いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

恋のカケンヒ

2011年02月20日 19時54分49秒 | その他


全国5万2千483人のjun-junセンゼニアのみなさん、お久しぶりです。われらが猫猫センセに関する(とっくの昔から公開されている)公知情報です。

カケンヒ=科研費。科学研究費補助金の略(wiki)。

ねた元リンク⇒科学研究費補助金データベース、 日本文学における「男の恋」の変遷 科研費で「恋」の研究なんて粋なのか野暮なのかよくわかりませんが、きわめて稀ではあるのでしょう。研究費100万円なり。



上画像から抜き書き;外国との比較で言えば、日本文学に描かれた恋愛は、平安朝末期に西欧的であり、徳川期後期に中国的であった。近代に入ってからは、急激な西洋思想の流入とともに、恋愛の形態も西欧のそれを模倣するようになり、徳川期には見られなかった「男の恋」が復活してくることになる。 (強調いか@)

だそうです。「西欧的」、「中国的」ってすごいですね。そのおおざっぱさ加減。フランク・ザッパの影響なのかなぁ。「西欧的」、「中国的」って、いかなる科学的、学術的内容を含有した概念なんでしょう?「西欧」にだって、「中国」にだって「恋」の歴史的変遷というものがあったでしょうに。歴史上一貫して同一だったのでしょうか?

やはり、奥が深くて近寄れないぞ!比較文学

●↓ 「中国的」恋???

 (愚記事;中国出張② 毛沢東 と 江青 。お「宝」掘り出した。

ちなみに、2010-12-04 「現代文学論争」補遺2 で、猫猫センセは「中国」という言葉を使わず、シナと称している。徳川期後期に中華を称した国なぞなかったのだからシナで当然である。それでは、科研費報告書ではどうしちゃったんだろうか?"検閲"でもあったんだべか? 

▼ところで、最近、「中華人民共和国」は日本語である!という八幡和郎の指摘で改めて気づいた。republicだのなんだのという「西洋」の諸概念はわれらが"倭人"が「西洋」の言葉を「中国」の言葉に変換したのだ。偉くなったなぁ、倭人ども

ありがとう! 西周ら維新期倭人学者たち!

見てください、白石センセ! ぼくたちはこんなに偉くなりました!

そして、おいらは今気づいたよ。倭人と偉人が似てるって。魏志倭人伝って、誤植だったに違いない。

恋のかけひき/ハミルトン・ジョー・フランク&レイノルズ Don't Pull Your Love