語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【本】シンプル・ライフ、自立、読書 ~『波止場日記』~

2016年05月21日 | ●エリック・ホッファー
 (1)エリック・ホッファーは、7歳にして母を失い、同年、不明の原因により盲目となった。15歳の時、失明したときと同じく突然に視力を回復した。18歳で父と死別。レストランの皿洗いをふりだしに職を転々としながら図書館で独学した。
 34歳の冬、転機がおとずれる。一冊の本とともに一人鉱山にこもり、『エセー』を三度読みかえした。モンテーニュとの出会いに必然性はなかったが、出会いの結果は運命的であった。「生まれて初めて、私にもこういったものが書けるかもしれないと考えた」
 読む人から書く人へと立場をかえたのである。

 (2)1969年に刊行された本書は、二つの著書を刊行したあと、思索の危機を感じて書きはじめた日記である。ホッファー、ときに56歳、沖仲仕。
 日記は、1958年6月1日にはじまって翌年5月21日に終わる。事の性質上、前後の脈絡はとくにない。日々の出来事、観察、想念が断片的に綴られる。断片的ではあるが、繰り返し書きこまれる話題があって、おのずから関心の所在を示す。
 関心は、おおきく二つに分けることができる。

  (a)波止場ではたらく人々である。組んで作業するパートナーの人となりは、頻繁にスケッチされている。そして組合、組合活動家。ホッファーが好んでとりあげるのは、普通のアメリカ人である。つまり同僚であり自分のことであり、大衆のことだ。大衆の対極にたつのが、知識人である。ホッファーにとって、知識人は労働に従事しないばかりか、労働する人を言葉によって操作、管理、支配しようとする胡乱な存在にすぎない。
   <午前10時。組合の集会に行った。抽象的な問題についての議論の浅薄さと実際的な問題の処理の独創性とが、今日も対照的であった。集会の前半ははまったく退屈。ソーベル事件が主題。後半の議題は組合本部の貸借およびくず鉄仕事のぺてん師の処分方法について。提案された解決法は独創的で簡潔なものであった。簡潔さは頭の切れを感じさせる>
   <たびたび感銘を受けるのだが、すぐれた人々、性格がやさしく内面的な優雅さをもった人々が、波止場にたくさんいる。この前の仕事でアーニーとマック--あまり面識のないかなり年輩の連中--としばらく一緒になったが、ふと気づくと、この二人はなんと立派な--寛大で、有能で、聡明な--人間なんだろう、と考えていた。じっと見ていると、彼らは賢明なばかりでなく驚くほど独創的なやり方で仕事にとりくんでいた。しかも、いつも遊んでいるかのように仕事をするのである>

  (b)読書と思索である。読書は、随時、仕事の休憩時間にもおこなわれる。亡命作家の回想録からアラブ現代史まで、手にする本のジャンルは幅広いが、ことに現代史に対する関心が強い。常にノートをたずさえて書きこみ、いっぱいになると検討する。保存する価値のある引用文や思想は、別のノートへ写しとる。こうした作業のうちに、次の著作の主題が煮つまってくる。変化である。洞察は、日記にも記される。<もし南部のニグロが真の平等を得たいのなら、ニグロは自分の力で闘いとらなければならない>

  (c)(b)の自分の力で闘いとるとは、ホッファーによれば、たとえば優秀な職業学校、あるいはモデル相互扶助組織である。独立と自由。生活はごく簡素である。
   <私が満足するのに必要なものはごくわずかである。一日二回のおいしい食事、タバコ、私の関心をひく本、少々の著述を毎日。これが、私にとっては生活のすべてである>
   <自分のいだいている観念を考え抜くためには知的孤立が必要である>
   <私は緊張するのだが大嫌いなので、野心をおさえてきた。また、自己を重視しないよう、できるだけのことをしてきた>

 (3)本書が閃光のように照らし出すのは、米国の開拓時代以来脈々たる伝統のうち最良の部分である。労働のなかで読み、かつ、思索するシンプル・ライフである。

□エリック・ホッファー(田中淳・訳)『波止場日記』(みすず書房、1971)
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