母は、今泉の武家であり、家老職の血を引くとの話を聞いていたので、篤姫のことは子供の頃から知っていた。
でも、ただボンヤリと素晴らしい姫さまであったというだけのことである。
時は流れて、父方母方の系図に興味を持ち始めたり、教育界で近代史論争が巻き起こったり、今年のNHK大河ドラマでクローズアップされるようになると、人事ではなくなった。
学院でも、「薩摩は英語ができる」をメインテーマに掲げることにした。
鹿児島の錦江湾を望むドルフィンポートの一角に篤姫館もオープンした。
鹿児島が起爆剤になって歴史が動いたことを証明する史実である。
鹿児島のアピールにとっては、千載一遇のチャンスである。
今日は、小雨の中、課外授業として篤姫館を見学することにした。
でも、何かが足りない?見切り発車的な感が否めない。
思いっきりがない。大胆さがない。
公の力と民の力が一つになっていない。
一過性の香りがする。
そんな悲観的な思いが頭をよぎった。
でも、まだまだ間に合う。
もっともっと大胆に、斬新に、命を吹き込むように、様々な豊かな知恵を加えて、鹿児島という町の町興しの一躍を全身全霊で担って欲しい。
僕自身も何かをしなければ・・・・
後ろ髪をひかれる思いで、冷たい冬の雨に打たれながら、篤姫館を後にした。
私は歴史的には東京裁判のころに少し興味があります。今の日本とアメリカのあり様が違う流れにもなりえたのではないかと知りたいことが多いです。地元の大学にもその研究をされている先生がいらっしゃるとNHKで知りました。息子が無事その大学に合格しましたら、彼にくっついて学生食堂にもぐりこんで?お目にかかることはできないかなとささやかな夢を思い描いています。夢は叶う。小さい夢、大きな夢
日々抱きながら生きていたいですね。こんな私にも歴史は流れ、やがて土に帰ります。さて、今日はこれからコブクロのCDを買いに行きます。言葉を大切にする小渕さんは時代の救世主のように思えてなりません。南院長に継ぐ?時代に輝きを与える人だとおもいます。先生も是非「風見鶏」聴いてみてください。