成功する人と、しない人の差はどこにあるんだろう。
たくさんの財を手にするということもあるが、
僕の言う成功とは、
毎日に生き甲斐を感じ、
幸せに生きていると思える自分がいるかとうことだ。
たくさんの財を手にしたのに不幸な人もいれば、
大したお金もないのに、幸せな人もいる。
では、成功しない人々に共通して言えることとは何だろう?
環境の選択を間違えた人、
頑固に軌道修正を拒む人、
自分しか見えていない人、
自分に都合の良い、やりたい仕事だけを頑張って、
一生懸命でない一生懸命を正当化する人、
やるべき役割を理解できない人、
ズルイ人、不平不満だけで生きている人、
欲望の塊の人、甘えていることが理解できない人、
能力はあるのに、自分の力で生きていこうとしない人、
言い訳が大好きな人
と、成功しない人々の行動パターンは色とりどりだが、
さて僕は、成功者だろうか?失敗者だろうか?
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議員生活をリタイアした今「果たして自分は?」と
振り返ってみると、学院長の説では成功した方かなー
と言えるかも知れない。
なぜならば、たいした財は残さなかったが
毎日に生き甲斐を感じているからだ。
特にIBSにこてからは、今までにない生き甲斐を感じている。
一方、成功しない人々に共通して言えることを、
私の今までの自分について、消去法で照らし合わせてみても、
成功しなかった方ではない。
これまで支えてきてくれた家族やみんなに感謝、感謝・・・。
これから棺おけに入るまでは、どうなるか分からない。
成功した人生だったとするためにも、もっともっと
生き甲斐を求めていきたい。この学院で学んだことを糧に。
「人が人を裁くことはできない。天が裁く。」と目にしたことがありますが、地球という同じ天体に寄生する私たちは 動くべきことと流れをとめて、静止すべきことを見極める時ではないでしょうか。
開発、発展のみが生命体に幸せをもたらすとはいえません。ほんの少し時代を逆戻りさせる勇気も必要ではないだろうかと私は考えます。人が人らしく幸せなときってどんなときでしょう。人や動物との語らいがあり、読書、音楽、スポーツなどの趣味に親しむ時間があり、「足るを知る」暮らしを営めることができれば、おおむね100点と堂々といえる時代に戻ればいいのになあ~と思います。みなさんどうですか(このせりふ、最近いろんな小学生が発表のときに言いますね。これを聞くとその健気な姿に目じりが下がる私です。ちなみに先日は民主党の菅氏が使われてましたが・・・)皆さん いい週末をお過ごしくださいませ。
私はよく、何かにつけてもっともらしい理由をつくり自分を正当化しようとする。そんな自分が大嫌いで自己嫌悪が溢れ出す。
一昨日も、悲しい事があった。
どうしようもない、取り返しのつかない事。
私は彼らのために、多くを学び、多くの喜びを人と共有し、幸せにならなくてはならない。
頭ではわかっていても、私は自分を責めずにはいられない。
毎日病院に通い、目覚めぬ友に涙を流す。服を着替えて学校につくと、みんなの笑顔にほっとする。
私にとって、学校は救いで、みんなは安らぎになっているのかもしれない。