いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

後藤田正晴 の死

2005年09月22日 22時14分53秒 | 日本事情

人が道徳に服従するのは道徳的であるからではない。---道徳への服従は君主への服従と同じく、奴隷根性からでも、虚栄心からでも、利己心からでも、断念からでも、狂信からでもありうる。それ自体ではなんら道徳的なことではない

ニーチェ (『曙光』永井均訳)


後藤田正晴を礼賛する人々がある。信じられない。後藤田礼賛者の勘違いを指摘したい。後藤田死去で一番の後藤田評価は、朝日新聞を筆頭とする、いわゆる「護憲派」からのものである。理由はもちろん後藤田が「非戦」の政治的立場をとり、将来も日本が軍隊をもたないことを望むからである。後藤田伝説の一番は中曽根内閣の時ペルシャ湾に掃海艇、海上自衛隊を派遣することを体を張って止めたという話である。この話は「護憲派」にとって軍国主義者中曽根が護憲派後藤田に阻止され、日本が軍国主義の道に行かずよかったという神話となっている。

さて、後藤田の好きな日本国憲法を日本が守ればアジアひいては世界が平和であったのだろうか?後藤田は死ぬまで、将来の日本の海外での武力行使に反対した。しかしながら、後藤田が一身にして二世を過ごした後の方、つまり「日本国憲法」時代、日本列島には米軍が駐屯して朝鮮、ベトナムと「海外」で戦争をしまくっていたのである。別にこういうことに対して後藤田が何か批判したといったことは聞かない。もし言っていたなら死んだ日に回顧されるだろう。回顧されたのは日本の軍事権回復への抵抗=憲法九条護持の業績だけである。

つまり、後藤田って「からくり」は簡単だろう。米国は占領軍として敗残国家に憲法を与えた。当時大日本帝国憲法下で法制を学んで実践していた法制官僚たちは、大日本帝国の瓦解とともに、さっさと米国製の日本国憲法に乗り換えた。これを、一身にして二世を過したと、おいらは、いっているのだ。その日本国憲法の真髄とは日本が2度と米国にとって不都合な国にならないようにすることであり、その最大のことが日本の軍事権の放棄である。だから今でも日本は交戦権がなくて事実上米国の保護領となっている。その証文こそ日本国憲法である。後藤田は日本国憲法の最もいいたいこと、つまり日本は軍事権を放棄して、小さくなっていろ、を実践していたのである。憲法とは国家権力を制限するものである。その制限の実践を、大日本帝国法制官僚どもが転向して、行っているのである。

後藤田は別に順法精神をもっていたとか正義の人であったわけでない。その証拠に警察庁長官までやって、退官後やったことが角栄への服従である。警察トップが角栄の薄汚さを知らなかったのであろうか!?この時自分の選挙では派手に選挙違反をやった。なんのことはない、別に思想も哲学もなく、最高権力者に服従しつづけているだけのことである。

後藤田って政治家として何をめざしたんだ?非戦?ばかなことを言うな。後藤田は米国の戦争やりまくりには何も言ってまい。思い出すところでは、中曽根内閣の時の米国のリビヤ爆撃。支持したね。米国の戦争はOK!日本の戦争はNo! これが後藤田。彼はこうも言っているらしい;
(後藤田) 60年間、ともかく日本は武装部隊によって外国人を殺した経験がない。また、外国の武力によって殺された経験もない。これは戦後、先進国の中では日本しかない。そういう意味で憲法の大きな役割を今後とも残す必要があると思う。ところがいまの改憲はそれと逆の方向ではないか (、『世界』2005年8月号対談、「歴史に正対しなければ未来はない」<憲法をめぐって>  後藤田正晴 × 加藤周一)ソース

つまり、日本から出撃した米軍が朝鮮やベトナムやクエートでどれだけ「外国人」を殺しても不問にする。その米軍に基地と「おもいやり予算」を与えているのにである。これはやくざには絶対ならないが、やくざに金を払って自分の安全と利権を確保する成金と同じ神経である。こういう後藤田のみえすいた「からくり」を無視して、「最後まで貫いて非戦」とか言っている御仁たち。その認識のゆがみにきづかず死んでいくのだろうか?

一方、96年の朝日新聞紙面では「武力によって他国民、他民族を従わせることはできない。ぼくは加害者の立場の経験を持っているから」と語っている、 らしい。ソース

こういうもの言いが自己欺瞞的であると思う。なぜなら、後藤田や日本人が米国の武力に屈して日本国憲法を戴き、対米従属で生きてきたのだから。日本というのは米国に武力で屈した唯一の例ではないだろうか?現在のイラクを見よ! 身過ぎ世過ぎの百姓根性、という言葉があるが、百姓に失礼である。身過ぎ世過ぎの役人根性、である。こういう役人あがりの人間が政治にまでしゃしゃりでていたことが戦後日本の不幸である。

●野球をしている選手に野球のルールがなぜそうなのか?聞いてもはじまらない。野球選手はルールに則ってゲームをしているだけである。自分がなぜゲームをするのか考えない。そういう「たかが」選手にプロ野球の経営を聞いてもしょうがない。

◆ところで、その夜、NHKで藤堂高虎をやったのは、後藤田追悼なのか?