いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

あこがれ

2006年05月15日 21時28分17秒 | その他
 -人間は、他人の欲望に欲望する。- ヘーゲル


まだまだ咲いてるイヌノフグリ、5月15日

暇なのでだらしなく考えたことは、あこがれ。

あこがれ、を漢字変換すると憧れと憬れがあった。

漢和辞典を引くと、憧れの「憧」の字しか載っていなかった。

おいらの心にないもののひとつが「あこがれ」かなーと気づいた。

なぜそんなことを考えたかというと、昨晩テレビで、ちらっとみた、中村江里子。

辛口、でもうがった、ブログはこちら。でも、写真は、インド美人ぽくて、よい、とむしろおいらは思ったよ。

女性であこがれる人が多いらしい。 中村江里子 憧れ

それで、ひとがひとにあこがれるとはどういうことだろうと、だらしなく、考える。

ひとにあこがれるとは、自分がそうなりたい人物を対象化して、それを感受・認識し、

そのなりたい人物のようになるよう行動すること、といえそうである。

そんでもって、おいらにはあこがれの心がないなあと気づいたしだい。

斎藤孝センセは、「生きる力とは、あこがれる力ではないか」とまでおっしゃっている。

やっぱ、おいらに元気がないのはこれか。でも、誰かにあこがれて、follow-upするなんて、まっぴらごめん。

 「発酵するルサンチマンを蒸留して、死の谷を綱渡り。」という、誰もあこがれない、あたらすい生き方モデル(笑)をつくるなりよ。

ネットを叩いてみると、あこがれ力なんてのあって、「あこがれ力”を身につけることは、カッコイイ生き方をするために欠かせない大事なこと です。」だそうです。

おいらは、あこがれというより、<「嫌いなもの」が好き>だったり、自分だったら絶えられない境遇の御仁に強く惹かれるんです。なぜだか知りません。

と、「あこがれ」ということで、~♪~大きな声であなたが笑ったら、なーぜか、私もたのしくなる。不思議ね~♪~と鼻歌でうたったり、ピアノソロのところを口笛で吹きながら、だらしなく、「あこがれ、憧れ、憬れ」だのをググッていたら、うん? ちゃうな、と気づき。 確認。

このブログの記事の落ちは、笑えないくらいおばか・ばかばか。