いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第37週

2015年07月11日 20時49分45秒 | 草花野菜

■ 今週の看猫

 

■ 今週の「経年確認」

おかげさまで、愚記事(軍用地専門)の広告の元気な姿を6年ぶりに拝見。

  ⇒   https://twitter.com/41rn/status/618020498635558917

毎年更新しているということは、毎年ある日に変わるのだろう。 誕生日があるのだ。誕生日はいつなんだろう?

■ 今週の狂舞のゆくえ、中国の株式取引停止

中国、株式取引停止 (google)

マルクス、『資本論』、第一章 商品、第四節、 商品の物神的性格とその秘密、はおもしろい。 

支那と机が踊り出す (愚記事)、が出てくるのもこの節だ。そして、この節がなぜ『資本論』にあるかも、よく考えるとわからない。もし、この節を『資本論』から削除しても問題ないという人もいるかもしれない。今ネットでみたら、どうやら宇野弘蔵はそうらしい(ソース:宇野弘蔵の物神性論批判)。

西部邁にいわせれば、この節は挿入節ではあるが、この節こそ『資本論』の胆であり、"「資本主義を行っている人間たちはビョーキだぜ!」とマルクスは言っている重要な部分":⇒このYouTubeの3分目あたり。 「マルクスの『資本論って、おもしろい、変な本でねぇ」、「人類は病気だぜ」

別に日本も資本主義なのだから、お支那さまだけをビョーキだぜとはいわない。でも、お支那さまのおもしろさは、共産党が支配している国なのだ。もっとも、中国の「市場」も「資本主義」もインチキなのだ。それが顕わになったのだ、と多くの人はいうだろう。そして、そうなのだろう。それでも、文化大革命終焉後、改革開放政策で「経済成長」を爆進してきた中国はある種の資本主義なのだ。そして、やはり、ビョーキに違いない。

中国資本主義のおもしろさは、専制とアナーキズムである。専制は中国共産党が担い、アナーキズムは市場経済が担ってきた。その専制とアナーキズムの融合の象徴がこれだ;


  かつての「走資派」非難者も、なんの因果か、今じゃ資本の手先 

中国、株式取引停止って、アナーキズムの暴走におびえた中国共産党の反動的政策なのだ。

 マルクス、『資本論』、第一章 商品、第四節、 商品の物神的性格にある;

周期的な革命によってのみ自己を貫徹しうる法則を、人は何と考えるべきであるか?それは、まさに、関与者たちの無意識にもとづく自然法則である

周期的な革命=恐慌への対応が今度の中国共産党による株式停止措置だ。 そして、それはその場しのぎの弥縫策におわるであろう、なぜなら、周期的な革命=恐慌は「自然法則」であるから。踊り出したお支那さまには一休みが必要なのだ。そして、泳ぐのをやめたら死んじゃうらしいマグロみたいに、踊りをやめると、おそらく、死ぬのだろうか?

でも、中国経済が崩壊したって、中国共産党の専制支配が崩壊したって、お支那さまは実は困らないのかもしれない。

なぜなら、アナーキズムがあるのだから。