いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

青葉城恋歌と札幌時計台、あるいは、今日で終わりの文科大臣の最後の仕事

2017年08月02日 20時04分20秒 | 札幌

YouTube で青葉城恋唄 さとう宗幸.  https://www.youtube.com/watch?v=3VlOygdxoI4

の楽曲の「背景」の映像に札幌時計台があることが、コメント欄で、激しくつっこみを受けている。

奇を衒う本ブログは、青葉城恋歌と札幌時計台を繋 [つな] いでみた。

札幌時計台。 おいらの本籍からほんの先の、ぬっぽんさんだいがっかりの「名所」。

元来、あのクラーク博士 (すごい、山師=ペテン師=いか@さま野郎だったらしい)の札幌農学校の建物だ。

さて、この札幌時計台が、日帝時代、ずっと札幌農学校だとすると、「仙台」とつながる。

すなわち、「札幌農学校」の沿革として、一時、「札幌農学校」は東北帝国大学の傘下に入っていたのだ。

もちろん、その頃、北海道帝国大学なぞないのだ。

調べれば分かる公知情報だが、東北帝国大学農学部の発足は札幌である。

札幌農学校が、東北帝国大学農学部農科大学となったのだ。

1907年(明治40年)6月22日の勅令によって、東北帝国大学を設置し、札幌農学校を東北帝国大学農科大学とすることが公布された。(wiki)

    (だから、東北帝国大学「農学部」の発足は、雨宮、ではないのだ。)

したがって、青葉城恋唄と札幌時計台は、まんざら、関係がないわけではない。

■ 今日で終わりの文科大臣の最後の仕事= 札幌と仙台の「日帝」時代から存続する農学部を「叱咤激励」!

おまいが、がんばれよ!、まつの!