学生たちの幸せ一杯の笑い声がうるさいと苦情が来た。
スピーカーで怒鳴り散らしている
どこかの団体の大声には沈黙を保っている。
強いものには弱いが、弱いものには強い大人たち。
こんな大人が多いから、
若者達が、犯罪者のように、ネズミのように、
影でこそこそ行動するようになる。
大人が嫌いになる。
陰湿で、暗い、カラオケルームのような部屋以外は
思いっきり元気に語り合い
大声で笑える場所は消えてしまった。
若者の元気一杯を殺したら
日本に未来はない。
真夜中の騒音ならまだしも
昼日中、町の真ん中で静寂を求めるのなら
耳に栓をするしかない。
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でも、笑い声が絶えない学校って、今の日本にどれだけあるんだろう?って考えると、すごく貴重なんじゃないかって気づきました。
笑うことは幸せを呼ぶこと。
幸せを呼んでいる人を許容できる余裕があるのは、やっぱり幸せなことなんだろうなぁ、って思います。
自分が幸せじゃないと、やっぱり他人の幸せは許容できないのかな、と。
物事にはコレという答えはなくて、必ずそれにあたいする側面があるものです。
その側面を考えすぎると人は何もできなくなってしまう気がします。笑顔や楽しむことでさえも。
生きることの意味さえわからない私には笑顔と楽しむことをとったら死んでるも同然だと思います。
『変えられるものは自分と未来だけです』と松下先生がおっしゃっていました。
ならば、うるさいと思う人が静かな場所に行けばいい
静かな場所に行けば人の笑顔を奪うことをしないで自分を満足させられるだろう。
でもなかなか人は自分を見ないんですね。
自分が思う以上の満足でなければ満足と感じないんですね。
こう思うと本当に人間は贅沢な生き物ですねw笑