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語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】野口悠紀雄の、法人税率を高くしないで税収を増やす法 ~「超」整理日記No.536~

2010年11月08日 | ●野口悠紀雄
(1)2011年度税制改革の焦点
 焦点は法人税率引き下げである、とされる。法人税実効税率の高さを理由とする。

(2)法人税の実状
 分母に(税務上の利益ではなく)会計上の利益をとると、法人の実際の負担率はせいぜい30%程度にすぎない(「超」整理日記No.530)。
 不況期には企業会計上の利益と税務上の利益の乖離が拡大する(「超」整理日記No.531)。いまの日本ではほとんどの法人が法人税を払っていない。2009年度の黒字法人は、25.5%にすぎない。
 法人税を払っていない企業にとっては、法人税率を下げたところで何の関係もない。

(3)企業が負担する社会保険料の高さ
 法人税の課税所得が赤字であっても、企業会計上も赤字であるわけでは必ずしもない。驚くべし、かかる基本的な事実を認識しない議論が経済政策決定の場で堂々とまかりとおっている。
 法人税は企業の利益に対して課される税なので、企業にとってコストになるわけではない。
 企業にとっての公的負担でもっとも問題なのは、社会保険料の事業主負担である。2010年の「国民負担率」からすると、概ね9%近くが事業主負担だ。法人所得課税の3倍に近い。しかも、利益の有無にかかわらず生じる負担だから、企業のコストを高めることになる。
 「公的負担が企業のコストを高める」と主張したいのであれば、法人税ではなく社会保険料を問題にするべきだ。
 しかも、厚生年金は、基礎年金制度を通じて国民年金の負担の一部を負っている。国民年金保険料の未納が増えると、厚生年金の負担が増える構造になっている。問題視するべきだ(もっとも、企業にも責任はある。企業が非正規雇用を増やした結果、それまでなら厚生年金に加入していたはずの労働者が国民年金の対象とされたのだから)。

(4)法人税改革の方向
 日本の法人所得課税の対GDP比は、1.5%でしかない。英国、伊国、韓国の4割だ。法人負担は高いのではなく、低い。
 こうなるのは、赤字法人が多いからだ。
 1970年代頃まで、赤字法人は全法人の3割程度でしかなかった。1980年代に赤字法人が増えたが、5割程度だった。1970年代になって、7割程度に上昇したのだ。
 つまり、現在の法人税のしくみは、日本企業の利益率低下に適切に対処していない。
 現在の法人税の問題は、負担が全体として重いことではなく、一部の企業に集中してかかる点にある。
 だから、なすべき改革は、税率引き下げではなく、課税ベースの拡大である。たとえば。付加価値は全企業で263兆円程度あるから、これを課税ベースとすれば、5%の税率で13兆円の収入になる。
 利益はかなりの程度操作可能だが、付加価値は操作できない。したがって脱税や節税をしにくい。公平でもあり、経済活動を攪乱することが少ない。
 「広く薄い」課税。これが、来年度予算に係る法人税改革において採るべき方向である。

【参考】野口悠紀雄「法人税引き下げでなく課税ベース拡大が必要 ~「超」整理日記No.536~」(「週刊ダイヤモンド」2010年11月13日号所収)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、さらに失われる10年の入り口に立つ日本 ~「超」整理日記No.535~

2010年10月31日 | ●野口悠紀雄
(1)経済構造の大変化
 7~9月期の実質GDPは、マイナスになる可能性が高い(輸出伸び悩み、エコカー買い換え補助終了)。
 政府は、10月の月例経済報告において下方修正し、「足踏み」とした。しかし、これからの日本経済は、むしろ「下落」する。
 経済構造が大きく変ろうとしている。景気変動より、重要な問題だ、
 その重要な指標は、為替レートだ。9月中旬に介入が行われたが、効果は一時的だった。03年、04年の介入と異なり、現在の環境では恒常的に円安にすることはできない。先進諸国が金利を引き下げているからだ。それに、世界の1日の為替取引額は4兆ドルである。2兆円程度では流れを変えられない。損失を被るだけだ。
 07年頃までの円安にはもうできない。企業戦略や経済政策は、円高が今後も進むことを前提として考えねばならない。
 生産拠点の海外移転は、今後さらに進展するだろう。その結果、設備投資・雇用が増えないだけではなく、国内に膨大な過剰設備・過剰雇用が残される。
 いまの日本が直面しているのは、景気の問題ではなく、構造変化である。

(2)補正予算案
 ところが、大多数は、いまの日本経済の問題を景気変動としてしかとらえていない。これが補正予算案にも明確に表れている。
 今回の補正予算案は、自民党時代に導入された政策の延長が中心だ。緊急避難策であり、雇用情勢や産業構造を変えるものではない。むしろ従来の構造の温存が目的だ。
 「対策はとっている」との言い訳のための補正予算案だ。未來への展望を開くものではない。このままでは「さらに失われる10年」になる。
 今回の補正予算案で唯一評価できるのは、公共事業である。都市のインフラ整備は重要な課題だ。高度なサービス産業実現のためにも、不可欠である。
 経済危機の経済対策として、建設国債の発行による公共事業増はありえた。日本のインフラストラクチャの状況は大きく変わったはずだ。千載一遇の機会を取り逃してしまった。

(3)経済成長に必要な高度サービス産業
 日本企業海外移転の理由の一つは、社会保険料の事業主負担だ。しかし、軽減は困難だし、少しばかり軽減しても企業の決定に影響しない。
 介護分野で100万人単位で雇用を吸収できるのはたしかだ。しかし、介護だけで日本経済全体の状況は変わらない。
 どうしても必要なのは、新しい産業だ。高度なサービス産業である。すぐに実現できることではない。また、即効性はない。しかし、もう20年もの間、「即効性のあるもの」という緊急対策しか行ってこなかったから日本は衰退したのだ。場当たり的対処からの脱却こそ、いま求められている。
 製造業に期待する「モノづくり大国」論者に欠けているのは、国際分業の視点である。新興国工業化を前提として、日本が比較的優位を持ちうる分野は何かを考えねばならない。現実にすでに製造業が日本を脱出しつつある。日本は大きな転換点にさしかかっている。
 高度な先端的サービス産業のために、人材育成がなによりも必要だ。20年以上放置されてきた課題である。

【参考】野口悠紀雄「さらに失われる10年の入り口に立つ日本 ~「超」整理日記No.535~」(「週刊ダイヤモンド」2010年11月6日号所収)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、「『自然との共生』賛美」批判 ~自然・考~

2010年10月29日 | ●野口悠紀雄
(1)「自然との共生」などありえない
 1950年代までの日本は、東京のような大都市においてさえ、自然が身近にあった。「ハエたたき」や「ハエ取り紙」は必需品であり、寝る時には蚊帳を吊った。
 当時、小学生が寄生虫を体内に飼っているのは普通で、小学校では定期的に検便が実施され、虫下しを飲まされた。生物学的に「寄生」は「共生」の一形態である。「自然との共生」を是とする限り、寄生虫との共生関係を拒否することは絶対にできない。
 高度成長のなかで、こうした自然との「共生」関係を克服し、自然を屈服させた。ハエやカに囲まれる自然環境より、現在の人工的環境のほうが快適だ。我々は自然と共生しているのではなく、自然を制御し、克服することによって文明生活を享受しているのだ。多くの日本人は、この状態からもはや後戻りできない。
 「共生」を「共存」と言い換えるなら、人間は勝手でわがままな基準を設け、共存の対象を選別しているのだ。多くの人が望むのは、無差別共存ではなく、ましてや(意味不明な)「共生」ではなく、自然の「制御」なのだ。

(2)「自然との共生」の何たる無責任さ
 人間が勝手に制御している「自然」は、動物や植物だけではない。河川もそうだ。日本の河川の大半は、自然改造事業によって、人間の生命と財産を守っている。
 最貧国の悲劇は、凶暴な自然と共存しなければならないことによって生じている。バングラディシュの国土の大半は低地であるため、慢性的に洪水被害が発生する。それによる死者は、無視できない数だ。死者の大部分は、水中でコブラに噛まれることによって生じる。
 残酷な被害をもたらすのが自然環境である。「自然との共生」とは、かかる事態を甘受せよ、という結論につながることを認識しなければならない。
 しかも、自然の力はあまりにも強大であるため、人間がいかに努力したところで、制御できるのはごく一部分にすぎない。自然の暴力と戦わざるをえない被災地の人々は、「自然との共生」という無責任きわまりないスローガンを聞いて、どう思うだろうか?

(3)かくも凶暴な自然環境の制御に必要な人間の叡智
 日本における環境破壊は、すでに深刻なレベルに達しているが、我々の決心次第では、その復元は今からでも遅くはないはずだ。
 自然の制御は、細心の注意を要する。生態系を破壊すれば、思いもかけぬしっぺ返しに遭う。
 いかに自然を取り戻したところで、元のままの生態系を破壊していることには変わりはないから、「自然の制御」をどこまで推進できるかはわからない。野生動物と共存したくらいでは、解決できない問題かもしれない。
 しかし、人間は文明的生活にコミットしてしまった以上、原始的な自然の生態系をそのままの形で維持するのは不可能である。我々は、できるところまで進む以外に方法はない。そのために必要なのは、人間の叡智である。

   *

 以上は、『日本経済は本当に復活したのか』第4章(企業の社会的責任論を排す)の5(共生賛美論を全否定する)による。
 本書は、「「超」整理日記」のまとめ(11回目)である。10回目以前にくらべると経済以外のテーマは減っている。経済以外の「テーマを取り上げる余裕がなくなった」(あとがき)からである。
 しかし、いくらかは経済以外のテーマも含まれていて、前述の「共生」賛美批判もその一つだ。

 野口悠紀雄の批判によって、「自然との共生」賛美は完膚なきまで粉砕された・・・・かのように見える。
 ちと割りきりすぎ、という気がしないでもない。
 「共生」賛美者といえども、2010年の台風13号が奄美大島にもたらした災禍を賛美してはいない、と思う。ましてや、サナダ虫を体内に飼うつもりはないだろう。
 「人間」賛美者といえども、検事という身分でありながら証拠を改竄する人間を賛美することはないだろうし、耳かき店の21歳女性店員とその祖母を殺害する人間を賛美することがないように。
 「自然との共生」を説く人の「自然」は、人間がその価値観によって(勝手に)選び取った自然(の一部)ではあるまいか。
 たとえば、志賀直哉『暗夜行路』の末尾、大山の中腹で主人公が目にする来迎。
 あるいは、ソローのウォールデン。
 もしくは、「工芸村オークヴィレッジ」村民にとっての飛騨高山の木。
 アニマル・セラピーを奉じる人にとってのコンパニオン・アニマルもそうだ。
 盆栽や枯山水を加えてもよい。
 自然の(人間にとって)良質の部分と・・・・たとえそれが制御された自然であろうとも、「共生」はあり得る、と思う。

【参考】野口悠紀雄(『日本経済は本当に復活したのか -根拠なき楽観論を斬る-』、ダイヤモンド社、2006、所収)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、日本の「ボランティア活動」はボランティアの活動か?

2010年10月28日 | ●野口悠紀雄


 『日本経済は本当に復活したのか』は、「「超」整理日記」のまとめ(11回目)である。10回目以前にくらべると経済以外のテーマは減っている。経済以外の「テーマを取り上げる余裕がなくなった」(あとがき)からである。
 しかし、いくらかは経済以外のテーマも含まれていて、次に取りあげるボランティア活動論もその一つだ。野口悠紀雄は、日本のボランティア活動の状況には首をかしげる、と述べ、概要次のようにいう。
 
(1)ボランティア活動を行う人々の年齢
 米国では比較的高齢の人だが、日本では若い人だ。ボランティア活動も重要だが、本来の学業や仕事はもっと重要だ。
 ボランティア活動とは、自らの生活基盤を確立したうえで、余暇の時間を使って行うものだ。

(2)ボランティア活動を大学の単位に認定
 大学の教育をボランティア活動で代替することはできない。ボランティア活動に単位を認めて教育責任を放棄すれば、大学は自らの存在意義を否定することになる。
 ところが、単位認定する大学が出てきた。
 事態はこれにとどまらず、文部省(現文部科学省)事務次官通知により、中学校の内申書にボランティア活動歴が書きこまれるようになった。こうなると、ボランティア活動は強制されることになる。

(3)有料ボランティア
 1時間当たり数百円の報酬が支給される。また、地域通貨を創設してポイント制を導入し、ボランティアのインセンティブを高めるべきだという議論もある。
 「有給ボランティア」もある。企業の有給休暇を使ったボランティア活動を認めるものだ。

 野口は、内申書については、はっきりと反対する。「戦時中の国家への献身要求を引き合いに出すまでもなく、自己犠牲の強要は、多くの場合に、権力者が若者を欺いて自らは利益を得るための手段以外の何物でもないのだ」
 そして、野口は、さらに有料ボランティアの問題点を指摘する。地方公共団体などの公共団体が、ボランティア活動を安上がりの労働力として活用し、その結果、介護サービスなどの供給がボランティアに依存してしまうことを恐れる、と。
 サービス利用者の立場に立てば、次のことを要求したい。

(a)気兼ねなくサービスを受けたい。恩義を受けているという意識は持ちたくない。
(b)サービスの内容や質について、選択の自由を確保したい。決まったメニューだけを押しつけられるのは困る。
(c)必要なときは確実にサービスを受けたい。受給者がサービスを要求できないようでは困る。供給者の都合が悪いときには得られないような不安定な供給体制では困る。
 
 これらの要求は、ボランティアでは満たされない。
 市場で供給されるサービスに対価を支払う経済的余裕がない人には、公的な補助を与えるべきである(供給者ではなく受給者に対して)。
 とにかく人手がほしい、という現場の切実な要求があるにしても、予算を要しない解決策としてのボランティア依存は、容易な解決以外の何物でもない。「こうした問題に関して原理原則をないがしろにすれば、やがては恐るべき結果がもたらされるだろう」

   *

 以上は、『日本経済は本当に復活したのか』第4章(企業の社会的責任論を排す)の4(日本の「ボランティア活動」はボランティアの活動か?)による。
 きわめてまっとうな議論だ。
 内申書に係る「戦時中の国家への献身要求」の端的な例は、神風特攻隊だ。大岡昇平は、次のように書く。
 「口では必勝の信念を唱えながら、この段階では、日本の勝利を信じている職業軍人は一人もいなかった。ただ、一勝を博してから、和平交渉に入るという、戦略の仮面をかぶった面子の意識に動かされていただけであった。しかも悠久の大義の美名の下に、若者に無益な死を強いたところに、神風特攻の最も醜悪な部分があると思われる」

 有料ボランティアに係るサービス利用者の側からする要求は、ボランティアの限界を示して、間然するところがない。
 すぐれたボランティアは、この限界を明瞭に自覚するボランティアだ。ボランティアは、プロの代替とはなり得ない。
 ボランティアでなくてはできないこともあるのは、事実だ。ボランティアの場合、サービスの提供・受給の関係を超えた深みで人間的なつながりが築かれることもある。プロの場合、プロ同士でこうした関係が成立することもあるが、プロと利用者との間においては、皆無とは言わないが、きわめて稀だ。
 例外的な状況はやはり例外にすぎない。
 精神的負担の払拭、選択の自由、安定的供給は、介護に限らず、サービスの受給・供給関係において必要欠くべからざる条件だ。

【参考】野口悠紀雄(『日本経済は本当に復活したのか -根拠なき楽観論を斬る-』、ダイヤモンド社、2006、所収)

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【読書余滴】野口悠紀雄の、1940年体制とは何か

2010年10月27日 | ●野口悠紀雄
1 財政金融制度
(1)金融システム
 産業資金供給は、戦前は資本市場を通じる直接金融方式を中心とした。これが、銀行を経由する間接金融方式へ移行した。 
 また、戦時金融体制の仕上げとして、統制色の強い旧日本銀行法が1942年に作られた。1998年まで日本の基本的な経済法の一つだった。
 戦時中に立法された「臨時資金調整法」や「資本逃避防止法」(を引き継いで作られた「外国為替及び外国貿易管理法」)を用いて、戦後の金融統制が行われた。
 メインバンクが資金提供だけではなく、企業の意思決定に大きな影響力をもつ。多くの場合、主要株主である。

(2)財政システム
 1940年度税制改正において、法人税が創設された。また、給与所得者に対する源泉徴収が整備された。現在まで続く直接税中心の税体系が確立された。会社に徴税実務を代行させる年末調整制度の導入とあいまって、近代産業に対して課税するしくみが確立された。
 その財源は、政府が握った。財源を地方公共団体に配布する財政構造が作られた。地方公共団体は、財源の多くを地方交付税や国庫支出金(補助金)など、国からの移転に仰いでいる。
 しかし、日本の地方公共団体は、もとは財源面での自主性が強かった。現在の中央集権的構造は、1940年度の税制改革がもたらしたものだ。

(3)政府の介入
 行政指導や規制などによって、政府が市場に個別に介入する場合が非常に多い。

2 日本型企業
(1)資本と経営の分離
 革新官僚が推しすすめたが、間接金融方式とあいまって、戦後日本企業の基本となった。

(2)企業と経済団体
 戦時中に成長した企業(電力、製鉄、自動車、電機)が戦後日本経済の中核になった。
 統制会の上部機構が経団連になった。統制会は、1941年に鉄鋼業で組織されたのが始まりである。その後、「重要産業団体令」によって、政府が指定する業種に統制会が設置された。最終的には22の統制会が設置された。企業は強制的に参加させられ、会長の任免権は主務大臣が握り、会長は参加企業の人事に介入する権限を有した。統制会の連絡調整機関として「重要産業協議会」が設置された。戦後、統制色を払拭する必要に迫られ、1946年2月に解散し、同年8月に再出発して設立されたのが「経済団体連合会」である。

(3)労働組合
 戦時中に形成された「産業報告会」が戦後の企業別労働組合の母体になった。
 労働組合は、企業別に組織された。
 自動車、新聞社、通信社などの多くの企業が1940年体制の中で生まれた。

(4)組織優先の風潮
 労働者も経営者も、企業という組織に固定化された。
 雇用体制は、終身雇用・年功序列を中心とした。経営者は、内部昇進といった傾向が大企業を中心として広範に見られる。
 市場を通じる自由な関係ではなく、集団主義をよしとする。「競争が悪で、協調が善」という価値観が一般的である。

(5)系列化
 企業と企業との関係が排他的で、長期にわたって固定的である(系列関係)。
 戦時体制は、戦後日本に存続しただけではなく、むしろ強化された。株主持ち合いによる企業の閉鎖性の進行やメインバンクの株保有によって、さらに強化された。また、系列関係も強化された。

3 土地改革
(1)農村の土地制度
 戦時中に導入された食糧管理制度が戦後の農地改革を可能にした。

(2)都市の土地制度
 戦時中に強化された借地借家法が、戦後の都市における土地制度の基本になった。

4 その他
(1)社会保障制度
 1939年の船員保険、1942年の労働者年金保険制度によって、民間企業の従業員に対する公的年金制度が始まった。
 労働者年金は、1944年に厚生年金保険となった。

(2)教育制度
 現行のしくみの基本は、1940前後に確立された。

(3)低生産性部門に対する補助
 農業や零細企業などに対して、財政的援助が与えられた。官僚制度が全体として社会主義政策を行った。

(4)その他
 高い貯蓄率が1940年前後から顕著になった。

   *

 以上、『戦後日本経済史』巻末の付録1をもとに、『日本経済改造論』および『日本経済は本当に復活したのか』から若干加筆した。

【参考】野口悠紀雄『日本経済改造論 -いかにして未來を切り開くか-』(東洋経済新聞社、2005)
    野口悠紀雄『日本経済は本当に復活したのか -根拠なき楽観論を斬る-』(ダイヤモンド社、2006)
    野口悠紀雄『戦後日本経済史』(新潮社、2008)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、バブルをもたらした1940年体制

2010年10月26日 | ●野口悠紀雄


(1)バブルの経過
 1980年代後半、不動産と株式の価格に大規模なバブルが発生した。
 「円高不況」を克服した日本経済は、1986年12月から景気上昇を開始した。まず、企業収益の順調な伸びを反映して、株価が上昇した。少し遅れて、地価も顕著な上昇を始めた。東京の地価は、1986、87年の2年間で3倍になった。地価上昇は、やがて大阪や名古屋に、さらに地方都市に波及していった。日本の海外投資は、世界を席巻し、日本は世界一の債権国となった。
 1990年に入って、株価は下落し始めた。1991年に入って、地価も顕著な下落を始めた。1990年代末には、大銀行や証券会社が破綻に瀬した。

(2)バブルとは何か
 フロー価格とストック価格の乖離である。

 【原理】資産価値=資産が将来生みだすフローの収益の合計値
   例)株式:毎年の配当(フローの収益)の将来にわたる合計額=株価(ストック価格)
   例)不動産:賃貸料(フローの収益)の将来にわたる合計額=不動産の資産価値

 ところが、実際の資産価格は、これから乖離することもある。価格が将来上昇するなら、値上がり益(キャピタルゲイン)を得ることができるからだ。ここに、将来の高価格を予想して、現在の価格が高くなる現象が発生する。この場合の資産価格は、「値上がり期待」という根拠薄弱なものに支えられている。バブルと呼ばれる所以である。
 かくして、転売利益だけを目当てとした需要が発生し、それが価格をさらに引き上げる。利用収益とかけ離れたところで、資産価格だけが自己増殖していく。バブルの膨張過程である。
 市場価格は、資源の適切な配分を実現するための適切なシグナルとして機能する。ただし、それはフローの価格に関してのことだ。「期待」が重要な比重をもつ資産(ストック)の価格に関しては間違ったシグナルを与える可能性が大だ。
 そして、事実間違ったシグナルを与えた。「東京はアジアの金融基地になるから、地価上昇は当然」という意見が広く唱えられた(政府の白書にも現れた)。野口悠紀雄は、1987年11月の論文(「週刊東洋経済」所収)で、地価上昇はバブルだ、と指摘した。しかし、耳を貸す人は少なかった。

(3)バブルをもたらした金融構造
 バブルの原因として金融緩和がよく指摘される。公定歩合は、1987年2月には2.5%という史上最低レベルになった。「プラザ合意」(1985年9月)による円高圧力に対処しようとしたものだ。ブラックマンデー以降、米国からの圧力もあった。
 しかし、それだけでは、あれほどのバブルは生じない。構造的な問題があったのだ。
 1980年代後半、企業は株式や転換社債の発行によって低コストで資金を調達できるようになった。調達された資金は、まず借入れ減少にまわされた。さらに、大企業は、金融資産への投資を積極的に行った(「財テク」)。この背後に、当時の特異な金融情勢がある。自由金利は6%、株式市場での資金調達コストは2%。「直接金融で調達した資金を預金すれば、それだけで利益が上げられる」という奇妙な現象が発生してしまったのだ。
 製造業の大企業という主要貸出先を失った銀行は、中小企業に融資をシフトさせた。同時に、不動産投機に資金を流した。

(4)1940年体制の矛盾の噴出
 1940年体制が新しい経済条件の変化に対応できなかったために、バブルが生じた。結果として、1940年体制の中核的経済制度(銀行)に致命的な打撃を与えた。
 (a)金融制度に矛盾が内包されていた。
 この時点において、間接金融システムは主要な役割を終えていた。1940年体制の中核組織は、基本的な転換を要求されていたのである(特に日本興業銀行を中心とする長期信用銀行)。
 かかる客観的条件の変化にもかかわらず、銀行は生き残ろうとした。事業内容が定かではない中小企業に対する融資や、ノンバンクを介した不動産金融など、それまでの業務とは異なる方向に事業を拡張しようとした。この時期の資金の流れは、きわめて歪んだ形となった。そして、これらのすべてが失敗した。
 本来は、銀行は高度な金融サービスを提供する方向に脱皮していくべきだった。しかし、そうしたノウハウの蓄積がなかったため、容易で不適切な方向への事業拡張が行われたのである。

 (b)不動産投資が行われた基本的な背景である。
 過剰資金の投資対象としては、さまざまなものがありえた。不動産が選ばれたのは、不動産価格がつねに強含みだったからだ。これも1940年体制がもつ顕著な特徴なのだ。
 間接金融の下では、家計の金融資産の大部分は預金という名目資産で保有される。不動産は、家計が保有できる唯一のリアルな資産だった。かくして不動産価格のスパイラル的な上昇が起こった。大企業という資産運用先を失った銀行が、不動産投機に走ったのも、不動産が有利な資産だったからだ。

(5)生産者優先のマクロ政策
 1940年体制は、経済制度に歪みをもたらした。それだけではなく、マクロ経済の方向づけにも特有のバイアスを与えた。
 (a)金融政策・為替政策におけるバイアス。
 高度成長をへてオイルショックを克服した製造業は、生産性を高めた。輸出が伸びて、貿易黒字が蓄積された。為替レートが円高になった。
 円高とは、日本人の労働価値が高く評価されることだ。海外からの輸入品を安く買うことができる。日本人の消費生活は向上するはずだった。
 ところが、実際には円高は容認されず、円安政策がとられた。消費者からみて望ましい変化が生じたとき、それを打ち消す圧力が生産者(とくに輸出産業)から生じるのが日本の経済政策の基本的なバイアスである。このときも、そうだ。かくして金融緩和が行われた。

 (b)財政政策におけるバイアス。
 景気拡大、資産売却益増価によって税収が増えた。しかし、緊縮財政の方針は、これまでどおり堅持された。財政赤字が顕著に縮小した。
 もし生活者の声が財政政策に反映していたら、都市生活環境を向上させる基盤投資が行われていただろう。国債が増発され、金融機関の余剰資金に対する運用手段が提供されただろう。前述のような資金の流れは生じなかったに違いない。
 日本では、極端に消費者の立場が無視された。もし消費者の立場がマクロ政策に反映されれば、金融緩和・緊縮財政とは異なるマクロ政策が採られただろう。バブルが生じなかった可能性が高い。バブルは、消費者無視のバイアスがもたらしたものだ。この意味においても、バブルは1940年体制がもたらしたものなのだ。
 マクロ経済におけるこうしたバイアスは、今日に至るまで残っている。

   *

 以上、『日本経済改造論』第2章(1940年体制とバブル)の2(1940年体制がもたらしたバブル)による。

【参考】野口悠紀雄『日本経済改造論 -いかにして未來を切り開くか-』(東洋経済新聞社、2005)

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【読書余滴】野口悠紀雄の、高度成長を支えた1940年体制

2010年10月25日 | ●野口悠紀雄


(1)1940年体制の明暗
 日本の経済システムの基本は、第二次世界大戦への準備として導入された戦時経済体制である。
 この1940年体制は、戦後に生き残り、1960年代において高度成長の実現に大きな役割を果たした。
 しかし、1990年代以降に生じた世界経済の大きな構造変化への対応に関しては、本質的な障害となっている。 

(2)金融システム ~間接金融と閉鎖的企業~
 1940年体制は、金融システムに明確に表れている。
 戦後日本の金融システムは、銀行中心のものだった。
 銀行中心の金融システムは、通常は後発工業国の特徴なのだが、日本の場合、1930年代までは直接金融が大きな比重を占めていた。産業資本の大半は、証券形態で調達されていた。これを反映し、企業の配当性向は高かった。また、株主が企業の意思決定に大きな影響を及ぼしていた。アングロサクソン的経済構造にきわめて近かった。
 政府は、1940年前後、戦時経済体制の確立と軍需産業養成のために前述の経済構造に大変革を加えた。直接金融を抑制し(配当制限・株主の権利制限)、大銀行を育成した。間接金融へ急激に大転換した。
 企業の統治構造も影響を受けた。それまでは大企業の経営者で内部昇進者は3分の1にすぎなかったが、内部昇進の経営者が一般的になった。年功序列・終身雇用が支配的になった。労働組合は企業別に組織されるようになった。

(3)戦後に残った戦時体制
 1940年体制は、社会主義的な正確を帯びていた。これは、当時の世界的潮流の一環だった。
 日本の特徴は、この体制が戦後も存続したことだ。その理由は・・・・
 (a)間接占領方式がとられ、戦時中からの官僚システムがほぼそのままの形で存続した(内務省は除く)。
 (b)巨大企業は分割されたが、大銀行中心の金融制度はそのまま残った。
 (c)冷戦進展を背景とする「逆コース」により、占領方針が民主化から経済力強化に転換した。
 戦時体制は、戦後日本に存続しただけではなく、むしろ強化された。株主持ち合いによる企業の閉鎖性の進行やメインバンクの株保有によって、さらに強化された。また、系列関係も強化された。

(4)1940年体制が高度成長に果たした役割
 (a)重化学工業への重点的な資金配分が可能になった。
 銀行が資金配分に重要な役割を果たしたからだ。間接金融は直接金融よりも、より長期の発展を見すえた上での資金配分が可能なのだ。銀行を中心として企業グループが形成される1940年体制の場合、特にそうだ。
 通産省は、1960年代以降の経済成長に実質的な影響を与えたとは言えない。高度成長に重要だったのは、産業政策ではなく、金融制度だった。

 (b)家計から企業に対して、金融制度を通じる巨額の移転が行われた。
 預金や貸出しは、インフレ時には実質価値が低下する。戦後日本経済において、借手(主として企業)の実質債務価値は急速に減少し、貸手(主として家計)が金融資産を増価させることはできなかった。かくて、家計から企業に対して巨額の所得移転が行われた。これが高度成長の背後にあった重要な経済的メカニスムである。
 名目金利が自由に変動する経済においては、この傾向はある程度緩和される。預替えを頻繁に行えるなら、金融資産の実質的価値は一定に保持しうる。しかし、戦後日本経済においては、この条件は満たされなかった。名目的金利は硬直的であり、しかも定期預金は固定金利だったからだ。他方、企業は固定金利の長期借入れを行っていた。家計から企業への所得移転はきわめて巨額であった。
 戦後日本において、企業が賃金を引き上げることによって、経済成長の成果を家計に分配した。高度成長の果実は、一部の富裕資産階級ではなく、労働者階級にもたらされた。戦後日本において、世界でも稀にみる「平等社会」が実現した背後には、間接金融中心の経済メカニスムがあったのだ。
 戦後日本には、資本家階級は存在しなかった。企業を経営したのは、内部昇進者である。経済システム自体が社会主義的性格を強く持っていた。社会主義運動が攻撃するべき対象は存在しなかった。戦後の左翼運動が上滑りで迫力を欠くものになったのは、当然のことだ。

 (c)「会社がすべて」という価値観が形成された。
 戦時期に形成された雇用環境(年功序列・終身雇用)は、会社への一体感を強める。さらに、経営者が内部昇進者であること、労働組合が企業別に組織されていたため、会社は家族的関係で強固に結ばれた運命共同体と観念されるようになった。
 自立した個人よりも組織の一員、競争が悪で協調が善、自由経済取引よりも集団主義・・・・「一つの目的のために組織の全員が力を合わせる」、「集団のため個を殺す」という戦時体制特有の価値観が、「会社人間」の価値観として確実に戦後社会に引き継がれた。

(5)オイルショックという「戦争」に有効だった1940年体制
 1940年体制は、高度成長が一段落した1970年代の初めに自然分解してもよかった。より自由主義的、市場志向的、分権的な制度への緩やかな移行が生じてもおかしくなかった。
 ところが、1970年代の初めにオイルショックが生じた。オイルショックは、ある種の「戦争」だった。「戦争」において、1940年体制という「戦時体制」がきわめて適切に機能したのである。
 労使は、一体となって対処した。労働組合は、欧米諸国の労働組合のような高率の賃金上昇を要求しなかった。この結果、日本は欧米のようなスタグフレーションに陥らなかった。「日本型システム」の優位性を欧米人も認めた。

(6)依然として残る1940年体制 
 1990年代に入って、日本経済は大きな困難に直面した。
 表面的には、日本の金融システムはかなり変わった。「護送船団」方式は解体された。間接金融の優位性は低下した。金融機関や大企業さえ破綻することが現実に証明された。
 かかる変化を背景に、1940年体制は、雇用面でもかなり変わった。終身雇用・年功序列を中心とする雇用体制は、過去のものとなった。
 しかし、これらは表面的な変化であり、1940年体制の基本的構造は残った。銀行中心の金融システムが大きく揺らいでいるにもかかわらず、間接金融が支配的であることには変わりがなかった。企業の資金調達における銀行借入れは減少したが、銀行が企業に大きな影響を持つことに変わりはなかった。
 日本の家計の金融資産の過半は、依然として預金だ(米国の家計で金融資産の過半は株式、債券などだ)。
 直接金融は、銀行貸出しを代替できるまで育っていない。
 経営者が内部昇進者で独占される企業構造も、ほとんど変わっていない。経営悪化による経営陣入替えも、めったにない。

(7)1940年体制の金融・企業システムの問題点
 (a)新しい経済条件への適応への大きな障害になる。
 間接金融は、その性質上リスクマネーを供給できない。リスクの大きな投資に向かない。新産業創出の障害になる。退出するべき産業の退出を促さない、という意味でも問題だ。

 (b)企業が雇用維持を第一義的な目的とする組織になってしまっている。
 企業の存続が最重要課題とされ、会社の破綻はできる限り回避するべきものと観念された。社会が新しい可能性に挑むにはリスク挑戦が必要であるにもかかわらず、リスク回避が優先されるため、社会は沈滞し、停滞した。企業は、1970年代までの古い体質を温存し、事業の整理・縮小や、新しいビジネスモデルの創出を行わない合併統合しか行わなかった。といりわけ銀行は、「大きすぎてつぶせない」状況の実現を追求した。

 日本経済変革のためには、何より金融構造の基本を改革する必要がある。直接金融の比重を高めるべきだ。
 しかし、現実に行われたのは、銀行中心のシステムの温存だった。1940年体制の温存だった。りそなグループへの公的資金注入は、その典型である。

   *

 以上、『日本経済改造論』第2章(1940年体制とバブル)の1(高度成長を支えた戦時経済体制)による。

【参考】野口悠紀雄『日本経済改造論 -いかにして未來を切り開くか-』(東洋経済新聞社、2005)

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【読書余滴】野口悠紀雄の、日本はなぜ高物価国なのか

2010年10月24日 | ●野口悠紀雄


(1)食料品 ~輸入規制~
 日本における食料品価格は、国際的にみて著しく高い。多くのものについて、米国の2倍以上だ。肉類にいたっては4倍以上する。シンガポールや英国のような工業国と比較しても高い【注1】。
 このため、日本の家計支出では、食料品に対する支出が著しく高くなる。米国の家計の1.4~1.7倍である。家計支出中、米国が9%であるのに対し、日本では18%と倍になっている【注2】。
 年間の民間消費支出は、2005年現在285兆円である。仮に食料品価格が米国なみになり、家計支出中の比率が18%から9%に低下するならば、それだけで消費支出は26兆円減少する。
 換言すれば、これだけの支出を家計が余計に負担することで、食料品の生産・加工・流通にかかわる人々の所得を保障しているわけだ。つまり、彼らに対する実質的な社会保障制度である。26兆円という数字は、一般会計の社会保障関係費総額約20兆円よりも大きい。
 高い食料品価格の原因は、輸入規制と非効率な流通機構だ。
 輸入規制は、国内物価を上昇させるだけではない。対象産業は、保護に甘えて改革と進歩のための努力を怠り、生産性がさらに下がる。そして、輸入制限だけでは足らず、政府からの直接の補助金を求めるようになる。農業は、こうした経緯をたどって衰退し、もやは再生の可能性すら見いだせなくなった産業の典型例だ(風紋注:本書刊行時点では存在しなかった戸別所得補償制度を予言している)。

  【注1】総務省統計局『世界の統計』の主要食料品の小売価格(2003年)に基づく。
  【注2】総務省統計局『世界の統計』の一人当たり家計最終消費支出(1999年/2001年)に基づく。

(2)散髪代 ~競争制限~
 東京における散髪代は4,000円程度だが、米国におけるヘアカットの価格は18ドルだ。東京の散髪代は、米国の2倍以上である。
 米国の理髪店が提供しているのは散髪だけだが、日本ではそれに加えて洗髪や髭剃りなどもする。自分でもできることだから「過剰サービス」である。仮に散髪のみで半分の価格になれば、2,000円節約できる。年間15回理髪店に行くなら、3万円になる。
 つまり、消費者はこれだけの額を毎年余計に支出して、理髪店関係者の生活を支えているわけだ。これも、広義の社会保障制度である。

(3)ガソリン価格 ~競争制限~
 2003年の米国全体の平均価格は、1ガロン当たり1.56ドル(リットル当たり45.3円)だった。高めにみて1ガロン当たり2ドル(リットル当たり55円)としよう。これに対して、日本では120円程度で、米国の2倍だ。
 価格差の理由は、第一に税がある。ガソリン税・石油税は、米国で11円、日本で53.1円だ。よって、税抜き価格は、米国44円、日本64円だ。
 原油価格と精製コストは、それぞれ24円と11円で、国際的に共通である。これらを除くと米国9円、日本29円だ。日本は米国の3倍以上である。
 理髪店と同じく、日本の価格は米国の2~3倍という構造が浮かびあがる。
 米国と日本の差は、ガソリンの供給にかかわる人件費やマージンなどだ。米国のガソリンスタンドのほとんどはセルフサービスで、従業員は通常1人しかいない。日本では常時2~3人いて、窓ふき、吸い殻清掃、道路へ出る際の案内を行う。理髪店の場合と同じく「過剰サービス」である。
 日本にもセルフサービスの店は、あることはあるが数が少ない。出店規制があるからだ。人件費や流通コストが国なみになれば、リットル当たり20円は安くなる。1回の給油量が40リットルであれば、800円も「過剰サービス」に支払っていることになる。頻繁に乗用車を使っている人なら、年間数十万円になるだろう。

(4)小売業一般 ~競争制限~
 理髪店やガソリンスタンドには特別の規制がある。
 小売業一般については「大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律」があり、同様の機能をはたしている(2000年廃止、代わって「大規模小売店舗立地法」が2000年に施行)。
 大店法は、零細商店の発展的な成長を促すことにはならなかった。これらの商店は大店法があるから、という安心感に安住し、時代の流れに取り残されていった。農業の場合と同じ結果だ。日本の流通機構の基本構造は、1960年代から基本的に変わっていない。

(5)内外価格差の是正は政治的に困難
 貿易財の輸入制限とサービスの競争制限が、日本の高価格体質の原因である。
 どちらも、(1)(2)(3)のような産業に従事する人々の所得を保障している。そして、日本の流通業やサービス産業の生産性は、著しく低い。
 消費財や生活関連サービスのみならず、産業活動に関連するサービス価格も、日本では高い。
 高価格体質是正のための正統的な方法は、輸入自由化と規制撤廃を正面から進めることだ。実現すれば、生産性向上するだろう。日本の実質生活水準は格段に向上するだろう。
 しかし、供給者からの強い反対がある。
 「消費者のための経済政策」は掛け声としては言われるが、現実の経済政策に影響を及ぼすに至ってはいない。
 克服の方法がまったくないわけではない。日本で所得を得て海外で生活すれば、為替レートどおりの円の購買力を実現できる。年金生活者は、実質生活水準を2倍にも3倍にもできる。ただ、陸続きの外国が近くにあるヨーロッパのような場合と違って、日本人は外国生活は容易ではない。

(6)1940年体制での実質的社会保障
 以上のような経済体制は、じつは「1940年体制」の一環である。
 銀行中心の金融システムと企業構造など経済の近代的部門のみならず、農業や流通のしくみも「1940年体制」の重要な一部分なのだ。
 1942年制定の食糧管理法は、典型的な戦時立法である。
 借地借家法は、1941年改正で借地・借家人の権利を保護した。徴兵のための基盤整備を目的とするものであった。農村が疲弊してはならないし、年の留守家族が安心して生活できる必要があったからだ。社会主義的性格をもつものだった。
 このときに形成された制度的なしくみが戦後に生き残り、場合によっては強化された。
 高度成長は、農業やサービス産業などの「弱者」が取り残される過程であった。この部分の就労機会を確保し、所得を保障することは、社会的安定を確保するために重要だった。税の特別措置、補助金、規制などによって政府は庇護した。「弱者」は、高度成長を補完する不可欠なしくみとして機能した。政府は、直接措置のみならず、輸入規制と各種規制も行った。消費者は、高いマージンを負担し、零細商店を存続させた。つまり、これは広義の社会保障制度なのである。
 日本では社会主義政党が長期にわたって政権を握ることはなかったが、官僚制度が社会主義体制を確立し、それが社会主義国家消滅のあとまで継続しているのだ。

(7)高価格を通じる所得移転
 (1)で食料費のみに関して過剰支払額を試算した。総額で26兆円、国民一人当たり20万円である。理髪店やガソリンスタンドに関して示した数字を加えれば、このしくみを維持するために日本人が負担している額は、年間一人当たり数十万円にのぼるだろう【注3】。
 いま、家計消費支出の4分の1、年間総額で70兆円が、これらのセクターの人々に対する所得移転であると仮定しよう。
 農業・漁業と卸売・小売業を含める広義のサービス業に従事する就業者は、2,000万人である。70兆円が彼らに所得移転されているとすると、就業者一人当たり年間350万円となる。他方で、卸売・小売り業、飲食店の労働者一人平均月間給与額は56万円である。これらを参照して、先の2,000万人の一人当たり年間所得700万円と考えれば、その半分が高価格による所得移転によることになる。
 この試算が現実の姿を正確に記述しているかどうかは保証できない。しかし、いまの日本の経済構造の姿を象徴的に示す数字としては、大きな違いはないだろう。そして、これは驚くべき数字である。
 かかるしくみを今後も維持するのは難しい。なぜか。第一、所得の伸びを期待できない。第二、労働力が減少する。
 サービス産業の生産性向上は必須の課題である。
 生産性向上によって、将来の労働力不足は解決されるだろう。
 生産性向上によって、いまの一人当たり所得を維持したまま就業者を半分にできれば、家計の移転は必要なくなる。その結果、内外の物価格差はなくなり、家計には4分の1の余裕が発生するだろう。
 これこそが、少子化社会に向かう最重要の政策課題なのだ。

  【注3】「見えざる社会保障費」の推計額は、66億円(野口悠紀雄『日本経済は本当に復活したのか -根拠なき楽観論を斬る-』(ダイヤモンド社、2006)。

   *

 以上、『日本経済改造論』第6章(貿易と内外価格差)の2(日本はなぜ高物価国なのか)による。

【参考】野口悠紀雄『日本経済改造論 -いかにして未來を切り開くか-』(東洋経済新聞社、2005)

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【読書余滴】野口悠紀雄の、携帯電話のマナーを中国人に徹底させよう ~「超」整理日記No.534~

2010年10月23日 | ●野口悠紀雄
(1)携帯電話のマナーin日本
 1990年代中頃に、日本で携帯電話の使用が広がりはじめたとき、新幹線の車内やレストランで携帯電話を使用していた。
 喫煙と同様、携帯電話も(静寂という)環境を汚染する。
 いま、ある程度以上の水準のレストランでは、携帯電話を使った話し声はほとんど聞こえない。新幹線の車内も、かなりの静寂が維持されている。
 携帯電話のマナーは、日本は世界最高水準にある。

(2)携帯電話のマナーof中国人観光客
 新幹線の車内やレストランで、携帯電話を使用した中国人観光客の話し声が耳に入る場面が増えたように思う。
 中国では鉄道社内やレストランでの携帯電話使用は、ごく当たり前のことかもしれない。
 そうであれば、異なる文化が日常生活レベルで接触したために生じた軋轢である。日本社会のルールが中国人観光客に十分に伝わっていないことの結果だ。

(3)郷に入っては郷に従え
 中国人観光客に対して、日本社会のルールを徹底的に知らせる必要がある。中国人観光客が増え始めたいま、クリティカルな時期だ。
 新幹線では、携帯電話制限について英語で放送される。しかし、中国語では車内放送されない。ホテルやレストランでも、テーブルの上に注意書きが必要だろう。

(4)ビザ発給要件緩和
 日本は、これまで外国人観光客が来ない国だった。今の835万人が、仮に1,000万人に増えても、南アフリカを抜いて世界第20位になるにすぎない。
 日本人は、日常生活レベルで外国人と接する機会が少ない。
 中国人観光客も、これまでは団体客だった。その行動は、ガイドによって一定の範囲にとどめられていた。
 今年7月から、ビザ発給要件が緩和されて状況が変わった。(2)の光景は、こうした変化によってもたらされたものだ。

(5)異文化との接触の少ない日本
 移民が多ければ、社会の中で、さまざまな文化との共存が行われる。他民族国家アメリカでは、長い経験にもとづく知恵によって、異文化との摩擦への対処が行われてきた。
 日本は、異文化との日常生活レベルでの接触がきわめて少なかった。しかし、日常生活レベルで、異文化との接触がだんだん広まりつつある。
 日本社会は、中国人観光客の増加によって、基本的な変化に直面せざるをえないだろう。日本と中国の所得格差が縮小するにつれ、日常生活レベルで中国人と接する機会は、今後飛躍的に増加する。
 こうしたなかで日本社会のルールを維持するためには、まず日本社会のルールを彼らに伝える必要がある。

(6)異文化との日常生活レベルでの接触
 日本は、これまで先進国、特にアメリカとの間では留学生や市民による接触を行ってきた。少数であろうが、あったことは事実だ。アメリカへの留学生や企業の駐在員がそうだ。アメリカ社会のルールに従った経験があれば、文化が違っても同じ人間だ、と実感できる。
 欧米以外で日本人がこうした関係を確立できたのは、おそらく韓国との間だけだ。
 しかし、アジア諸国、特に中国との間では、こうした関係が築かれていない。
 日本企業からアジア諸国へ赴任する駐在員は、現地住民から隔離された住宅地で生活することが多く、仕事上の付き合いはさておき、現地社会に溶けこんで、その一員として生活することが少なかった。だから、市民間のコミュニケーションは、ごく限定的になってしまった。

(7)文化バリアの克服
 日本とアジア諸国、特に中国との付き合いが、これまでとは違ったものにならざるをえなくなってきつつある。
 私たちは、中国との間で、文化の違いを克服した関係を築くことができるだろうか?

【参考】野口悠紀雄「携帯電話のマナーを中国人に徹底させよう ~「超」整理日記No.534~」(「週刊ダイヤモンド」2010年10月30日号所収)

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【読書余滴】野口悠紀雄の、無利子国債・証券化は朝三暮四の猿向け施策 ~「超」整理日記No.533~

2010年10月17日 | ●野口悠紀雄
(1)2010年度補正予算
 編成が始まったいま、5兆円の追加が考えられているが、財源手当てがはっきりしない。
 これまで「埋蔵金」が使われることが多かったが、尽きてきた。
 政府紙幣、無利子国債、国有財産の証券化などが議論されているが、非正当的な「奇策」である。国債発行、増税などの正統的手段に比べてなんの利点もない。財政が抱える深刻な問題を覆い隠すという意味で害悪をまきちらす。

(2)無利子国債
 利子がゼロでは、買う人がいなくなる。購入者になんらかの恩典を与える必要がある。保有者に対する相続税の免除が考えられているようだ。
 しかし、将来の相続税収入の先食いという点で、国債と同じである。
 しかも、利子支払いがなくなっても、税収入が減る。利子喪失分より相続税免除額が大きければ(そうでなければ買わない)、国庫収入はネットでマイナスになるのだ。

(3)国有財産の証券化
 原理的にはいかなる資産も証券化できる。ただし、そのためには絶対に必要な条件がある。対象資産が現金収入(キャッシュフロー)をもたらすことだ。それがないと、証券化商品の利払いができない。
 この点で、国有財産には大きな問題がある。現金収入をもたらす資産はあまり多くないからだ。
 現金収入をもたらす国有財産もある。しかし、それらを証券化すると、国庫の収入が減る。
 証券化は、将来の収入の先食いであって、通常の国債と同じ機能である。

(4)朝三暮四
 奇策の経済的効果は、国債と同じである。
 しかし、一見国債を増発せずに問題が解決されたかのような錯覚に陥る。問題の隠蔽である。
 国債増発は世論の批判にさらされる。そこで政府は、埋蔵金を使った。経済的には国債増発と同じことなのだが、(強い)批判はなかった。中国の故事、「朝三暮四」そのままだ。
 味をしめた政府は、猿向けの奇策を採って、この予算編成だけしのげばよい、と考えているのか? だとすると、国民を愚弄している。
 あるいは、本当に有効な方法だと考えているのか? だとすると、政府の知的レベルは救いがたい。

(5)非正統的財源調達手段の他の問題
 基礎年金の国庫負担引き上げに年金積立金を使うことが検討されている。しかし、これは国庫負担率引き上げの趣旨に反する。
 年金財政逼迫の解消策として、保険料の引き上げや給付削減という年金制度「内」の施策をとれば、保険料支払者や受給者の負担が増える。だから、国庫負担という年金制度「外」の方策を求めた。
 ところが、そのための財源を年金積立金に求めるのでは、「元の木阿弥」である。負担は年金制度「内」に戻ってしまう。
 精神が錯乱しているとしか、言いようはない。
 財源手当てを怠ってきたのは、自民党も民主党も同じだ。しかし、民主党は子ども手当などのバラマキを増やしている。

(6)「政治主導」
 予算編成における「政治主導」とは、財政運営のビジョンを明確にすることだ。
 子ども手当や農家個別所得補償などマニフェスト関連施策を継続して財政破綻を導くのか?
 年金はどうするのか?
 恒久的財源は、消費税なのか、他の税目なのか?
 これらに対する明確な方向付けを示すことこそが、「政治主導」である。

【参考】野口悠紀雄「無利子国債・証券化は朝三暮四の猿向け施策 ~「超」整理日記No.533~」(「週刊ダイヤモンド」2010年10月23日号所収)

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【読書余滴】野口悠紀雄の、中国依存の経済は深刻な危険を孕む ~「超」整理日記No.532~

2010年10月10日 | ●野口悠紀雄
(1)尖閣列島沖衝突事件
 逮捕された中国人船長が釈放され、検察も政府も奇妙な説明を行った。
 検察の仕事は、外交的配慮ではなく、証拠に基づき法に照らした判断だ。
 政府首脳の仕事は、国の基本にかかわる重大案件に対して自らの判断を明確に表明し、国民の理解を求めることだ。
 今回の措置は、1970年のよど号事件以来の超法規的措置である。ただし、このときは政府が決定した。今回は、責任の所在を明確にしていない。
 恫喝に屈して超法規的措置をとること自体、重大問題だ。これに加えて政府が責任をとらないのは、前代未聞だ。
 日本が中国の需要に依存する外需依存経済体質を続けていけば、恫喝に屈しやすくなり、外交上の立場がますます弱まる懸念がある。

(2)政治と経済
 国際間の経済取引は、双方にとって利益となる。
 したがって、政治的理由だけのために、それを一方的に断絶すれば、双方にとって損失となる。
 しかし、政治的問題解決の手段として経済取引が用いられることもある。
 このたび中国は、希土類の輸出停止など、経済制裁とも解釈できる措置をとった。
 こうした措置が効果をもつかどうかは、代替手段の有無によって大きく異なる。石油ショックのとき、先進国の代替エネルギー源はごく限られていた。だから、中東原油に対する依存度の高かった日本は、なりふり構わず親アラブ外交を展開せざるをえなかった。
 通常の輸出入関係では、断絶がこれほどの効果をもつことはない。また、売り手と買い手のいずれかが弱くて他方が強いというわけでもない。しかし、取引の形態によって、程度の差がある。また、国全体が大きな影響を受けなくても、個別企業では死活問題になることがある。

(3)対外経済構造に係る経済危機前と経済危機後
 危惧されるのは、日本の対外経済構造がここ数年で大きく変わりつつあることだ。経済危機前の「外需依存」と経済危機後のそれとでは、かなり性格が異なる。
 経済危機前の外需は、アメリカに対する自動車の輸出と中国に対する中間財の輸出を中心としたものだった。
 経済危機後の輸出先は中国などの新興国に偏っている。しかも、日本のメーカーは新興国輸出における消費財の比重を高めようとしている。
 それは、日本経済が中国市場に大きく依存する体質になることだ。これは、日本と中国の政治的関係に影響を与えざるをえない。

(4)最終消費財輸出の経済的問題点 
 (ア)中国の輸出産業に対して中間財を売ることと、(イ)中国の消費者に対して最終消費財を売ることとでは、代替手段の有無の点で大差がある。
 (ア)の場合には、中国側にあまり代替手段がない。日本からの中間財の輸出が途絶すれば、中国の輸出産業は立ちゆかなくなる。
 (イ)の場合には、中国にとっての代替手段はいくらでもある。
 グーグルが中国政府との対決の際に強腰で臨めたのは、ほかにはない技術的優位性をもっていたからだ。アメリカ経済の対外的な強さは、軍事力だけを背景としたものではない。新興国が自前では供給できない先進的サービスを提供できることこそ真の強さだ。
 新興国の最終消費財を対象とする外需依存経済は、純粋に経済的に考えても問題が多い。
 廉価品が中心となるため、輸出産業の利益率が大きく下がってしまう。日本国内の賃金に対しては、引き下げ圧力が働く。

(5)最終消費財輸出の政治的問題点
 今回の事件は、(4)-(イ)の外需依存が、政治的にも大きな問題をもつことを示した。
 中国は一党独裁国家である。市場経済とは本質的に矛盾する政治制度をもった国だ。何が起こるか、予測できない。
 政治問題を理由に日本製品に対する排斥運動が起こることは、決してありえないことではない。
 あるいは、親中国企業とそうでない企業の色分けがされ、許認可や行政手続きで差がつけられることはないか。広告が反中国的として規制されることはないか。
 こうした問題が現実に生じたとき、日本企業や日本政府はどのように対応するのか。
 中国国内のビジネスの継続が何にも優先する絶対の条件となり、原則を無視した譲歩が行われることが危惧される。

(6)日本の戦略を検討する機会
 中国の成長が続き、世界経済での比重が日増しに増大していく。中国との経済関係は増大せざるをえない。
 問題は、その内容をどうするか、なのだ。
 「中国市場に依存する外需依存経済を続ければ、輸出産業が中国の人質になる。日本経済にとっての生命線は中国に握られ、国交断絶をちらつかされるだけで息の根をとめられる。これは、これまでの外需依存経済になかったことだ/中国との経済関係は、政治的な含意を考慮に入れつつ、長期的な見とおしに立って構築する必要がある」

【参考】野口悠紀雄「中国依存の経済は深刻な危険を孕む ~「超」整理日記No.532~」(「週刊ダイヤモンド」2010年10月16日号所収)

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【読書余滴】野口悠紀雄の、日本のチャンスまたは人的資本増強の事 ~「超」整理日記No.524~

2010年10月06日 | ●野口悠紀雄
 10月6日、スウェーデン王立科学アカデミーは発表した。今年のノーベル化学賞受賞者は、根岸英一・米パデュー大特別教授(75)、鈴木章・北海道大名誉教授(80)など3名である・・・・。
 だから、というわけではないが、以下「「超」整理日記No.524」の要旨。

(1)ストック
 所得などのフローを生み出すのはストックだ。一国経済の長期的なパフォーマンスを決めるのは、国が保有するストックの量と質だ。
 財政赤字の論議においても、本当に重要なのはストック、つまり国債残高である。
 消費税税率引き上げなどで増税すれば、単年度の赤字はたしかに縮小する。フロー面での問題は解決される。
 しかし、既発行国債の残高はそのままだ。ストック面ではただちには改善しない。金融機関は巨額の国債を抱えたままだ。
 いまの日本では、金融機関の資産のうちで企業貸付が減少し、国債が増えている。

(2)国債
 国債の価値を支えている要因は確実ではない。
 企業への貸付は、企業の生産設備に対応している。それは製品を生産して収益を生み出す。これが貸付資産の価値を支えている。
 国債の場合も建設国債であれば、社会資本に対応している。将来の生産力に寄与する。
 しかし、現存の国債の大部分は赤字国債である。消費支出や移転支出に充当される。赤字国債には対応する資産がない。その資産価値を支えているのは、将来時点での国の税収だけだ。しかし、国全体の生産力が落ちれば、将来の税収も落ちる。
 いまの国債残高の多くは、資産価値の根拠が不確実なのだ。
 企業に対する貸付と異なって、国の場合は将来の政治状況にも依存するので返済能力を確実に評価できない。しかも、国債は単一の資産なので、条件が悪化すればすべてが劣化する。国の返済能力に少しでも疑問が生じれば、国債の価値は下落し、金融機関の資産が大きく劣化する。

(3)クラウディングアウト
 国債発行に伴って利子率が上昇し、その結果民間設備投資が「追い出される」(クラウディングアウト)現象が問題だ。なぜなら、設備投資が減少する結果、生産設備のストックが(クラウディングアウトがない場合に比べて)減少するからだ。
 いまの日本にクラウディングアウトは起きていない。日本における国債の消化には何の問題も生じていない。金融機関の資産中で企業貸し出しが減少しているからだ。「生産設備のストック現象」はクラウディングアウトの場合と同じように生じているのだ。

(4)資本の劣化
 企業に対する貸付が減少し、半面、国債だけが増加している・・・・これを日本全体のストックの観点からみると、経済的に価値ある資産が減少し、価値の源泉が明らかでない資産が増大していることになる。「資本の劣化」が進行している。
 しかも、設備投資が回復しないので、資本ストックが全体として減少しつつある。そして、社会資本のストックも劣化している。公共事業予算が削減されて新規のストックが形成されていないからだ。
 国債の順調な消化、公共事業予算の削減は、日本経済をストック面からみると、事態の悪化を示す。
 ストックが劣化すれば、将来の生産力は低下する。よって、税収も低下する。したがって、国債を償還できる可能性も低下する。国債の価値は潜在的に低下しつつあるのだ。

(5)人的資本
 人的資本は物的資本と組み合わされて生産物を生み出す。
 人的資本は、経済統計ではストックとは見なされていない。しかし、ストックを広義にとらえれば、これはきわめて重要なものである。
 物的ストックが減少しても、人的ストックがあれば、それを補うことができる。特に、いまの世界では、物的ストックがあまりなくとも高い生産性を上げられる経済活動(例:先端金融企業や先端的IT産業)が進展している。農業や製造業が経済活動の中心だった時代に比べて、格段と高まっている。
 いまの日本で人的ストックはもっとも重要な経済ストックだ。
 日本の人口減少、したがって人的ストックの減少に対処することは可能である。
 第一、移民を自由化して、人的ストックの量を増やす。
 第二、教育投資を通じて、人的ストックの質を向上させる。特に重要なのは、専門的能力をもつ人材の育成だ。
 量的拡大と質的向上は、どちらも必要だ。
 介護のような対人サービスは、量的な確保が中心課題となる。しかし、こういう分野だけが拡大すると、日本経済の生産性は落ちてしまう。所得水準の低下は不可避だ。
 したがって、生産性の高い専門的サービス産業を拡大する必要がある。それには質的向上が不可欠だ。
 現実には、どちらも行われていない。
 量的拡大面では、介護分野における外国人導入に消極的対応が続いている。
 質的向上面では、2010年度予算で子ども手当や高校無償化のバラマキ支出は増えたが、人的ストックの質の向上に寄与するものではない。

【参考】野口悠紀雄「ストック劣化対処は人的資本の増強で ~「超」整理日記No.524~」(「週刊ダイヤモンド」2010年8月14・21日号所収)

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【読書余滴】野口悠紀雄の、法人税率引き下げは経済を活性化しない ~「超」整理日記No.531~

2010年10月02日 | ●野口悠紀雄
(1)法人の課税所得
 課税所得と企業会計上の利益は同一ではない。一部、企業会計上の所得より課税所得を増やす要因もあるが、多くは課税所得を減らす要因として働く。
 例:法人税では損失を7年間繰り延べできる。→現在、主要な金融機関は法人税を払っていない。今後、今回の経済危機で大損失を受けた製造業の大企業は、法人税を負担しない企業が増えるだろう。
 各種引当金、準備金も利益を減らすように働く。
 課税所得は企業会計上の所得に比べて圧縮されている。不況期には特に圧縮度が高まるようだ。
 加えて租税特別措置がある。特に重要なのは試験研究費の税額控除制度だ。この制度によって、トヨタ自動車の納税額は、2007年3月期に約760億円、2008年3月期に約822億円減少した、といわれる。
 このほかに外国税額控除がある(二重課税排除のための措置)。総合商社では、これがかなり納税額を減少させている。

(2)法人税の影響
 法人税について最も一般的な誤解は、法人税負担が企業のコストを高めている、というものだ。
 しかし、法人税は利益にかかるものだから、企業にとってのコストにはならない。
 法人税の影響があるとすれば、企業が行う投資や企業に対する投資の税引き後収益率が変化するため、他の経済活動との関係で相対的な有利性が変化することに伴うものだ。しかし、これについては慎重な検討が必要だ。
 (ア)企業が行う設備投資に対する法人税の影響
 支払い利子は損金算入できる。  
 これを考慮すると、税引き後の投資収益率は法人税率に無関係・・・・という結論が得られる。
 なお、現在、日本で設備投資が低迷しているのは、法人税の影響ではなく、投資の収益率が低下しているからである。

 (イ)株式投資に対する収益率
 個人に対する配当課税も併せて考える必要がある。
 ●日本:20%、英国:32.5%、仏国30.1%。
 仮に日本の法人税率が高いとしても、配当課税率が低いことでオフセットされている。
 なお、受取配当の益金不算入措置が採られている。法人税と所得税の二重課税を防ぐための措置なので、本来は個人株主に限って適用するべきものだ。日本の場合、法人間の株の持ち合いが多いので、法人の税負担を軽減している。

(3)日本企業の利益率
 低い。これは法人税率とは関係ない現象だ。
 法人税率と経済活性化とはあまり関係がない。

(4)企業の海外流出
 法人税とは無関係だ。
 日本は全世界所得課税・外国税額控除方式を採っているため、生産拠点を法人税率が低い海外に移したところで、最終的な法人税負担を軽減できないからだ。

(5)企業の海外流出の真因
 日本の賃金が新興国に比べて高いからだ。
 問題があるとすれば、社会保険料の雇用主負担だ。利益の有無にかかわらず企業の負担となるから、重要なコスト要因となる。そして、雇用主負担は法人税負担とほぼ同じ規模になっている。
 ただし、日本の企業の負担率は、米国より高いが、独仏よりは低い。
 また、雇用主負担が経済的にみて本当に企業の負担なのか、議論の余地がある(それだけ賃金を引き下げている可能性がある)。

(6)外国からの直接投資
 法人税が外国からの直接投資の流入を抑制している可能性はある。
 ただし、これも表面利益では判断できない。
 これに関してなによりも大きな問題となるのは、日本国内での利益率の低さだ。

(7)結論
 法人税率を引き下げたところで、なんの経済効果もない。
 少なくとも、日本経済の起死回生策にならないのは確かだ。

【参考】野口悠紀雄「法人税率引き下げは経済を活性化しない ~「超」整理日記No.531~」(「週刊ダイヤモンド」2010年10月9日号所収)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、法人税減税批判 ~「超」整理日記No.530~

2010年09月26日 | ●野口悠紀雄
(1)法人税率引き下げ論
 法人所得課税の実効税率は、財務省の資料によれば、2010年において、国税27.89%と地方税12.80%を合わせて40.69%だ。
 米国40.75%、仏国33.33%、独国29.41%、英国28%、中国25%、韓国24.2%だから、米国を除く諸外国に比べて高い。
 日本の法人は重い税負担にあえいでいる。これが日本経済不調の大きな原因だ。
 だから、法人税率を引き下げよ・・・・。

(2)税引き前当期純利益に対する負担率の推計、その1
 (1)の議論は怪しい。なぜなら、実効税率を算出する際の分母は課税所得であるが、これは企業会計における利益とは異なるからだ。
 税務上の利益概念は、会計上の利益概念とは異なる。
 加えて、租税特別措置などのために、課税所得は会計上の利益よりかなり少なくなっている可能性がある。
 単純な比較はできないが、国際的に標準的と認められる利益を分母にして負担率をみる必要がある。
 税引き前当期純利益に対する負担率は、野口の推計【注】によれば、国税20.6%と地方税を合わせて28.4%だ(2008年度)。
 諸外国の実効負担率が税引き前当期純利益に対するものであれば、日本の負担率は中国・韓国よりは若干高いが、欧米諸国よりは低いことになる。

  【注】国税庁の会社標本調査および財務省の法人企業統計調査に基づく。

(3)税引き前当期純利益に対する負担率の推計、その2
 (2)では、黒字企業の場合だけ会計上の利益と税務上の利益が乖離すると仮定した。
 しかし、赤字は7年間繰り越すことができるので、将来の法人税負担を軽減するため、赤字企業の赤字額も税務上は拡大している可能性もある。
 そこで、第二ケースとして、それを仮定して推計してみると、国税24.3%と地方税を合わせて33.5%だ。欧州諸国なみで、格別高いとはいえない。
 なお、税務上の赤字企業は構造的に赤字で、将来黒字に転換する可能性がない場合が多い。したがって、赤字企業が赤字を拡大して申告するケースは少なく、33.5%という数字は過大推計かもしれない。

(4)法人税率引き下げ論の誤り
 地方税をふくめた法人課税の実効税率は、税引き当期純利益に対する率でみれば、28.4%~33.5%程度だ。これは、先進国の標準的な額であり、格別高いわけではない。
 財務省資料にある40.69%という値は、課税所得に対する比率なので、国際比較をする場合には適切な値ではない。
 結論:「日本の法人税率が外国より高い」という主張は誤りである。
 以上述べたことは、各企業の決算書によって直接確かめることができる。税引き前当期純利益に対する法人税・住民税・事業税の比率は、(2)および(3)の推計値の範囲内に入っている。

(5)国際比較の指標
 税務上の利益概念は国によって差があるので、国際比較をするのであれば、法人所得課税の対GDP比をみるほうが適切だ。
 財務省の資料によれば、2010年における法人所得課税の対GDP比は、1.5%である。
 米国2.7%、英国3.4%、中国2.0%、韓国3.7%などに比べてかなり低い。世界的にみて低水準である。

(6)税制改革の方向づけ
 ここで示したことは、税制改革に対して重要な意味をもつ。
 「日本の法人所得に対する実質的な課税率は諸外国に比べて高いわけではないから、法人税率を引き下げるなら、その前提として特別措置を撤廃することが不可欠である。これを行わずに税率引き下げだけを行えば、現在特別措置の恩恵を受けている業界に過大な利益を与えることになる」
 特別措置は、資源配分を歪めて経済成長に対する阻害要因になる。課税上の公平を損なっている。
 「法人税率の引き下げを行うのであれば、最低限、特別措置撤廃で得られる税収を財源として税収中立的な改革とすべきだ」

【参考】野口悠紀雄「法人の実質税負担率は3割程度でしかない ~「超」整理日記No.530~」(「週刊ダイヤモンド」2010年10月2日号所収)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、1980年代の大政治家たち ~巧みな大衆操縦術~

2010年09月24日 | ●野口悠紀雄
 『経済危機のルーツ』は、日米の、経済危機に先立つ大繁栄の時代を振り返る。
 そして、この経済史に、その時代を生きた野口悠紀雄が個人的に見たもの、聞いたものを挿入している。一種の知的自伝である。
 ここでは、第2章「経済思想と経済体制が1980年代に大転換した」から、本筋とはやや逸れるが、英米ソの大政治家の話だけ抜きだしてみる。

 ケネディ暗殺後の大統領は、ぱっとしない人ばかりだった。政治リーダー欠如が嫌というほど続いた後、登場したのがレーガンだった。
 野口は、レーガンを「偉大なコミュニケーター」と評価する。
 レーガンが狙撃されて重症を負った事件のしばらく後、共和党政治集会の会場で風船が次々に炸裂した。「また狙撃犯?」と会場がざわめいたとき、レーガンいわく、「奴はまた失敗した」。
 会場は爆笑の渦に包まれた、という。
 「当意即妙のジョークでかわせる技術というのは、政治家にとって不可欠の能力だ。とくに、都合の悪い質問や意地悪質問を受けたときに、大変重要な能力だ。攻撃されたら、むきになって起こったりせず、ジョークでやり返すのが政治ゲームのルールだ。ニクソンが不人気だったのは、そうした能力に欠けていたからだろう。しかし、レーガンにはその才能があった(ありすぎるほどあったと言える)」

 1984年の大統領選で、民主党候補はモンデール副大統領だった。テレビ討論会でボルチモア・サン紙の記者から、高齢だと激務に耐えられないのではないか、と嫌な質問された。
 が、レーガン、ちっとも騒がず、「そんなことは決してありません。(ここで一息つき、相変わらず深刻な表情で)私は年齢の問題を政治的な争点にするつもりはありません。したがって、私は、対抗候補の若さと経験のなさを、政治的に利用しようとは考えていないのです」。
 会場は爆笑に包まれた。モンデールも思わずつられて笑ってしまった。
 「追い込もうとした記者は、レーガンに完敗しただけではなく、彼に政治的得点を与えてしまったのだ。この選挙でレーガンは、モンデールの地元であるミネソタ州を除く49州を獲得するという地滑り的・歴史的勝利を実現した」

 野口は、レーガンの巧みなやりとりを二つ紹介しているが、次はその一つ。
 <質問者>レーガンさん、どうして俳優が大統領になれるのでしょうか?
 <レーガン>「大統領が俳優にならない」なんてことができるでしょうか?

 意地の悪い質問や批判・追求に対して、それを逆手に取って返し、得点をあげてしまう、という技術に、サッチャーも長けていた。
 サッチャーの在任期間が10年を超えたとき、記者会見で、
 <記者>あまりに長期の政権は、民主主義の精神からして望ましくないのではないか?
 <サッチャー>あなたはミッテランのことを非難しているのか。
 会場は、爆笑の渦に包まれた。
 ちなみに、フランソワ・モリス・アドリヤン・ミッテランは、フランス第5共和制第4代共和国大統領を2期14年にわたって務めている。

 また、サッチャーは、議会で「動物擁護法案」が通過する際、野次をとばす反対派の野党に向かって一喝した。
 <サッチャー>お黙りなさい! この法律はあなた方をも保護することになるのです。

 ゴルバチョフには、面白いアネクドートがない。これがブレジネフとの違いだ。ブレジネフには沢山ある。
 例:ある男が赤の広場で「ブレジネフは馬鹿だ」と言った。彼は逮捕され、20年間の懲役刑を宣告された。10年は「国家元首侮辱罪」。あとの10年は「国家最高機密漏洩罪」。
 ・・・・ブレジネフは、「このアネクドートを作ったのは俺だ」と言っていたそうである。
 
【参考】野口悠紀雄『経済危機のルーツ ~モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか~』(東洋経済新聞社、2010)
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