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足跡をたどる

ちょうど一週間前の18日の金曜日、滞在中の福岡の古賀市から熊本へ連れまわされることになった。
中学のクラス会の開催地へ逆戻りをしたことになる。

目的は、お寺での行事である施餓鬼法要に参加するためである。
10時から始まるという時間に合わせて、古賀インターから植木インターまで高速、あとは一般道を使い本妙寺の寺に、ぴったりの時間で到着した。
我が家の寺であるが、我が家には坂戸市にも寺があり、こちらでも施餓鬼法要が予定されている。

法要が終わりお寺で用意した昼食をとった後は墓掃除兼墓参りである。
余った時間をむかしの棲みかの現状を見てみたいという希望が出され、その一部を辿ってみることにした。

本庄(本荘):歯医者さんとあと一軒に

大戦中に東京から引き揚げてきた自宅である。
焼夷弾で本建屋が焼失したが、離れが残りそこでしばらく暮らしたところ。

北を眺めると、

長六橋


小学校時代は、

九品寺(くほんじ)

小学校高学年までの借家、当然昔の面影は残っていない。

前の通りは

家の反対側は煉瓦塀が続いていたがすべてなくなっていた。右側の家のすぐ南隣は熊本大学医学部である。

小学校高学年から中学校2年?途中までは、

新屋敷町傘(からかさ)6番丁

借家であった。
大水害にあったところである。アパートに変身していた。

家の前からの眺め

お隣の立派な石塀は当時のままであった。
その先は坂になっており一段低くなっているのはそのままであったが、建物は全く変わっていた。大水害時は2回まで浸水した一帯である。

この後2回引っ越したが、時間切れとなった。




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野菜庫の中での居心地は

冷蔵庫の野菜庫に数日放置していた山東菜とダイコンの葉を湯通しするために軽く水洗いした。
水切りをするためにしばらく放置しておくことにした。

湯通し直前

冷蔵庫の中で暮らしていた青虫(幼虫)がのびのびと下界の空気を吸っていた。

山東菜のお浸しの一部として食べていたところである。


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