いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

今日の看猫 2011/2/1

2011年02月01日 20時28分02秒 | ねこ


■人が住んでない街の名;つくば市長峰



先週、つくばの中心部に行った。3年前に"郊外"に引っ込んだので、(かつて11年間住んでいた)つくば中央部には毎週-隔週行くくらいとなっていた。そして、ぎょっとした。西大通りを走っていると、気象研の鉄塔がなくなっているではないか!びっくりした。

つくば市に多少なじみのあるひとでも、あるいはつくば住民でも、つくば市長峰という地名は知らないのではないだろうか。長峰。洞峰公園の南側の区域。西大通り沿い。気象研のあるところ。気象研の敷地と長峰が一致しているので、住所として、当事者に気象研以外の人はなじみがなくて当然。居住も認められない。住人ゼロの区域なのだ。

今となってはつくば市、過渡期は筑波研究学園都市となる地域で、一番のちの、つまり今の研究学園的要素に近いのがこの気象観測所。大正9年(1920年)からあるらしい(気象庁・高層気象研)。人造改変沼・洞峰池ができる前から、あるのだ。

   
昭和35年(1960年)の地図。          昭和47年(1972年)の地図。
西大通りもひったくれもない時代。       西大通りの予定線が破線で描かれている。

つまり、昔「松野木池」というのがあって、埋め立てられ、西大通りと洞峰公園ができたのさ。


昨夏、イーアスからの展望画像。気象研の鉄塔が写っていた。



さようなら、つくばタワー

学園都市のシンボル、解体間近 つくばの気象観測用鉄塔#1

そして、最期に人柱 (解体中の気象観測塔から50メートル転落 作業の男性死亡 つくば#2)
[この人柱氏は我らが福生から来たのだ(#2の記事より)]
((つくば―福生コネクションに関する愚記事))

#1
学園都市のシンボル、解体間近 つくばの気象観測用鉄塔

2011年1月22日
写真

解体が進む気象研究所の鉄塔=1月20日、つくば市
写真

解体前の気象研究所の鉄塔=2010年3月22日、つくば市

 筑波研究学園都市のランドマーク的存在だった気象庁気象研究所の気象観測用鉄塔(つくば市長峰)の解体が間もなく終わる。昨年10月に本格的な作業が始まり、1月中にも鉄塔部分が姿を消す見込みだ。

 鉄塔は学園都市が整備され始めた1975年に建設された。高さ213メートル。塔頂部までの六つの高さの位置に、それぞれ風向・風速計や温度計、湿度計などが取り付けられていた。

 解体される前は、学園都市で最も高い建物で、頂上からは筑波山や霞ケ浦、遠くは富士山を一望できたという。

 解体を担当する国土交通省関東地方整備局によると、現在、鉄塔は4分の3が取り壊され、高さは50メートルほどになった。本体は1月中にも解体されるといい、基盤部分を含めたすべての作業が終わるのは、3月中旬の予定だ。(今直也)

#2

解体中の気象観測塔から50メートル転落 作業の男性死亡 つくば
2011.1.22 19:51

 22日午後1時50分ごろ、茨城県つくば市長峰で、解体作業中の気象庁気象研究所の観測用鉄塔から東京都福生市志茂、会社員、森田成年さん(43)が転落、頭などを強く打ち死亡した。ほぼ即死状態だったとみられる。

 つくば中央署の調べでは、森田さんは同僚6人と解体作業に当たり、ガスバーナーを使って鉄塔柱を焼き切る作業を行っていたという。森田さんら3人は地上約50メートルの地点に登っていた。森田さんはナイロン製の命綱(直径1・5センチ)を付けていたが、切れていたという。同署で事故原因を調べている。

 鉄塔は筑波研究学園都市が整備され始めた昭和50年に建設され、学園都市のランドマーク的存在だった。高さは213メートルあったが、昨年7月下旬に解体作業が始まり、事故当時の高さは56メートルだった。今月末に鉄塔部分の解体を終える予定だったという。