「強いられる喜び」なんて書くと
マゾヒズム的にとられるかもしれない
でも、決してそうではない
人間は本能的に自由に生きたいと願う
この自由という言葉がくせ者だ
この自由を手にするためには
たくさんの不自由を体験しなければならない
労働、約束、整理整頓、掃除洗濯、思いやり、親孝行、友愛、一生懸命
失敗、我慢、忍耐、義理、サバイバル、ボランティア、質素倹約、自己犠牲
あげればきりがないほどに
自由を手にするための不自由がある
この不自由の体験の積み重ねで
「強いられる喜び」の意味が理解できるようになる
自由を手にするために強いられるのだと理解できるからだ
不自由の体験の少ない人ほど
利己的で
いつも不幸せな顔をしている
高学歴
たくさんの物
たくさんのお金を手にしたのに
そこには自由がない
哀れな人々だ
学問も
お金も
物もないのに
それでも
不自由を拒否する人々は
永遠の苦しみから逃れることはできない
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