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パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

アメリカ大統領選

2016年11月12日 | パリのカフェ的空間で
 大統領選から3日が経って様々な情報が
飛び交う中で、けっこうショックを受けるのは
今回さえも、多くのメディア関係やアメリカ政治が
専門の人でさえも「本当に予想外」「結果にショック」
と真剣に言っている人がいることだ。

 たしかにBrexitは私も予測できなかった。
本当にこんなことがありうるのか、と衝撃的な
気持ちだったし、結果もわりとすれすれだった。
でも今回は違う。接戦になるのかと思いきや、
え?もう決まったの?という具合に結果は発表されて、
なーんだ、ほらやっぱりトランプだ、と思ったのを覚えてる。

 何故彼が大統領になったのか?
まるで彼が不正をしてアメリカ人の大半を騙したかのように
今でも「ありえない!」と言われているけれど、彼はきちんとした手続きを経て
共和党の候補に選出されて、しっかりとした投票結果で
アメリカ人の大統領に選出された。その結果はまさに
国民が出した答えであって、わりとすんなりヒラリーさんも
それを受け入れ、オバマ大統領も受け入れた。
そうなったからには仕方ない。共に協力するしかない。
引き継ぎのための全面協力は惜しまない、
それに私も引き継いだときにブッシュ氏とは仲が悪かったのだ・・・

 それなのにどうして今頃、と私は思ってしまう。
彼が選ばれたのは彼の暴言に国民が扇動されたからではない。
それほどまでにアメリカ人は馬鹿なのだ、とあの国のエリートたちは
今も信じているのだろうか?頭がよければヒラリーを選び、
考える能力のない人だけがトランプに投票すると?
そして女であったらそれだけの理由でヒラリーに投票すると?
結果としては高卒の白人男性だけでなく、わりと裕福な
一般の白人も多く彼に投票したという。42%の女性は
彼にあえて投票し、しかも白人に限ると53%がトランプ氏に
投票したという。女性軽視発言を受けた上で、それでもあえて
ヒラリーではなくトランプに投票するのはそれなりの意思があるからだ。

 それほどまでに、一般的なアメリカ人は変化を望み、
エリートに支配される国の政治に嫌気がさしている。
おそらく彼なら変えられる、オバマ大統領のできなかったことを
彼ならできるかもしれない。なぜなら彼は、70歳という年にして
不可能を可能にしている人だから。そんな期待をこめた
ささやかな一票を、他人に自分の胸の内をあえてさらすことなく
投票したのだろう。周囲の大手メディアも頭がよさそうな口ぶりの
学識経験者も皆が口を揃えて「トランプに投票するな!」と
いう中で、実際には彼の言葉が(3割くらいの誇張はあるにせよ)
心に訴え、ピンとくることを語っていたならば、
自分の大切な一票を、「エリート社会で暮らしてきて、
語る言葉は美しいけど遠い世界の(うそつき)ヒラリー」よりも
「言い過ぎなだけど、肝心なところは的を射ている」
トランプに共感したと言えるだろう。
彼なら変えてくれるかもしれない、オバマ大統領に抱いた期待と
ほぼ同じような期待を抱き、アメリカの「忘れられた」国民は
トランプに投票した、それだけのことだろう。
彼が大統領選に勝ったのは、ひとえに彼の言葉と態度に力があった、
そしてそれが多くの人の(隠れた)共感を勝ち取ったことによるだろう。

 アメリカは確かに偉大な国だった。70年も生きてきたトランプ氏は
それを身をもって知っているのだろう。でも今のアメリカには
その影はない。ニューヨークやワシントン、そしてポートランドなど、
例外的な都市ではエリートたちが華々しく自分のキャリアを築き、
世界のニュースや金融状況に目を向けて生きてるかもしれない。
でもアメリカを支えているのはその他の広大な
「忘れられた」土地と人々なのではないのだろうか。

私は彼の選挙後の演説を聞いて思った。彼が想像している姿は
映画「カーズ」の忘れられた街、ラジエータースプリングスが
再び力を取り戻し、道や街に活気が戻り、人々に笑顔が戻ってくる
まさにそんな姿のようだ。かつては活気に満ちていた街、
でも今は人通りもなくしょぼんとしてしまった街を、また再び
夢と希望が持てる場所に変えていくこと。
そんな姿を彼は夢見ているのではないだろうか。
そこに住む人たちの健全な生活あってこそ、アメリカの国力が上がり
「偉大なアメリカ」が再びやってくるのでは。
そんな国力あってこそ、アメリカは世界の警察たりうるのでは?
今こんな状況で、アメリカは世界の面倒を見ている場合じゃない、
トランプ氏はただそう言いたいのだと思うし、投票した人たちは
まさに目の前の自分の暮らしをもっとましにしたいと思っていたのだろう。
「だって私たちはまず何よりも、アメリカ人なのだから」と。

 アメリカが世界に干渉し続けることがどれほどよいことなのかは
私にはわからない。干渉をやめて権力の空白が生じたところで
最悪の事態がうまれることも起っている。とはいえ
アメリカに住む住民の気持ちとしては、中東などの実感のわかない
地域よりもまず、目の前の自分の暮らしを良くするのが我々の
政府の最優先課題だ、と思うのは自然なことではないだろうか。

 アメリカという国は私たちの想像をはるかに超えている。
現在のアメリカには1110万人もの不法移民が滞在しており、
メキシコからの移民がトップで、585万人にものぼるという。
(他はグアテマラ、エルサルバドル、中国、ホンジュラスなど)
壁をつくるかどうかは別としても、それだけの人々が
不法な状態で滞在できるというのが日本人からすると
信じがたいし、これはヨーロッパで起きている難民問題と
ほぼ同じような危機感で捉えられているように思う。
壁を作るというのが現実離れしているとしても、ヨーロッパも
懐柔政策でトルコからヨーロッパに難民が流れない壁の
役割を演じてもらっているようなものだから、あまり人のことを
言えないだろう。(そのせいでクーデター後に
エルドアン大統領による激しい弾圧があった時、ヨーロッパの
メディアや政府は声を大にして糾弾できなかったし、その状態は
まだ続いている)

 イギリスの国民投票でもアメリカの大統領選で起こったことも、
その国を牛耳るエリートやメディアがいかに国民の実際の
感情や暮らしとはかけ離れているかを映し出していると思う。
今晩NHKのニュースに登場していたアメリカで50年記者をやっているという
ベテラン記者は「本当に想像できませんでした。もっと人々の
気持ちを理解しようとすべきだったんです。」と悲しそうに語っていた。
本当に、そうだと思う。というかむしろ、
それこそがジャーナリズムではないのだろうか?

 エリートコースの王道に行ける人たちの多くは
生まれた時から素晴らしい環境にいた人たちだ。
タイムの記者であるというのもBBCのスタッフであるというのも
その国の人たちからするとどれほど華々しいキャリアであることか。
それが当たり前の人たちは、当たり前の機材を使って当たり前に
取材に行く。フランスのカレの難民キャンプが取り壊された日には
世界中から報道陣がつめかけて、BBCだけでも数十人のクルーがいたという。
目の前にはビニールシートでつくった自分の住処を追われる人々。
「どんな気持ちですか?どこに行くんですか?」と平気で問うその
恵まれた人たちは、サハラ砂漠を歩いて横断してきたような
彼らの心の痛みはわからない。明日には死ぬかもしれない、
バスにゆられて、どこに行くかもわからない。家族に会える日は
もはやこないのかもしれない。それでも決死の覚悟で何千キロも
歩いてきた人と、小さい時からエリート畑で生きてきた人たちの間には
恐ろしいほどの隔たりがある。けれども私たちが世界について知ろうとする時
真っ先に触れられるのは悲しいかなそんな大手メディアというわけだ。
そこには彼らなりの言語や暗黙の了解がある。
それでもBBCやルモンドはまだ中立を保とう、それこそがジャーナリズムである
という姿勢を貫いているように思えるけれど、アメリカのメディアは
どうなのだろう。少なくともタイムは(大統領選に関しては)
そんな姿勢を大事にしていたようには思えない。
(もちろん他に素晴らしく優れた記事は沢山あるが)

 行き過ぎたグローバリゼーションは私たちに選択を迫っている。
このままこれでやっていくのか?それとも立ち止まるべきなのか?
歴史的にまさにグローバリゼーションの超推進役であった
イギリスとアメリカがそれにストップをかけようとしたのは興味深い。
グローバリゼーションのいいところはとっておき、悪いところは
是正していく、そんな美味しい道はあるのだろうか?
エリートたちがその恵まれた頭脳と環境を駆使して考えるべきなのは
現状を嘆き、トランプ氏を糾弾することではなくて、
これまでとは異なるグローバリゼーションの形なのではないだろうか。

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