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語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】野口悠紀雄の、1980年代の大政治家たち ~巧みな大衆操縦術~

2010年09月24日 | ●野口悠紀雄
 『経済危機のルーツ』は、日米の、経済危機に先立つ大繁栄の時代を振り返る。
 そして、この経済史に、その時代を生きた野口悠紀雄が個人的に見たもの、聞いたものを挿入している。一種の知的自伝である。
 ここでは、第2章「経済思想と経済体制が1980年代に大転換した」から、本筋とはやや逸れるが、英米ソの大政治家の話だけ抜きだしてみる。

 ケネディ暗殺後の大統領は、ぱっとしない人ばかりだった。政治リーダー欠如が嫌というほど続いた後、登場したのがレーガンだった。
 野口は、レーガンを「偉大なコミュニケーター」と評価する。
 レーガンが狙撃されて重症を負った事件のしばらく後、共和党政治集会の会場で風船が次々に炸裂した。「また狙撃犯?」と会場がざわめいたとき、レーガンいわく、「奴はまた失敗した」。
 会場は爆笑の渦に包まれた、という。
 「当意即妙のジョークでかわせる技術というのは、政治家にとって不可欠の能力だ。とくに、都合の悪い質問や意地悪質問を受けたときに、大変重要な能力だ。攻撃されたら、むきになって起こったりせず、ジョークでやり返すのが政治ゲームのルールだ。ニクソンが不人気だったのは、そうした能力に欠けていたからだろう。しかし、レーガンにはその才能があった(ありすぎるほどあったと言える)」

 1984年の大統領選で、民主党候補はモンデール副大統領だった。テレビ討論会でボルチモア・サン紙の記者から、高齢だと激務に耐えられないのではないか、と嫌な質問された。
 が、レーガン、ちっとも騒がず、「そんなことは決してありません。(ここで一息つき、相変わらず深刻な表情で)私は年齢の問題を政治的な争点にするつもりはありません。したがって、私は、対抗候補の若さと経験のなさを、政治的に利用しようとは考えていないのです」。
 会場は爆笑に包まれた。モンデールも思わずつられて笑ってしまった。
 「追い込もうとした記者は、レーガンに完敗しただけではなく、彼に政治的得点を与えてしまったのだ。この選挙でレーガンは、モンデールの地元であるミネソタ州を除く49州を獲得するという地滑り的・歴史的勝利を実現した」

 野口は、レーガンの巧みなやりとりを二つ紹介しているが、次はその一つ。
 <質問者>レーガンさん、どうして俳優が大統領になれるのでしょうか?
 <レーガン>「大統領が俳優にならない」なんてことができるでしょうか?

 意地の悪い質問や批判・追求に対して、それを逆手に取って返し、得点をあげてしまう、という技術に、サッチャーも長けていた。
 サッチャーの在任期間が10年を超えたとき、記者会見で、
 <記者>あまりに長期の政権は、民主主義の精神からして望ましくないのではないか?
 <サッチャー>あなたはミッテランのことを非難しているのか。
 会場は、爆笑の渦に包まれた。
 ちなみに、フランソワ・モリス・アドリヤン・ミッテランは、フランス第5共和制第4代共和国大統領を2期14年にわたって務めている。

 また、サッチャーは、議会で「動物擁護法案」が通過する際、野次をとばす反対派の野党に向かって一喝した。
 <サッチャー>お黙りなさい! この法律はあなた方をも保護することになるのです。

 ゴルバチョフには、面白いアネクドートがない。これがブレジネフとの違いだ。ブレジネフには沢山ある。
 例:ある男が赤の広場で「ブレジネフは馬鹿だ」と言った。彼は逮捕され、20年間の懲役刑を宣告された。10年は「国家元首侮辱罪」。あとの10年は「国家最高機密漏洩罪」。
 ・・・・ブレジネフは、「このアネクドートを作ったのは俺だ」と言っていたそうである。
 
【参考】野口悠紀雄『経済危機のルーツ ~モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか~』(東洋経済新聞社、2010)
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