alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

明日もし死ぬとしたら

2012年02月14日 | 私の人生

 今まで感じたことのない 原因不明の
朦朧とした意識の中で 寝たり起きたりをくりかえし
これは医者で飲まされた薬のせいなのか
それともインフルエンザ自体であるのか私にはわからないけれど
意識というのがどこまで続いて
意識がどこで途切れて終わるか もう運次第みたいな感じがしてて
明日私は生きてるだろうか それは私にはわからない

 「くたばれギョーム!!」の歓声の中
アポリネールはそれは自分を非難されてるのだと思い込み
当時流行していたスペイン風邪で命を落とした
きっと彼の死に方は ものすごい苦しみではなく
意識が朦朧としていった中で 沢山の声が合わさって
気がついたら違う世界に行ってしまっていたのだろう

 
 この意識の朦朧とした感じがただの感じ過ぎなのか
なんなのかはわからないけど 明日死ぬかも と思いながら
布団の中で想いを巡らすと 元気だったら
「もっとこんなこともしたかったのに!」という力も
でるのだろうけど もういいや運任せ みたいな気持ちになってくる
お礼を言っておきたい人には言っておこう
そう思って最近ぶっきらぼうでちょっと怖い母に丁寧にお礼を言ったら
なんだか神妙そうな顔をされ「あんたも気をつけてね」と言ってもらえた。
この場を借りて影山さんにもお礼を言わせてもらいたいです
ほんとうにありがとうございました。これからも
お世話になれるといいです。元気になるといいのですが

 30年ちょっとの人生 関わってくれたみなさんも
ありがとうございました。ここでもし人生が終わったら
「あーカフェの本出したなあ」だけで終わりなんだろうなあと思うから
どこかのスタートだったかもしれない苦しみも ただの愚痴書いただけみたいな
ブログで終わってしまうのはもったいないなあと思うから
元気になったら やっぱり書きたい ほんとうは書きたい
女のことも 子育てのことも フランスのことも
どうしてなのだか人生の半分をかけて愛してしまったフランスに
関われそうな手前で死んでしまうのは 馬鹿げてるような気がするけれど


 「お葬式の時にみきちゃんはどんな人生だったね って言われたい?」
と先輩でありキャリアカウンセラーである人に言われた。それが人生の
プランだそうな 私にはよくわからなかった
でも「あの人はカフェの本を一冊書きました
結婚したけど幸せじゃなくて苦しがってたみたいでした まあ彼女
わがままだったからね」おしまい で
いいのだろうか 苦しみが何かのはじまりだとするならば
私はほんとうはもう一度 高く飛翔したかったんじゃないのだろうか
10年前にはできなかったことをするため
10年前になりたくてもなれなかった自分になるため


 だから神様は絶望のふちにいた私に一筋の希望の光を
くれたのかもしれない それは まだちょっと 遠くに感じられるけど。

 
 明日もし死ななかったら 蓮太郎にれんこんの咳止めを作ってあげよう
あんまり効果が感じられなかったけど 早くせきが治ってほしい

 生きるって何なのだろう どうして私は書くのだろう
書くのは何かを残すため そう 自分が生きた足跡を
またみなさんに元気でお会いできますように 

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