いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

中産階級をめぐる学歴エリートのルサンチマン

2006年01月29日 11時46分22秒 | 日本事情

中産階級をめぐる学歴<エリート>のルサンチマンについての言説3つ。
最初は1960年代末の、大学「知識人」の象徴であった丸山眞男の<造反学生>によるつるしあげについてのその動機とメカニズムをモデル化した文章。

ノンセクト・ラジカル

大学第一世代、つまり出発地位が経済資本と文化資本で劣った地位にあっても、その未来がエリート階層になりうるかもしれないという予期があるときには、憧れが同一化へのエネルギーとなる。しかし、そうした予期が持てなくなったときには、学生の大学教授への憧れと嫌悪との両義性は激しく振動しはじめる。かれらの先にあるただのサラリーマンという人生航路からみると、大学文化や知識人文化など無用な文化である。大学文化や知識人文化はもはや身分文化ではなく。かれらはこういいたかったのではないか。「おれたちは学歴エリート文化など無縁のただのサララリーマンになるのに、大学教授たちよ、おまえらは講壇でのうのうと特権的な言説をたれている」、と。かれらは、理念としての知識人や学問を徹底して問うたのだが、あの執拗ともいえる徹底ぶりは、大学生がただの人やただのサラリーマン予備軍になってしまったことへの不安とルサンチマン(怨念)抜きには理解しがたい。プロレタリアート化した知識人たちの反大学知識人主義である。だから運動の極点は、いつも大学教授を団交に引っ張り込み、無理難題を迫り、醜態を晒させることにあった。

竹内洋『丸山眞男の時代』

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今度は時代が下って現在の話。「有名大学」を出た<学歴>「エリート」が「ただの」賃金労働者にしかなれない。そのルサンチマンが、自営の「庶民」に向けられる。という、著者のマンガ・戯画。

「隣のさえないリーマンって一橋大卒だって」

 一方、マンションの隣に住んでいる「いい加減そうな」低学歴茶髪ショップ経営者家族は、知性的な会話とはほど遠い内容の話をしている。それでも、一橋代卒の学歴エリートより「いい生活」をしている。学歴エリートの間取りは3LDLで、茶髪経営者の部屋の間取りは4LDKだ。学歴エリートの買い物は「生協」、茶髪経営者の派手な妻は週に3回は「明治屋」で買い物をするらしい。どうも彼女がはいている「ぼろくて破れたうえに、短くてパンツまで見えてしまうジーンズ」は、学歴エリートのアホ山スーツの3倍の価格らしい。しかも、隣人はどうも学歴エリートのことを「隣のさえないリーマンって一橋大卒だって。学歴って何の役のにもたたねえな」とバカにしているらしい....。

中野雅至『高学歴ノーリターン』

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文藝からは、車谷センセにご登場願う;

 このままでは「中流の生活。」に落ち着いてしまうという恐怖----。併し会社の同僚たちはみな「中流の生活。」を目指していた。あんな生活のどこがよくて。ピアノの上にシクラメンの花が飾ってあって、毛のふさふさした犬がいる贋物西洋生活。ゴルフ。テニス。洋食。音楽。自家用車。虫酸が走る。あんな最低の生活。私の中の「中流の生活。」への嫌悪感。併し東京で会社勤めをしていた時分には、この嫌悪感はまだ半ば無意識の世界にひそんでいるものだった。それがこの六年余の流失生活によって、徐徐に表面に洗い出されていた。と同時に、も一つ洗い出されて来たのは、かつては私も一度は、いまこの芦屋川の両岸に見るような、忌まわしい「中流の生活。」に憧れていたということではないか。

車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』
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--ホリエモンは久坂玄瑞か?--

■今回のライブドア「事件」について、毒蛇は急がない!!! 文藝評論家=山崎行太郎ブログ 『毒蛇山荘日記』において、ライブドア一派の 日本えすたぶりっしゅめんと へのルサンチマンを指摘している。その際豊田商事やオウム真理教と並ぶものと認識されている。しかしながら、ライブドアの顕著な点は政権与党中枢と深く結んでいたことである。これは総理大臣自ら与党や旧体制社会をぶち壊すと公言し、その破壊者の実働部隊として堀江さんを直参にしたこととあわせてその異常な構図が顕著である。堀江さんが犯罪容疑者となってことで、これは小泉さんを支持したのは「精神の貴族」なのか?あるいは「紅衛兵」なのか?に書いた「小泉改革=文革モデル」の実現だ。堀江さんの日本えすたぶりっしゅめんと蹂躙と小泉さんの、佐久間親子追放的な、破壊の政治は通奏し共鳴していた。

■しかしながら、その小泉さんの、マオさんばりの、破壊政治、政治テロの日常化にいまさら驚くなどというのはカマトトにすぎるのだ。小泉さんは先日の国会での施政方針演説で吉田松陰に言及した。 痩せギス男に狂気が宿る。で睨んだ通りやはり小泉さんは、松蔭の徒なのだ。

志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず
--志ある人は、その実現のためには、溝や谷に落ちて屍(しかばね)をさらしても構わないと常に覚悟している--

だって。改めて書くのはべたではあるが、吉田松陰とは老中間部詮勝暗殺を画策した「革命」思想家であり、幕府に処刑される。老中暗殺というのは現在で言えば総理大臣暗殺に他ならない。松蔭の偉大なる業績は高杉晋作・久坂玄瑞から伊藤博文・山縣有朋にいたるまで、実行力あふれるテロリストを育てたことである。テロリストの父。吉田松陰なしに大日本帝国は誕生しなかった。テロリストだけというばかりでなく、公然とした狂気主義者。 日帝はガイキチによってつくられますた。

■小泉さんとか堀江さんって、半端な中産階級的生活や文化が生理的に嫌いなのではないかな? 生きる死ぬで渡世する志士か、あるいは、優雅な王侯貴族。堀江さんには中産階級的生活へのルサンチマンを感じる。とうちゃんが高卒で一生ある企業で働いたけどたいして豊かじゃなかったとか愚痴っていた。あと、二人とも、一生の伴侶との「幸せな家庭」にも無縁だ。というか、「ちっぽけ」な幸せを忌避しているようだ。まずは妻子を溝壑に放り出したらしい。

■狂気のテロリストの言を以って政治をするのもナイスであるかもしれないが、やはり、テロがすきなんだね、小泉さんは。そのテロって、不当に既得権益をむさぼっている人びとに向けられるならまだしも、ビンボー人から健康保険証とりあげるとかに向かうとわびしい。

■国策捜査か? 今回の検察捜査はある意図に基づくものであろうか?という憶測について。その憶測を立証することはできない。し、陰謀説とか国策捜査といいつのるのは、第一アタマ悪そうだ。しかしながら、検察の立件に限らず、例えば科学的知見の産出というものにおいては、ある事実群があってそれを虚子淡々と眺めれば真の命題が得られるというものではないのである。科学においてさえ、思いつき・空想・妄想がまずあって、それを支持する事実を集めようとする意思や欲動が研究推進の駆動力となる。そこでうまく実験事実が集められればその思いつき・空想・妄想は証明されるだろう (ここで、実験事実が揃わず捏造するのが最近のコリアや日本での事件に他ならない)。捜査だってそうだ。まず、疑惑があっても、こいつを捕まえようとの意思や欲動なしに進まない。ましてや、政治がらみの案件なのであるからリスクもある。はずしたら検察の身があぶない。事実を集めようとする意思や欲動の強度こそが立件への駆動力となる。

■さて、その駆動力はなぜ生じるのだろう。今回の堀江さんの場合は飛ぶ鳥を落とす勢いの新参者への、法制官僚のルサンチマンという一面があるのだろう。彼らは法に従って捜査・立件を進めないといけないのであるが、その駆動力は案外通俗道徳や慣習なのではないか?なぜなら、大企業の談合は公然と行われているのに、看過されている。もちろん、今回検察が旧態のえすたぶりっしゅめんとから頼まれているというマンガ的構図はないだろう。このモデルだと、なぜ金融庁傘下の機関がライブドアを摘発しなかった・できなかったのか説明できる。それは、摘発への意思や欲動の強度が低かったのだ。そして、たぶんその摘発への駆動力の低さは、竹中・自民党効果なのだろう。その点、小泉自民党政府は事実上暗黙の幇助をライブドアに行ったといわざるをえない。

■しかしながら、おいらが言いたいことは、検察への恣意的な捜査への非難ではなく、テロリストの言を引いて、新自由経済主義を邁進しているはずの「自覚的」破壊主義者・革命者が「たかが」この程度の犯罪で腰が引けたり、知らん顔をすることのへたれさにはびっくりということである。「息子!という言い回しはどんな若者にもする」と言って言い逃れようとした武部さん。

志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず

って、覚えてね。



野山獄        小菅獄
   我は溝壑に在りと、身にしみる

■久坂玄瑞は天皇を奪取しようと御所を襲撃した(蛤御紋の変)。その政治戦略は単純なもので、天皇を奪取して、御名御璽の 「めくら」ばん を専有し、日本の乗っ取りを謀るものである。キーワード;乗っ取り。 ホリエモンは世界一の時価総額を目指した。話は単純だろう。ホリエモンは、ライブドアより時価総額の低い上場企業を、理論上は、買収できる。乗っ取りできる。そうすれば、ライブドアの時価総額は雪ダルマ式に増え、理論上は、最終的に総資本を掌握できる。現在、ライブドアは虚業だったと簡単に始末がつけられているが、それは雪だるまのプロセスが途中だったからで、もっとすすんでトヨタ自動車だのなんのと製造業を買収していれば、虚業だったと簡単に始末がつけられることは、少なくとも理論上は、ない。つまり、ライブドアは途中でこけたことが敗北の第一の原因なのだ。それは、あたかも玄瑞が天皇を奪取しそこなったごとくに。