語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【本】不屈のジョン・ブルたち ~『エンデュアランス号漂流』~

2010年09月07日 | ノンフィクション
 英国は、探検家を輩出した。ロバート・F・スコットもその一人である。1912年1月に南極点に到達した。
 しかし、世界で初めて南極点に立つ栄誉は、わずか34日の僅差で、ノルウェーの探検家ロアルド・アムンゼンに奪われた。帰路、スコットたちは遭難し、ふたたび故国の地を踏むことはなかった。
 ジョン・ブルは、スコット隊の悲劇から間をおかず、ふたたび南極へ挑戦する。
 名乗りをあげたのはアーネスト・シャクルトン卿であった。折しも第一次世界大戦が勃発したが、当時の海軍大臣、ウィンストン・チャーチルの激励を受けて、一行28名は旅立った。
 1914年12月5日、南極にもっとも近い捕鯨基地サウスジョージア島を背後にして南進を試みた。しかし、ウェッデル海を1年近くさまようだけで終わった。
 1915年11月21日、エンデュアランス号は沈没した。

 本書は、母船の沈没からはじまる。
 極度の寒気に強風、よって立つ流氷の崩壊、といった自然の猛威に加えて食糧が不足した。さらに燃料が不足した。隊員の体力は消耗していった。
 この危機に、シャクルトンはよく指導力を発揮し、一行をエレファント島に導く。ひとまず安堵の吐息をつけた。
 とはいうものの、このまま無為無策ですごせば全滅が待っている。
 1916年4月24日、シャクルトンは5人の仲間とともに全長6.7メートルの小艇で出発した。めざすはサウスジョージア島、800マイルのかなたである。
 風と波に翻弄される苦難のはて、5月10日、目的地に着いた。
 そして、悪天候に再三阻まれながらも、シャクルトンはついにエレファント島へ救助船を送りこんだ。8月30日のことである。隊員は全員生還した。
 島に残った隊員の気質と行動はさまざまだった。独善的で要領のよい者がいたし、気むずかしくて同僚と折りあいのよくない者もいいて、小さな波乱はあった。しかし、隊員たちは、物資が乏しいなかで創意工夫をこらし、ともかく力をあわせて生きのびたのである。

 『エンデュアランス号漂流』は、史上初の南極大陸横断、という目的を達することができなかった。
 この点で、敗者の記録である。しかし、勝者の記録よりも貴重である。逆境にあって、人間性の最良の部分が発揮されているからだ。『アナバシス』のクセノフォンとギリシア傭兵がそうであったように。
 かれらに共通する最良の部分とは、ひと言でいえば「不屈」である。

□アルフレッド・ランシング(山本光伸訳)『エンデュアランス号漂流』(新潮文庫、2001/(木村義昌・谷口善也・訳)中公文庫、2003)
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