いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

今日の看猫 2012/4/11、あるいは、「日本には原発を管理する資格がない」

2012年04月11日 19時37分30秒 | ねこ

     ―春に喜ぶ うめちゃん ―

■ 「日本には原発を管理する資格がない」

今週の週刊東洋経済(Amazon)をみてたら、あった。原田泰、「日本には原発を管理する資格がない」。

●結論はおいらと同じだ。

おいらはかつて、こう書いた;

でも、ぬっぽんずんは、原発を再稼働させちゃだめなんだよ。

理由は、バカだから。

原発管理をできないどころか、議事録も書けない、残せない。 (愚記事:バカは使うな!

結論はおいらと同じだが、「日本には原発を管理する資格がない」の原田泰さんの視点と論理だての芸風は秀逸。

■原田さんが「イヤミ」を送るのは、民間事故調。 あの竹槍・北澤センセが委員長です。

彼らが何の資格をもって事故を検証できるのか、という議論もあるようだが、日本の知的エリートが結集した委員会であることは確かである。

と述べる。そんな「日本の知的エリートが結集した委員」さまはこういう見識を持つ人々だと原田さんは指摘する;

日本の知的エリートは、首相が大声を出して部下を叱責すると、部下は委縮して正しい判断ができない」。

●原田泰さんは;

 多くの文明は、「王の権威よりも神や古代の聖人が上にある」という感覚を得たが、「論理の展開が王の権威よりも上にある」という感覚を得たのはギリシャ文明だけである。だからこそ、ギリシャ文明を受け継ぐヨーロッパが、単なる実用性だけにとどまらない事物の法則を明らかにすることができた。

といっています。

その成因を無視した文明・文明を安易にパクッて、ぬっぽん列島で安直に使うと悲劇るって、問題だ。

漱石センセは100年も前に指摘している; 「亡びるね」。

■漱石センセと原田さんは陽に暗に、「土人」のクニはまぬけな結果になるだろうと言っているのです。

ところで、原発が再稼働しないとぬっぽんは経済的にうまくいかず、ビンボーになってしまう!という警告に対し、

おいらは、あっさり、そうでがす、と肯じる(がえんじる)。

ビンボーになったらえーやん。 バカはビンボーを宜しく甘んじるべし。

されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるものあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。

と誰かが言ったらしい。そして、続けて言った;

その次第甚だ明らかなり。「実語教」に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来る ものなり。また世の中にむつかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむつかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人とい う。

智なき者・愚人は、原発にさわってはいけない! おろかなる人貧しきもあり愚人、身分軽き人!

そして、おろかなる人貧しきもあり、愚人、身分軽き人がやってることといえば、その「誰か」の言に耳を傾けることではなく、肖像を自分たちが大好きな札(ふだ)に刷り込むことだ。

やはり、学問は大切なのだ。 

ってか、まずは諭吉、漱石だ。100年たってもまぬけなおいらどものために。

やはり、古典も大切なのだ。