
「いまの政治は、議員責任内閣制ではなくて、官僚無責任内閣制だ。このまま放置すれば太平洋戦争が一体誰の計画で、誰の信念と決断で、何を目的に、なぜ始まったのか、そして国家予算としてのGNPの何年分かけたのか、未だにわけがわからないように、国家戦略も存在意義も明白でないままに、誰も責任のとりようがない成行きで、今日の日本も再び凋落衰退する恐れがある」
「役人を30年もやっていれば、みんなどこを直せばどうよくなるか、直さないとどんな結果になるか、ようく知っているのに誰も何もできない。各省庁で危機意識に目ざめて、モノ申した優れた官僚は皆追い出されるか、飛び出してしまう」
例えば、堺屋太一(通産省)、柿沢浩治(大蔵省)、岡崎久彦(外務省)だ。
「激烈な競争を勝ち抜いて次官候補まで迫り上がってきた各省のエリート官僚の30年間の経験・知識・ノウハウは大変なものだ」
「60歳定年制といってもその期のトップだけが定年までやれるのであって、他の優秀な人材が50幾つで役所を去り、公団だの民間企業に“天下り”して、縦割りのまま第二の人生を事務所、秘書、運転手付き、現役と同額かそれ以上の年収を保証されて、週刊誌を読み、ゴルフ三昧を数年間やり、後輩に押し出されてまた一格低い第三の人生に移行・・・・。/そんなバカなことはない。本来なら国立の役人OBシンクタンクに一定期間吸いとって国家社会、天下国家のために役立てるべきなのだ」
ということで、佐々は、各省庁のこれぞと目をつけたOBたちに呼びかけ、私設シンクタンク「醍醐の会」を組織した。
その活動は、月1回の昼食会がベースだ。ゲスト・スピーカーとして、後藤田正晴を招いたこともある。1989年8月から2005年11月まで150回の会合をもち、当初の11人から逐次新会員を加えて35人に増えた。途中、遠山敦子・文部科学大臣、岡本行夫・総理補佐官ら閣僚級の人材を出した。
□佐々淳行『後藤田正晴と十二人の総理たち -もう鳴らない“ゴット・フォン”-』(文春文庫、2008)
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