いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

十六大角豆

2010年08月17日 04時50分30秒 | 筑波山麓

十六大角豆(じゅうろくささげ、wiki)。長いんです。


収穫された十六大角豆

大角豆はどう読むか?

茨城(南部限定?)では;


日本主流派は、ささげ(wiki)、というらしい。ササギは、ササゲの訛りという説が大方のようだ。札幌でもササギと発音するようだ(ソース)。ただ、札幌では、モロッコインゲンをササギという話もある(ソース)。このモロッコインゲン=ササギは、お煮しめとよばれる煮物として夏場によく食べた。お盆のお墓参りに持っていくのだった。

大角豆交差点の歩道橋に初めて登った

ササギかササゲか?以前にオオカドマメって読んだだよ、おいら。おいらが初めてつくばに来たのは平成になって間もなく。仙台からみんなで車で行った。今から思うと国道6号線で南下、学園東大通り入口の交差点から東大通りに入った。ナビをするわけでもないが、車外の風景と地図の地名を照らし合わせていた。運転者と今どこを走っているか確かめていた。オオカドマメって読んだことは記憶がある。

この大角豆交差点は筑波学園都市でも最古参なんだろうな。錆びれているよ。"つくば市"ができるずーっと前からあるんだよ、たぶん1970年代中頃。今はすっかり便数が減ったが、東京駅から高速バスでつくばに行くのが主流だった。そのとき、常磐道を桜土浦出口で降りて、この大角豆交差点を右折して学園地区に入る。少しして最初の停留所、並木一丁目がある。ちなみに桜土浦出口の桜土浦の由来は、常磐道開通当時(1981年)の桜村(学園地区の舞台)と土浦市の両方に花を持たせて名付けたと推定される。最近の人はなにがどうして"桜"なのか?わからないだろう。いずれにせよ「つくば」がなかったころである("筑波"町は筑波山直下にあった)。つくば市発足は1987年。ぎりぎり昭和か。

つくばに来て10年以上経って、初めて大角豆交差点の歩道橋に登った(暇だな、おいら)。