「 勉強したいから勉強する」という人が、どれくらいいるのだろうか?
教えるということを仕事としている自分としては、いつも疑問に思う。勉強の全てが就職採用優先だからだ。
大学院レベルの専門や資格は否定しない。しかし、雇用者の多くが査定するのは、人物考査というよりは資格重視だ。教養や哲学を勉強したか否かは大した問題ではなく、相も変わらず、紙くずのような資格を基準として、採用・不採用を決めている。だから学生は、資格のために勉強するしかない。
採用条件に「学歴不問・資格不問」と唱えるような会社が、もっともっと増えることで、若者は本物の学問を求めるようになるだろうし、素晴らしい人材が続々と誕生してくるような気がする。資格は結果であり、目的ではない。大学在籍は、一年でも、二年でも、三年でも、十年でもいいし、大学というタイトルを全て取って、学問を求める場所は、全て、寺子屋のような学び舎とすればよい。こんな教育の場こそが学府であり、日本の文化の原点であるような気がする。IBSは、まさにそんな学校だ。
素晴らしいコメントありがとうございます。我流で生きている僕をこんな風にご理解頂いて、ちょっと照れてしまいますが、やっぱり頑張らなくっちゃあ!と思う今日この頃です。
南の風がいつも爽やかに吹き渡る IBS外語学院は 私にとっても まさに心の
オアシスです。ちょっと近くまできたもんだから~なんて立ち寄ってしまう私を皆様が暖かく迎えて下さいます。親戚のおじ様でも訪ねたくなるような感じでしょうか(失礼)鹿児島は日本の歴史を動かしたと自負する人も多いですが 院長の視点はいつも、より広い世界に投げかけられ 多くの若者に 自己の足跡を固め 自分史を堂々と築いていく勇気を与えてくれます。歴史上の偉人と呼ばれる人々も、与えられた環境や運命を受け止めて精一杯生き、その真摯な生き方は今もIBSの学院生や卒業生の皆さんにも淡々と引き継がれています。え?私?ただの夢見る夢子ですね・・・
昔もこんなにのんきに世の中を眺めていたおばさんっていたんでしょうね。龍馬がいるからいい時代がくるんじゃない?とか南先生に直訴してみようとか風のふくまま気の向くままに、大義名分に左右されることもなく有難い時代を生きています。息苦しくなるようなことも多い現代ですが、どの時代にも与えられた しっかりと考えて個々
の生命を大切にするという使命を忘れずに謙虚にありたいものですね。いい毎日を。
自分が勉強をする理由は、単純に自らの知識欲からと、いつか誰かの役に立てればと思えばこそ。
いつの日にか、何か一つでも人に伝えられるだけの学問を持ちたいものです。
院長がんばれーー♪♪
私もファイナルがんばります。。★
もうすぐウキ②の夏ー♪♪