alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

フランス人の驚き

2012年01月30日 | 福島見聞録


 何で私は書くのだろう?
それは寝床でもできるから?活動をするよりも
やることが少なくてすむことだから?例えば
ミーティングをするために子供をどうやって預けようとか
考えないでもすむことだから?それとも 誰かが読んでくれるから?


 どうしてかはわからないけれど
福島で 私の中で何かが変わったあの夜
「少なくとも私は書くことができる」と気がついた。
そして私のブログには少なからず読者の方がいるわけで
それだけでもきっと何かになるのだろう と
私は書くことにしてみたわけで 今はきっと
自分の中の消化不良をどこかに出して行きたくて
それで書いているのだろう。


 さて、福島の取材が終わって時折フランス人と
電話で話していると 驚かれることが多々あって
一番驚かれるのは日本人の放射能に対する知識のなさだろう。
それからそれに対して政府やジャーナリズムが何もしてこなかった
どころかその逆をしてきたということだろうか
「えっ そんなんでどうするつもり??」と驚かれる。


 フランスは原発は日本よりよっぽど多いし
原発に関しては議論することもタブー視されてきたほど
ロビイングが強かった国らしいけど それでも彼らは
チェルノブイリの教訓がすさまじかったのか 放射能の
怖さについてはよく知っている。それがどこまで飛散しうるか
それがどれほど遠くで、長い期間でも持続しうるか
そしてどんな病気がありうるか だいたいのことを
一般的知識のように知っている。


 私はというと、福島で出会った普通のお母さんたち同様
爆発の時までは何一つ知らなくて「チェルノブイリ」については
名前だけ知ってるくらいで それがいつかも 意外とその時
日本政府はかなり厳しい輸入禁止策をとっていたとかも
全くもって知らなかった(その当時の本で「こんなに高い」
と書かれているセシウムの値は今の日本の基準やらでみると
「そんな高い?」と思ってしまう程のもの、、、)
そういうわけで爆発直後に「チェルノブイリを知らないのか!!」
と言われて頭が大混乱した話は何度も書いた。さて
これからはどうなるのだろう?
私が出会った人たちの話を総合すると、爆発の程度は
チェルノブイリ以上であって、その後の対策のひどさは
チェルノブイリよりもひどいらしいので、結果としては
「チェルノブイリよりも重大な結果がもたらされるであろう」ということ、、


 フランスにも 日本と同様 本当の情報はまだあんまり
伝わっていないから 最近のちょっとしたフクシマ離れの
影響もあり(大統領選などで話題を持って行かれているらしい)
ジャーナリストもそんなにそこまで来てなさそうだ。とすると
訳す資料は日本が公的に発表しているようなものが大方になるとすると
日本のジャーナリズムは隠蔽された情報ばっかり流しているから
本当のことはフランスにだって伝わらない、、、どうか
ソフィー、がんばってくれと願うばかりだけれど
私もちょっとでも話をするとみんなが驚く。「え!それはまずいだろ!!」


 そう それは まずいんですよ!そう そう言ってほしかった!

 これってかなりひどい状態なのに それを放置してるんですよ。
日本政府は何もしないの。それどころかもう収束したとか言ってるの。

 「それに対してジャーナリズムは?日本にもジャーナリズムがあるだろう!」
「ジャーナリズムは支配されてて本当のことが言えないの、、、だからもし次に爆発があったって
原発関係で死者が出たって 私たちが大きな新聞やテレビで知るのは
何週間後か 一ヶ月か 二ヶ月後だったりするんだよ
それじゃ遅すぎるわけじゃない!!」(そうでしょ?そうと言ってくれて
ありがとう、、、だからフランス人が好きなのだ)


 一番福島でまずかったことは おそらく大変なことに
なっているというのに「政府も大きな組織もジャーナリズムも
ほとんど何もしてこなかった」ということだろう。それを
「子ども福島」の中手さんは「棄民政策」と呼んでいたけど
本当に見てみぬふりを、何事もなかったふりをしてたのだ。
私たちが学校に取材に行ったとき、ソフィーは信じられない!と言っていた。
「学校では放射能に対する教育は何一つ特別に行われてないの?」
そう、事故の後でも それらは特に何もなかった。
保護者あてのおたよりは配られてたけど 生徒向けには
先生たちがちょっと注意するぐらいで 放射能とはこういうもので
こんな危険があるからこうするように と しっかりとした
特別な講義は一度も組まれなかった。

 それどころか 保護者たちが反対しても 新学期は
いつも通りの日程で始まっていた。また信じられないことだけど
爆発直後の3月16日という日は高校の合格発表で
通常は掲示板を見に行くものだから という理由で
爆発が3回もあった後なのに(しかも一番大きな爆発の直後)
中学3年生は丸一日その日は外に出て合格発表に行ったという。
この話をきかせてくれた方がいうには、一人だけ
先生の中で放射能の恐怖を知っている人がいて
その人は高校に電話すればわかる話だから、と
この日ばかりは行くべきでないと懇願したらしいけれど
「前例がない」からとかそんな理由で 彼らは結局
「何事もなかったように」一日中外に出ていた。
そのことを後悔している親御さんも 今では沢山いるけれど
それは当時の人たちが「何も知らなかった」というのに加えて
「そんなこといわれても困る。学校は学校だから」という
学校側の強気な態度があったから。


 私には日本の学校というのが未だによくわからない。
そういえば小学校、中学校はまだましだけど
高校にいたっては除染すらされてないという話も確か耳にした。
「高校生に対しては全くケアがないんです」と誰かが言ってたな
高校生は自転車で通学するし 外にいる時間も長い。
もちろん部活をしている時間も そして親の言うことには耳を貸さない
そう お母さんがこう言っていた。「うちですごく食事に
気をつけててもね あの子が友達とバイキングに行って来たっていうんです
で へー 何食べて来たの?って聞いたらね、「福島牛の食べ放題!」」
(一同卒倒、、、)確かに高校生は肉が食べたい。肉も魚も
食卓からかなり姿を消してしまうとフラストレーションもたまるだろう。
そして彼らは友達と同じようにしていたいから 自分だけが給食を
食べないで家からお米を持って行ったり 友達がしないのに
マスクをするのがとても嫌だ。みんなが部活をしているのなら
自分だって外でしたいと思うだろう 放射能なんてわからないから。


 「俺たちはなあ 命かけて外で部活やってんだよ」と
室内で部活をすることにした子に対して言った子がいたらしい。
それがどういう意味なのか 私にはわからないけど
おそらく彼らも少しはきっと「本当は外でやりたいわけじゃないけど
みんなやってるからやってんだよ」と言いたいところがあるのだろう
「みんなやってるからやってんだよ」「だってそういうものだから」
「だって部活は外でやるのが学校だから」「だって始業式はこの日に
はじまるものだから」「だって県はもう安全だっていってますから」


 みんな薄々心のどこかでいいのだろうかと感じてる
本当に安全なんてことあるだろうか だけどこうして理由をつける
「だってみんなもやっているから だからきっと大丈夫」
本当はみんながいれば安全だなんてことはない。9割の子供が
外で部活をしてるからといって この先彼らに何の問題も出ないかというと
そんなことは全くわからない。測定所の人はチェルノブイリと照らし合わせて
中高生が一番気にかかる、と言っていた。チェルノブイリでも
意外と問題だったのは3歳くらいの小さい子よりも中高生くらいだったとか。
彼らは親の言うことをまずきかないし 友達がやっていないと
自分もやめる。私たちは機会を活かして中学生たちに聞いてみた。
「ねえマスクしてるの?」「うーんしてるときとしてないときがあるかな」
「なんでマスクするの?親に言われたから?」「寒いから!」
「顔隠し!」「恥ずかしいから!」誰も決して放射能とは口にしない
本当は何をどう思っているのか 私たちにはわからなかった
だけど一番彼らが信頼していて言うことを聞く 先生たち、
あなたたち が 彼らにもっと大切なことを教えなかったら
彼らはこの先どうなるのだろう?先生たちが 爆発の後も
特に何もなかったように「最近はもう特に変化はないですね、、、」
なんてやってていいのだろうか?誰よりも子供が信頼している先生たちに
活動をしている母たちのような「大人としての責任」とか自覚はないのだろうか??

 
 「先生あなたはかよわき大人達の代弁者なのか?」と
尾崎豊は言っていたけど 先生が東電や国の代弁者になってしまっていいのだろうか?
いろんなところで 今 責任が求められていると思う。
子供を守るために自分で動き始めたお母さん達は
「5年後、10年後の子供のために」とよく口にする。
それらを見据えてみたときに 本当にいいことって何なのだろう?
爆発直後に無知であったことを後悔したのなら 一年が経った今
今度はその教訓を活かして どう対応をしていくか
どう将来に備えて行くか そうなったらいいのだろうけど
そもそもそれを後悔してるのはお母さんたちだけなのだろうか。。。

 子供達 を 守るため に まだまだこの先できそうなこと
きっとそれらは山ほどあると思う。疎開でも、大掛かりな保養休暇であっても
もうちょっとしっかりした放射能に対する教育であっても
大型の屋内型プレイルームをもっと作るであっても
スクールバスみたいなものを導入するとか 方法はいくらでもあると思う。
「除染したから大丈夫?」本当に 大丈夫なんだろうか、、、

(郡山市の中学生14人の避難を求めて争っていたふくしま集団疎開裁判は
結果として負けてしまいましたが、それに対してもう一度市民で考え、
判決を下してみようという試み、世界市民法廷というのが
東京で2月26日に開催される予定です。興味があったら
また告知しますので予定をあけておいてくださいね!
世界の人たちにも福島の現状を知ってもらおうと沢山の人が
裁判の文書の翻訳をがんばっています 私も参加すると思います)

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