いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

今日の看猫 2012/4/15 、挙手する うめちゃん。

2012年04月15日 18時25分23秒 | ねこ


挙手する うめちゃん。(種明かしは最下段)

■今日のおすすめブログ;

今年度から、修士課程の大学院生を指導しています。僕のプロジェクトの延長線上にある仕事をやるので、世話をして欲しいとボスに頼まれました。

僕はポスドクだし実験を教える程度のことかと最初は思っていました(1年契約の繰り返しなので、教育義務はない)。ところがどっこい、降ってきたのは曖昧な研究の方向性だけ。プロジェクトマネジメントは完全に丸投げでした。

恐るべし、東大生。はぁ、先が思いやられます。自信満々なのはいいのですが、、、。まぁ、頑張って結果で証明してもらうのみですね。

出典:記事・「学生ってやつは、、。」、ブログ・"基礎研究者のブログ" 様

▼実況中継性の観点からも興味津々。続報を期待したのいのですが。

この状況はなかなか意味深長です。

なぜなら、典型的ぬっぽん的!20世紀的!昭和的!の影を受けた風景だからです。

もっとも、20世紀的!昭和的!には「がきんちょの子守役」のポスドクはそんなにいなかったので、

ポスドク1万人計画後時代+典型的ぬっぽん的!20世紀的!昭和的!の風景、とでも言えばいいのでしょうか?

おいらは直接立ち会ったことはないのですが、伝聞では、米国の博士号取得過程は、

博士号取得のための研究計画の立案と、その研究計画案の進捗を管理する正副あわせた指導教官群による公式認定で、スタート!らしい。

つまり、米国の博士号取得過程は、博士号取得のためのゴール(達成すべき学術的内容)はスタート時に決められれる。

これに対し、典型的ぬっぽん的!20世紀的!昭和的!の博士号取得は、

指導教授さまの一存。(副査の教授もつくが、実際は"名ばかり")

典型的ぬっぽん的!20世紀的!昭和的!の博士課程での不本意中退者の大半(?)は、指導教授さまとの折り合いがつかず去っていった、

というのがおいらの見聞した風景。

(もっとも、最多数のグループは学位取得前に助手の口に務まった人たちですが。)

つまり、典型的ぬっぽん的!20世紀的!昭和的!の博士号取得は、指導教官の"選定"が何より肝心と先輩たちから教えられたのであった。

大学教授さまの何割かを占める「人格障害者」さまを"選定"すると、とんでもないことになると。

大学院重点化以降のぬっぽんの大学院は暗に米国の博士号取得過程を見習うみたい雰囲気を出して拡充しているが、

実態は、上記ブログ・"基礎研究者のブログ" 様にあるように、指導教授さまの一存なんだろう。


手を挙げているのではなく、爪がカーテンにひっかかって、腕を持っていかれているのだ。⇒Google