いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

記憶; カナリヤの前でびびった

2015年10月14日 20時35分56秒 | その他

おいらが生まれて初めてびびった経験の記憶がある。

おいらが今もなお保有している記憶の中で一番古いびびった経験のこと。

おそらく、4歳以前。幼稚園に入る前の記憶。

カナリヤの前で母親とはぐれて、びびった。

この記憶について誰とも、一番の当事者である親とも話したことがなかった。

とにかく、びびったおいらには、赤いカナリヤが鮮烈に焼き付いた、と今まで思ってきた。

今思えば、赤いカナリアが脳に鮮烈に焼き付いた背景には、童謡、「ゆりかごのうた」があると最近気づいた。まずは、「~♪~ カナリヤ ~♪~」という音があり、それをおいらの脳は受容し、この赤い模様があの「カナリヤ」と結びついたのだろう、と推定している。

おいらの記憶は、はぐれて、びびった、でも、すぐ回収された。回収されるまでの時間は短かった。だから、そんなに遠くに行けるほど迷子になったわけでもな いはず。すなわち、びびった瞬間に赤いカナリヤは視界に入ったとは考えずらい。でも、カナリヤの前でびびった記憶は鮮烈に持ち続けてきた。

先日、参拝した。 この赤いカナリヤを見るには、店の反対側の通りに行かないと視界に入らないのだ。

赤いカナリアが鮮烈な記憶は、このはぐれた経験を経て、何度かこのカナリヤに行くたびに、赤い鳥が脳髄に刷り込まれていったのかもしれない。

でも、あのびびった「実感」は、結構、のちのちまであった。今も、指数関数的に減衰し薄れつつあるが、ある。

札幌カナリヤは、六代続いた札幌っ子の実に99.9728606%が知っている老舗(いか@さまデータリサーチ調べ)。

Google[札幌 カナリヤ]

今じゃ、お支那さま相手にも商売して存続しているらしい。中山ミシンもなくなったとのことなので、末永く、がんばってほしい。