いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

おばかの祭典

2005年09月10日 07時56分11秒 | 日本事情
■選挙はお祭りだ。みんな書かなきゃいられないらしい。ブログは選挙であふれかえっている。日頃は緻密な文章のブログをおくリ続けるデーガクのセンセも、おもわず えきさいと。言語学研究室日誌 。 一方、凡庸やおばかなブログは枚挙にいとまなす。悲惨なのは、選挙なのでできたブログで、「国民は小泉さんにだまされているから」僕が何か書こう、という御仁。こういうことで人の考えが変わると思っている御仁は、そういうおばかな人間観がなぜ形成されたか考察すると思想家になれるかもしれない。こういう底の浅い小泉自民批判は民主党・岡田代表をはじめテレビにあふれている。これは、小泉さんも人生いろいろとか、公約のひとつやふたつ守れなくても些細だ、とか相当おばかだけど、反小泉もおばかだな、という印象を与えて小泉人気の底堅さをささえているとおいらは見ている。

■さて、一般に人間は自分の投票行動を合理的に行うことはできないことは先日述べた。今日は選挙による議会制民主制がいいのか考える。結論は、議会制民主制はsecond worstということでせうか。

■ブログでもテレビでも、小泉自民だ!いや民主党だと口角泡の御仁は、選挙による議会制民主制への非懐疑を前提としている。その点同じ土俵にある。

■現在日本は、国民主権あるいはそれを具現化する政党・議会政治というのは虚構で、官僚に主権がある「官僚主権」国家であると、例えば政治の裏表に通じた早坂茂三は言う。「官僚主権」国家かどうかはともかく、日本は建前として行政・立法・司法の三権分立なのであり、中立の司法を除けば、残る2大権力の行政権と立法権は、少なくとも拮抗状態にある。しかしながら、行政権の権力は絶大であり、なにより毎年二十歳前後のおにーちゃん・おねーちゃんをリクルートする。そして、なぜかしら、そののおにーちゃん・おねーちゃんは自分たちの一生を行政権行使に賭けようと決意するのである。そういう人間の集団が、徴税したお金となにより法律を武器に行政権を行使してくださる。「政府」でありんす。

■おいらも、別に政府さまがよしなにやっていただければ、別に文句もあーりやしません。ところがどっこい、お役人さまはほっとくととんでもないことをやってくださるのだす。

■その潜在的に暴走野郎の政府さまを制御してくださるのが、議会の役割なのです。選挙でその議会の構成員を決めるのですが、決めるの上記国家権力の半分の議会の内容なのです。つまり、選挙以前にすでに行政権力は磐石なわけです。政府のお役人だって、議会の勢力状況がどうなろうと自分達の権力体がそのまま維持発展できるよう60年(まあ、明治から)かけてつくり上げているわけです。内閣が変わっても局長や課長は変わらないわけですから。人物そのものが出入りする米国とは制度そのものが違うわけです。

■その行政権を制御するのが議会でできた内閣の役割なのですが、理念や理想はともかく、日本国憲法下でまともに政党内閣が行政を制御した「実績」がないわけです。その端的な証拠が赤字国債の累積です。この赤字国債の累積の原因は行政府にだけあるとは言えないでしょう。むしろ国民の欲望に流された立法府や政党内閣の責任もあるからです。しかしながら、いずれにせよ、日本国憲法下での議会制内閣制度と行政府の作動メカニズムは破綻したと言わざるをいえません。

■その破綻の真の原因は議論がありますが、破綻を起こしたメカニズムの建前が国民主権の日本国憲法ですので、破綻で生じる地獄は国民が生きなければなりません。ただ、選挙権があったのだから、という理由で。まあ、恐怖独裁制による国内粛清戦争よりはましかもしれません。その点、議会制民主制はsecond worstといえるでしょう。