alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

自由な女

2008年10月15日 | 女の生き方

 最近は少しずつ かつての自分がしていたことに
ほんの少しずつ近づけていて 先週は北斎展に行ってきて
今日はようやく映画に行けた。どれもこれも
家族の協力があってこそ で 今日は祖母にみてもらって
そうして行けたレディースデー。


 文化的なものが生活にないと生きていけない
そう思っていた私だけれど 映画はもう半年ぶりなくらいであって
何を観ようかと思っていたら 友人が勧めてくれた
「Sex and the City」があった。しかも今週で終わるらしい。


 前からなんだか気になってたし これはこの際観るしかない!と
ちょっと風邪気味の身体でパソコンを開けてみて
初のネット決済をする。映画がこうして観れるのも
祖母が居てくれ しかも映画館まで歩いていける
この環境にいるからだろう。この機会は逃せない。


 そうして楽しみに観たこの映画 は 想像以上に
深く私に入ってくれて わかるわかる!!この苦しみ!と
思ってしまう。特に結婚式の前夜祭で「結婚なんて最悪よ!」と
ついもらしてしまった既婚女性のその想い。彼女は「つい
はずみで」なんて弁解をしてはいたけど ずうっとそんな想いが
なければ そんな日にそうは言わないだろう。
結婚をすることを みんな「おめでとう!!!」と言うけれど
女にとって 自由に生きてた女にとって
好きに生きてきた女にとって 結婚は幸せを意味するかなんて
なかなかそうは思えない。


 けれどもその一言が発端なのか 新郎に急に結婚自体を躊躇され
結婚式に行くことを踏みとどまられた新婦が路上で自暴自棄になる。
そんな気持ちも そしてそれから何もできなくなってゆく
そんな気持ちもよくわかる。私もかつてパリの路上で
国際電話をした際に 急に結婚を延期にしようと切り出され
自暴自棄になって死んでしまいたい気持ちになった。
そんなことが 思い出された そのころはそんなにも
結婚したくて やっぱり何かに憧れていて
けれども今は既婚女性の苦しが 痛いほどによくわかる。


 結婚は してみないと できないけれど
しないままでは どんな風に言われてみても
憧れが苦しみをすぐ上回り 「まあ私たちなら大丈夫!」と
思えてしまう力があるのだろう。だけど本当は
そんな思いはみんなしていて そんな思いをしていた人が
あとになって離婚をしたり「結婚は忍耐だ」と
口にするようになるのだろう。けれども何が辛いのかって
なかなかうまく言葉にできはしなくて だからなんだか伝わらない。


 どうして人はこんなにも自由に生きて
自由に相手を選べる時代になったのに
世界的に離婚が非常に増えたのだろうと思ってたけど
今日の映画で悟ってしまった。それは女性が自由になったから。
今日はこんな言葉があった。
「あなたのことも大切だけど 私にとって
自分はもっと大切なのよ!」自分よりもあなたのことを
大切にしつづけて 自分のことができなくなってく
そんな人生にふと気がついて 自由な誰かや かつての自分が
うらやましくて 何かの機会に自問自答してしまう。
そうしてこんな言葉があった。
「久しぶりに自分を取り戻した感じがする」のだと。


 一人でずっと生きていくのは淋しくて
そして恋人を求めてみるけど 恋いに落ち て
「結婚しよう!」とその絶頂のような そんな言葉を
発したときから 見えないラインで 二人の関係は変わり初めて
女達の人生は 次のステージに移り始める。
その人生は 憧れでも 華やかな式とも全然違った
掃除 選択 料理など の 終わらない日常の繰り返し で
華やかに生きてた人でも 普通に生きていた人も
本当は誰も変わらない。特に子供が生まれてみたら
自分の母がしてきたことと 何も変わらぬ日常で
自由に生きてきたはずなのに?と 強い葛藤が待ち受けている。


 自由と孤独は紙一重 で 映画の中には「家族がいる
よさっていうのは大晦日の日に一人でチャイニーズフードを
食べないで済むって事ね」という台詞があったけど
家族があって お互いがお互いに責任を持ち
そうしてお互い縛ってしまって 自由はどこかに飛んでゆく。


 独身女性がうらやましいとは もうそんなに思ってないけど
子供の笑顔はかわいいけれど 自由がないとは言ったところで
時間には縛られなくて それが自由かもしれないけれど
こういう状況になったからこそ 本が書けたのはあるけれど

 だけど映画を観てしまうと 色んな事がうやらましい。
私も女友達と素敵なところでランチしたいとか
ニューヨークに住んでみたいとか
海の見えるリゾートに行ってみたいとか
ワインとチーズが食べたいだとか


 そんなことを思うけど


 久方ぶりの明治屋に 帰りに立ち寄る時間があっても
かつて買ってたパスタたち も こんな時くらい
ちょっと食べたいチーズたちも ワインもハムも
パスタソースも もちろん冷凍食品も
フランスの焼き菓子たちも みーんなみんな
食べられなくて 結局買うのは胡麻油。
そして食べるのはご飯に味噌汁 あーニューヨークがうらやましい!


 自由な女をたくさん生んだ パリやニューヨークの映画だからこそ
彼女たちは その葛藤を沢山表現してくれて
自由になった日本で生きた 私もそれがよくわかる。
自由だからこそ得られたものも 自由なだけじゃ得られぬものも
無責任な楽しさも 責任を負ってるからこそのじんわりとした
楽しさも どっちも存在するのだろうけど
もうステージは変わってしまって 人より早く結婚をして
子供を産んだ 自由な私の行く先は 一体どんな なのだろう?
もうちょっと映画を観たら 何かヒントが見えるのだろうか
それとも自由に憧れてただ葛藤をするんだろうか。

 沢山の生き方が交錯する中 私も素敵に生きてみたいけど
いつの日か どこかに到達できるのかなあ
自由に生きてしまった私は まだまだ不安を抱えてる。

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