インド独立の父、マハトマ・ガンジーの言葉に
「明日死ぬと思って今日を生きよ、
永遠に生きると思って今日を学べ」
というメッセージがある。
今日をどのように生きるのがいいのか?
明日死ぬと思ったら、
何を学ぼうとするのだろう?
何をしたいと思うのだろう?
やりたいことをリストアップしてみたらいい。
やりたいことが、山ほどある人と、
別に何もないという人と、
どちらが幸せなんだろう?
おそらく僕は、
永遠に生きると思って学び続けるだろう。
何のために学ぶのか?
そんなことはどうでもいい。
ただひたすらに、学びたいから学ぶのである。
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確かに死ぬ事は恐ろしい。今まで築いた財産や経験、友との友情が一瞬にして失われる。
でも僕は『死』が終わりとは思わない。『死』から始まる新なら世界があると信じている。
今までの人生から卒業し、また新たな『生』が生まれると信じている。
でもこの人生でしか学べない事もある。だから今を生き、明日への希望を見出だそうと生き続けたい。
人間は自分の存在の終わりである死を自覚できる存在である。
しかし死を直視することは非常に恐ろしい。だから私たちはそれから目をそらし、ひと(世人)となる。
その「ひと」から本来の自己を取り戻すとき、やはり死を直視しなければならない。非常に恐ろしいことであり、勇気が必要だ。
わたしがこのコメントを書き終わる頃にも私は確実に死に近づいている。
私はこれを熱く訴え授業をしてくださった高校の先生にとても感謝している。