alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

美の国

2009年10月25日 |  日本文化
 先日パリからの友人と洛西を散策していた時に
世にも美しい「石の寺」に入る時 
あまりにも美しいその光景に 冗談ながらに
「ほらね 日本は美の国なんだよ」と言ってみた。
そしたら「確かにそうだ」と神妙な面持ちで納得されて
あれ そうなのか、と思ってしまった。


 それから幾日か日が経って 「石の寺」の
極楽浄土かと思わせるほどに美しい枯山水と
借景の入り混った風景をみて そのあと黄金に光る
稲穂を見たり 大山崎の美術館に行って来たりしてみると
本当に 驚く程に美しくって ああ日本って本当にすごい
この美意識は この美しさの形というのは 一体
どこから来ているのだろうと 驚きを隠せない。


 そういえば大山崎にはモネの絵があり
かつてわたしも訪れたことのあるジベルニーの写真があって
そこにはモネが憧れていた日本の太鼓橋を真似してつくった
橋がある。その橋の写真をみると 現在の写真だからか
過去もそうだったのかしらないけれど 木製の橋が
ただ緑色に塗ってあり ええ これが?と思ってしまう。
うちの近所の大原野神社の池はまるでモネの絵の様に美しいけど
そういえばジベルニーの実際は 絵ほど美しくもなかったような
それなら大原野神社の方がいいような ちょっとそんな気もしてしまう


 最近は柳宗悦の『民藝四十年』を読み始め
彼の言う民衆の工芸の美しさをもっと実感したくて
それならばここだ!と北野天満宮の天神さんに行きたくなった。
でも蓮ちゃん連れては行けないし、、、と思っていたら
前日に大げんかをしたおかげなのか(?)
「今日はれんちゃんを試合に連れてくよ!」と
げんきくんが提案してくれ 朝から晩まで 彼らは
遠くにいっていたから それならちょっとはいきたいなと
密かに思いをはせていた。


 でも調子悪いしな 寝込んでようかな いやでもやっぱり
いや でももうよく知ってるし 今いったって時間がないし
いやでもやっぱり やっぱり、、、 いっちゃえ!と
着くのが3時を過ぎる事もわかっていたけど
それでもやっぱり行ってみた。


 もうみんな閉店かなあと思っていたけど
急ぎ足で門前にいくと 意外にお店はやっていて
せっかくだからとお参りをすませ さあ見よう!
と物色開始。見るだけ 見るだけ そう思ってやって来たのに
ああ もういいのに当たってしまう しかも閉店間際だからと
おじさんたちもまけてくれ あーなんでこんないいのが
こんな時間まで残っているの?とほれぼれしちゃう
美しいお猪口に湯のみ 春慶塗のお重に 美しいお皿達、、、


 ああ怒られる げんきくんに怒られる!!
そうはわかっているものの もう見るのを止められなくて
わたしの目は らんらんと輝いてゆき 物色の目になってゆく。
これはたいしたことないな この店はどうかしら
あ このお皿は うーん 次、つぎ
そういって足を伸ばしているうちに
素敵なお皿に出会ってしまって おじさんと話をするうち
もうだめだ、、、ということになり 大金はたいて買ってしまった

 あー 怒られる 怒られる、、、どうしよう
でもあまりに 美しい、、、



 結局のところ 作家さんの物を買っても
お店で売ってる最近のお皿をかっても ブランド品でも
いろいろ沢山みてきたけれど やっぱり骨董にまさる物はない。
柳宗悦もいっていたけど 伝統の重みはやっぱり違って
これだけの長い年月愛されて来た 重みのある柄達や
美しい絵付けの食器は どうしたって美しくって
食卓に並べたときに ここ何十年かでつくられた
お皿達とは比べ物にならなくて
何度みても見飽きなくって 使い込むほどに愛おしくって
いつも食卓をちょっと華やかにしてくれる。
作家さんのものも買ってみたりしたけれど
それらはなんだか浅いかんじで でも骨董は
驚く程に なんにでもしっくりなじむ。
それが骨董の魅力なんだな、、、


 先日静岡を訪れた際、県立美術館で狩野派展を観たけれど
そこで目にした水墨画 が そのままお皿に書かれてる様な
それでいてその線は藍色で 一枚一枚がそのまま芸術であるような
そんなお皿なんだなあ 本当に美しくって 洗いながらため息がでる。
なんでこんなのが当たり前にあるんだろう
本当に この国には いろんなところに 
手に届くところに美しさ が 溢れてる
モネたちが日本に憧れていた頃に フランスでは
『藝術の日本』という本が書かれていたけど
本当に 実はこの国はすごく美しい国なのかもな
こうしていつも 美しいものや景色に触れて生きていられる
それって かなり 素晴らしい。

最新の画像もっと見る