いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

2006年01月22日 12時27分01秒 | 


■昨日は終日雪。一日中曇天に降雪とは北国のようだった。関東の冬は乾燥して晴れが続くことが特徴。 今朝は晴れ。昨日の積雪が映える。 

■子供のころはよく雪かきをしたものだ。

■一面雪なので、西部邁の『友情』について。

この本は西部邁が中学、高校での友達との終生にわたる交流を描いたものである。その友達は、西部同様、貧乏で秀才であり、その貧困と頭が良すぎるせいで世の中と折り合いがつかず、北海道で一番の秀才高校を中退して、暴力団員となる。一方、西部は、ご承知の通り、東大に行って「左翼破壊活動」(笑)に身を委ねる。つまり「前科者」同士の犯罪実行以前の出会いとその後のお話。その友達は暴力団の幹部になり札幌でかなり活躍したらしい。つまり、この二人、「近代日本の<貧乏農場>」たる北海道という辺境において、貧困の境遇にあって、頭脳が明晰であったため学校制度に参入し、たぶんなんとか社会に所を得ようとしたのだろうが、結局「世の中」と折り合いがつかず、アウトロー/マージナルマン(辺境人)あるいはパーリアインテリとしての生きざる得なかった。その物語である。物語そのものは、ねたばれにもなるので、酔狂なかたは各自お読みくだされ。

さて、この西部著『友情』にはその友人海野の生業は八九三と記され、暴力団員の語は全くない。これは、西部が”あるいは、八九三の世界において「公」をなおも求めんとすると、それは任侠をおいてほかにないほかにないと彼は考えた。”と書くように、八九三は暴力団ではなくなにがしかの美学で生きるものどもと認識している、あるいはそう思い込みたいからである。ちなみに、任侠の辞義は、強きをくじき・弱きを助ける、である。果たして、この本は二人の交流録が中心であるので、海野の札幌で具体的に何をしていたのか、彼は任侠だったのか?暴力団員であったか?には無頓着である。この海野にしろ誰にしろ「近代日本の<貧乏農場>」たる北海道では不遇、親族間の義絶など人の人生が踏みにじられる事例は茶飯である。そして、その踏みにじりの実行が、少なからず、暴力団により行われている。

西部が初めてこの暴力団員の友人について書いたのは1982年であり、「不良少年U君」の題で『大衆への反逆』に載っている。この「不良少年U君」のエッセイでは彼のひととなりばかりではなく、当時1980年代に吹き荒れていた校内暴力にこじつけて、校内暴力を起こしている子供たちの「成因」を妄想し、そういう校内暴力を振るう子供たちの親たちというのは”U君のことを不必要に恐れ、不自然に見下していた私の同級生たち”であるというである。さらに”現在広がっている少年の不良化は、人間の善性を身の程知らずに軽信して、人間の良・不良があやうく拮抗しているにすぎないのだということを察知できなかった我らが民主主義のひとつの帰結ではないか。”と落ちをつける。つまり、暴力団となった元不良少年の友達の思い出と校内暴力をだしにしての民主主義批判である。今となってはなぜこれで民主主義批判となるのか理論的にはわからない。ただ『大衆への反逆』なのだからヤクザに登場してもらったのだろう。ただいえることは海野はこの時点で西部にとっては、『大衆への反逆』のひとつのsupporting evidenceではある。

上記の文章から四半世紀、今回の『友情』で、おいらが西部がちゃんと書くべきであると思っていたことが書いてあった。

  そんな折であった、私たちが「貧富の格差」にたいして、今から思えば恥ずかしくも-つまり結局は愚痴にすぎぬことになるのだが-喧嘩腰になってしまったのは。彼の手記にも「学芸大付属中学からやってきた連中をみたとき、ウカウカしておれないと感じて、猛烈に勉強した」と書いてある。私にもそういう動機がはたらいていたのかもしれない。その付属中学の卒業生たちは、単に立派なオーヴァーコートを着ていただけではない。富裕な社会階層の子弟に特有の明朗さ、闊達さ、穏健さ、聡明さを自然に身につけているようなのであった。彼らからみれば、海野や私に典型をみるような野蛮でねじ曲がった言動をする徒輩になぜ学業の面で後塵を拝さなければならないのか、不思議であったに相違ない。

西部は事実上の物書きデビューの1980年代初めから一貫して産業化と民主化を以って貧困を追放した戦後日本社会を批判してきた。そのものいいは、あたかも、産業化と民主化がもっと不十分であれば人間はもっと<ホントの生>を生きることできるがごときものであった。西部は高度成長期の日本で得た果実を口にしたとき「こんなものか!」とはき捨てたと豪語している。つまりは、自分のビンボーな少年時代こそが<真実>の生だと。その<イキイキ>とした生活が上記である。すでに、齢60才をとうに超えて、未だに、立派なオーヴァーコートを着た富裕な社会階層の子弟がビンボー少年より成績がよくないことを気にしていたと信じている。そうか?別に、立派なオーヴァーコートを着た富裕な社会階層の子弟は、勉強して出世しようとする上昇志向の鼻息のあらいビンボー人の子供を、穏健に微笑んでくれていたかもしれないではないか。

西部の物書きの存在意義がビンボー解消さえあれば根拠を失うとは、もちろん、思わないが、それにしても、産業化と民主化によるビンボーの消滅を、そして、明朗さ、闊達さ、穏健さ、聡明さを自然に身につけている国民の増加を考えて、もっと自分の戦後批判を鍛えたらいいと思うばかりでなく、短くないいきさつを経て考え付いたことで物書きをしているなら、仮にオーヴァーコートを着て、たらふく食って少年時代をおくったらどうなったか空想するのも悪くない。

最近西部は古巣での発言で;
共産主義もナチスも、みんな民主主義から出てきた。それがマルクスのドイツ民主党からナチスの国家社会主義労働者党にいたるまで、彼らの集団の名前にちゃんと刻印されている。こうした常識から世界を眺めないといけない。ところが、こんなに単純な前提的常識すらわきまえないで、民主主義や民意を「至上の価値」かのように論じる日本人が多すぎる。 僕がもし神様だったら、こんなわけの分からない民族は滅ぼした方がいんじゃないかと思うね。

という。僕がもし神様だったら、って言っちゃうんだよね。もう死んでいくのに最後まで世の中と折り合いがつかない西部。いや、世の中と折り合いがつかないことが生業か。それこそ、昔、西部はチェスタートンを引いて、巨人になりたいか?虫になりたいか?と問われたら、虫を選ぶ。なぜなら、巨人になったら、巨大な滝もただの水のしたたり、巨大な山脈もただの小山にしか見えない。一方、虫ならすべてが大きく見え、その存在意義がわかるはずだと、教えてくれた。「僕がもし神様だったら、こんなわけの分からない民族は滅ぼした方がいんじゃないかと思うね。」とかまあ多少まともな判断力をもつ人はそう思わないでもないが、それをいっちゃおしまいよ、ということもあるので、なんとか物言いを考えるというのが、賢明かと。(って、いつも、それをいっちゃおしまいよ発言を繰り返すおいらがいうのも欺瞞的だが)