いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

インド像の捉え方

2004年08月29日 09時40分07秒 | インド
インド象ではなく、インド像。

 インド関連の本を2冊読んでいる。笠原真澄『恋は忘れてやられ旅』(アマゾンの中古で通販購入)と山折哲雄『学問の反乱』(近所の公民館の図書)。後者・山折の本に日本のインド学についての描写がある:

 その結果、日本のインド学の世界には、まことに珍妙な現象が見られるようになった。第一にインドの哲学・宗教・言語を研究せんとする学者・研究者たちは、まずドイツやフランスやイギリスに何年か留学して、そこで西洋のインド古典学の研究蓄積、ノウハウを吸収して帰ってくる。その帰国の途中にインドにちょっとのあいだ立ち寄るという留学パターンである。このパターンは明治初年からくりかえされ、現在まで本質的にはあらためられていない。

 つまり、近代の日本の学者はインドを理解するとき、つまりインド像を獲得するとき、近代ヨーロッパのインド像の獲得に励んでいた。そしてインド像@近代ヨーロッパ産を獲得したあと現実のインドに行き、獲得したインド像に合致する現実を拾うのである。いや、獲得したインド像だけしか認識できないのである。

 誤解なきように申しそえるが、インド像に本物や偽物があるわけではない。近代ヨーロッパ産のインド像が偽物であると言いたいわけではない。ただ日本人が自己本位のインド像を獲得せず、安直に近代ヨーロッパ産のインド像を摂取してきたことは問題である。これはインド像に限る話ではない。近代ヨーロッパは、あらゆることを対象化し像を生産してきた。日本の学者は、田舎者がするように、没批判的にそれらを勉強してきた。勉強こそいちばん楽な道だからである。

 その一方、無意識過剰にインドを廻った旅行記が、笠原真澄『恋は忘れてやられ旅』である。やられ旅とは思わせぶりなタイトルではある。べつにインド人とずこばこやって廻ったわけではない。笠原真澄はライターで、著作もたくさんある。彼女は知識にたよってものを書いているわけではない。つまり、たくさんの知識を獲得して像を作り上げた上でものを認識してものを書いているわけではない。でもこれは彼女の像を貶めるものではない。どんな人間も像を持って生きている。知識に頼らない笠原真澄のインド像である。その3ヶ月のインド旅行記、徹底して日常的である。そもそもなんでインドかよく考えるとわからない。同伴者のひとりがカレーを毎日食べられるからという理由が冒頭にでてくるが。この旅行、まるで障害物競走のようであり、メンバーの闘病記のようでもある。タージマハルでの「確かに綺麗だけどどうってことないなあ。3分も見ていると飽きるなあ」には参った。とまれ、インドの歴史や社会状況を鳥瞰的視点から見ることを一切排除して、自分の見たこと感じたことを書くことに徹しているインド旅行記である。