幌農学校」の沿革として、一時、「札幌農学校」は東北帝国大学の傘下に入っていたのだ。
もちろん、その頃、北海道帝国大学なぞないのだ。
調べれば分かる公知情報だが、東北帝国大学農学部の発足は札幌である。
札幌農学校が、東北帝国大学農学部農科大学となったのだ。
1907年(明治40年)6月22日の勅令によって、東北帝国大学を設置し、札幌農学校を東北帝国大学農科大学とすることが公布された。(wiki)
(だから、東北帝国大学「農学部」の発足は、雨宮、ではないのだ。)
したがって、青葉城恋唄と札幌時計台は、まんざら、関係がないわけではない。
■ 今日で終わりの文科大臣の最後の仕事= 札幌と仙台の「日帝」時代から存続する農学部を「叱咤激励」!
おまいが、がんばれよ!、まつの!