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2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】野口悠紀雄の、財政再建のポイント/社会保障の抜本的見直し

2011年01月15日 | ●野口悠紀雄
(1)財政問題とは社会保障の問題
 財政問題とは、社会保障(なかんずく年金)の問題だ。国民生活の基幹に係る問題だ。個人の立場から見ると、年金受給権がいまや多くの家計が持つ最大の資産である。これをどうするか。
 消費税率引き上げは課題の一部でしかない。消費税率を数パーセント引き上げただけでは、解決にはほど遠い。問題はもっと広く、もっと複雑で、もっと困難だ。

 第一、社会保障給付を賄う財源として、国費は一部でしかない。国税は23.1%でしかない(2008年度)。他方、社会保険料は56.6%だ。また、国のみならず地方も社会保障給付を賄う財源を負担するから、国の一般会計だけに注目すると問題の全体像を見失う。

 第二、話を国の一般会計に絞っても、社会保障の本当の比重は表面的に見るより大きい。なぜなら、過去の社会保障費を税で賄いきれなかった分が、現在の国債費に含まれているからだ。消費税を引き上げたところで、過去の債務が減るわけではない。さらに、地方負担分の一部を賄うために、地方交付税交付金が支出されている。

 2009年度の一般会計歳出のうち、社会保障関係費は27.5%だ。全体の19.8%を占める国債費のうちの「あと払い」分や、全体の16.2%を占める地方交付税交付金のうちの間接的な社会保障費を2割と見なすと、7.2%になる。したがって、「広義の」社会保障関係費は、一般会計の34.7%を占めることになる。つまり、一般会計の3分の1以上は、社会保障費に充てられているのだ。

(2)検討が必要な事項
 第一、社会保障制度がカバーするべき範囲。
 第二、公的セクターで行う場合の財源としての税と保険料の分担。

 つまり、問題の根本は、高齢化の進展によって社会保障費が自動的に増加することなのだが、第一に公的セクターがカバーすべき範囲を再検討し、第二に財源の裏付けをはっきりさせなければならない。
 この2つは、関連はしているが、概念的には別の問題である。

 一般には、主として第二点について議論されている。現在の制度を所与として、その維持に必要な財源をいかに調達すべきかが問題とされている。
 しかし、その前に、第一点に係る議論が必要だ。
 第一点は、「税・保険料という形で負担するか、それとも自己負担なのか」ということだ。換言すれば、「国や地方公共団体が行うべきことか、それとも民営化できるのか。あるいは個人で対処すべきことなのか」ということだ。
 日本の社会保障制度の中には、この点に関する十分な議論を経ずに導入されたものが多い。財政的余裕のあった石油ショック以前の時代に、あまり深い検討なしに、「先進国で行われているから」というだけの理由で導入された制度が多い。そして、導入後に客観条件が大きく変わったにも関わらず、惰性と既得権のために、そのまま継続しているものが多い。
 社会保障制度を見直すならば、議論は第一点からスタートさせなければならない。

(3)公的施策としてカバーすべき範囲
 (2)の第一点について、今の社会保障制度は今後も公的サービスとし続けるべきかどうか、疑問がある。その理由は、次のとおり。

 第一、受益者がはっきりしているので、原理的には料金徴収が可能である。司法、防衛、警察、一般行政などのサービスに対しては、料金を徴収しようとしても難しいから、公共主体がサービス供給主体にならざるをえない。社会保障関連のサービスは、これらとは大きく異なる。
 原理的には民間の保険でもできる。実際、年金、医療、介護のどれに対しても、民間の保険が存在する。したがって、現在社会保険として行われていることを、民間保険に任すことは十分考えられる。また、自助努力に任せるべき側面もある。
 第二、「外部経済効果」がほとんどないので、公的な補助を与える必然性はない。教育(とくに初等教育)は、教育を受けた以外の人もメリットを得る(つまり「外部経済効果」がある)ため、公費で一部を賄うことが正当化される。しかし、社会保障に対しては、こうした正当化をしにくい。
 第三、所得再配分機能を果たしているかどうか、疑問がある。とくに年金保険料は、定額か頭打ちであるため、高額所得者にむしろ有利な仕組みになっている。したがって、公的保険の保険料として徴収することを正当化しがたい。

 具体的な問題の性質は、福祉(介護など)、年金、医療の各々で、かなり異なる。
 (ア)介護
 民営化の可能性と必要性が最も高い。とくに、医療行為を含まないサービスは、規制を緩和すべきだ。規制緩和によって、介護担当者の賃金を引き上げ、サービスの供給量を増大させるべきだ。他の制度に比べれば、制度発足後それほど年月が経っていないので、見直しの可能性が高い。

(イ)年金
 本来は公的年金の役割について見直しが必要だ。具体的には、給付の削減(自助努力)と民営化だ。
 しかし、年金は長期にわたる制度だから、過去の約束に縛られる。原理原則だけを考えて、白紙に描くわけにはいかない。例えば、民営化するには、財政方式を積立方式にする必要があるが、そのためには、これまで払い込まれた保険料を清算しなければならない。しかし、それは不可能だ。積立金が不足しているからだ。
 また、全額税方式といっても、すでに保険料を何十年にもわたって徴収している。そうした経緯をご破算にして、保険料を納入済みの人と未納の人とを同一に扱うことはできない。
 そもそも、給付の見直しを行うことさえ、財産権の侵害とみなされるおそれがある。

(ウ)医療
 給付の対象を見直す必要がある。現在の医療保険は風邪のような軽症にも給付する仕組みになっている。これを改める必要がある。
 他方、差額ベッドや高額の医療費をどう扱うかが問題だ。

【参考】野口悠紀雄「財政と社会保障の抜本的見直しで、何を検討すべきか」(人口減少の経済学第13回、ダイヤモンド・オンライン)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、破綻を明確に示す来年度予算の惨状 ~「超」整理日記No.544~

2011年01月10日 | ●野口悠紀雄
(1)11年度予算の死相
 昨年12月24日に閣議決定された11年度予算は、10年度予算よりはっきりと死相が表れている。
 国債発行額は、「埋蔵金」を使っているため、実質的には50兆円を超えている。
 他方、何が目的かわからない施策に、巨額の資金がつぎ込まれている。「3K」(子ども手当、高速道路料金、農家個別所得補償)がその代表だ。
 そして、基礎年金負担率引き上げの恒久財源は、実現できなかった(11年度予算までに手当てしなければならない、と法律は定める)。
 政策担当者は、日本の将来を左右する事柄に明確な戦略をもっていない。その対処に全力を傾注していない。選挙のための人気取りとつじつま合わせの算術だけがすべてのように見受けられる。

(2)日本財政の基本的な課題
 人口高齢化が進展している。その半面、財政がそれに対応した構造に転換していない。これが巨額の国債発行が続いている理由だ。
 社会保障給付は、制度を変えないかぎり高齢者人口増大によって、ほぼ自動的に増える。ことに団塊世代が受給年齢に達したから、これまで以上に増加圧力が高まる。
 その半面、税構造は90年代から基本的には何も変わっていない。日本経済衰退に伴って、税収が減少している。
 したがって、次のいずれかを選択しなければならない。(ア)社会保障制度(特に公的年金)を抜本的に改革して給付を削減するか、(イ)今後増え続ける社会保障給付に見合った恒久財源を用意するか。

(3)消化しきれなくなる国債
 現在の国債消化メカニズムは、持続可能ではない。
 90年代までは、家計貯蓄が増えて、定期預金が増加し、それを原資として銀行が国債を購入してきた。
 しかし、最近の約10年間は、企業貸付けが減少することで国債が消化されている。したがって、銀行の資産に占める国債の比重が増加している。
 日本企業に資金需要がないため、これまで問題は起こらなかった。しかし、この方式は、いつか破綻する。
 なお、日本では家計資産が1,400兆円以上あるが、この家計資産はすでに国債や企業貸付けに使用されている。その総額が増えないかぎり、企業貸付け等を減らさなければ増加する国債を消化することはできない。

(4)行き詰まるまであと10年
 野口の試算によれば、現在の国債消化メカニズムはあと10年程度しか続かない。こうなるずっと前に、銀行資産の大部分が国債になる。これはきわめて危険な事態だ。
 国債の償還に懸念が強まると、国債価格が下落する。国債は基本的には単一の資産なので、価格下落は一挙に生じる。すると、銀行の資産も一挙に悪化する。
 国債には、企業貸付けの場合とちがって、担保が存在しない。
 ギリシャやアイルランドは、EUが救済した。日本には、こうした救済者はいない。

(5)インフレ
 金融機関の破綻を回避するには、日銀が銀行保有国債を購入するしかない。さらに、新規発行国債を日銀が直接引き受けなければならなくなるだろう(国会の議決が必要)。すると、通貨発行額が増大する。インフレが引き起こされる。
 国内のインフレで円安になり、輸入物価が高騰して、さらにインフレが激化する。日本の家計が保有する金融資産の大部分は定期預金だ。この実質価値がインフレによって下落する。
 国債の海外消化が試みられるかもしれないが、買いたたかれて円安がもたらされる。輸入物価の高騰、国内のインフレを引き起こす。結局は同じことになる。
 日本の財政は、歳出の見直しや増税で解決できる段階をすでに超えている。発生時期には若干の不確実性が残るものの、インフレの到来は必然である。
 現在でもすでに富裕層は資産のかなりの部分を対外資産にしているが、資本の海外逃避が生じた場合、円安・インフレ経済への転換は前倒しで起きる。
 なお、インフレによる円安は、円の実質価値を低めない。だから、輸出は増えない。

(6)政治の貧困
 「以上で述べたことは、問題の規模がきわめて大きいだけに、対応に十分な時間が必要だ。それこそが政治の果たすべき役割なのである。その役割を、現在の日本の政治はまったく果たしていない」

【参考】野口悠紀雄「破綻を明確に示す来年度予算の惨状 ~「超」整理日記No.544~」(「週刊ダイヤモンド」2011年1月15日号所収)
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【読書余滴】野口悠紀雄&幸田真音の、「定期預金」をしている人が危ない ~日本経済の大問題 ~

2011年01月03日 | ●野口悠紀雄
 野口悠紀雄は、『世界経済危機 日本の罪と罰』(ダイヤモンド社、2008)第7章の「1 資産の運用はどうしたらよいか?」のうちpp.229-230で、定期預金について次のように書いている。
 「日本では過去10年以上にわたって、超低金利が続いた。しかし、資産を定期預金で運用することが、格別の問題を引き起こしたわけではない。なぜなら、物価上昇率もほとんどゼロだったからだ。定期預金の名目収益率は低かったものの、元本が目減りするような事態にはならなかった。(中略)一攫千金のチャンスは逃すかもしれないが、破滅するよりはいいだろう。事態が落ち着くまで定期預金で運用して待ち、落ち着いてから、成長する国・セクターへの分散株式投資を考えればよい。いまが金融資産への投資でリスクを取るときとは考えられない」
 しかし、2010年末に刊行された(奥付の発行日は2011年1月10日)『日本人が知らない日本経済の大問題』では、少し違ったことを言っている。

   *

 日本国内のいわゆる富裕層は少しずつキャピタルフライト【注1】を始めている。マスコミはほとんど取りあげていないが、かなりやっているのではないか。
 国にとっては、キャピタルフライトは怖い。富裕層は、何とか対応できるということだ。手段はいくらでもある。

 困るのは、一般の人だ。「特に定期預金をしている人。私のような人です(笑)」と野口。
 こんな低金利にもかかわらず、みなさん、日本で預金をしている。日本の個人金融資産1,400兆円のうち、約800兆円が預貯金だ。GDPお約160%も預貯金を持っているのは、先進国の中で日本だけだ。勤勉に働いて貯めこんだお金だ。
 しかし、いざ逃げようと思っても逃げられない。苛酷なことになる。

 国は、インフレによって債務を減らせるからよい。
 しかし、それも確実ではない。なぜなら、どこかでインフレを断ち切る必要があるからだ。最初は国債の実質価値が下がり、財政赤字が解消される。しかし、次には支出が増え始める。
 今の日本は社会保障費が大きくなっている。社会保障費はインフレスライドする。物価上昇に伴って額がふくらんでいく。結果として、支出が増えてしまう。だから、財政の側からするとインフレをどこかで断ち切る必要がある。しかし、これは容易ではない。

 財務省と日銀の最大の課題はインフレ対策だ。
 まず必要なのは、キャピタルフライトをどう食い止めるか、だ。強制的為替管理をどうやるか。
 預金封鎖【注2】もありえる。だが、それには法律的な手だてが必要だ。

 日本の政治は、あまりにも頼りないというか、いざとなったら預金封鎖などという劇薬のような対処を覚悟をもってできる政治家はいない。
 歴史的にみて、国の経済が疲弊の極に達すると、非常に強力な政治家が登場した。80年代の米国には、レーガン。同じころの英国には、サッチャー。ソ連では、ゴルバチョフが登場した。それが、ある種の歴史法則ではないか。
 日本に誰も登場しないとなると、日本はついに歴史法則からも見放されたことになる。

 【注1】資本逃避。国外へ資本が一斉に流出すること。主として、その国の通貨に対する責任が落ちこんだ時、高度のインフレなどで通貨価値が急落する時に起きる。かかる状態では、国内の金融がさらに混乱する。金融システムや実体経済はマヒ状態になる。
 【注2】銀行預金などの金融資産の引き出しを制限すること。政府の財政が破綻寸前になると、国民の資産に税金をかけ、破綻から免れようとすることがある。その際、通貨切替などをした上で旧通貨を無効にし、金融機関に改修させる方法がある。この場合にも金融封鎖が行われる。

【参考】野口悠紀雄/幸田真音『日本人が知らない日本経済の大問題』(三笠書房、2011.1)
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【読書余滴】野口悠紀雄&幸田真音の、日本版「ウィンブルドン現象」は起きるか ~日本経済の大問題 ~

2011年01月02日 | ●野口悠紀雄
NHKネットクラブ 番組表ウォッチ)。

----------------(引用開始)----------------
 激動の2011年ニッポンはどうやって生きるか。自らの「強さ」を確かめ、発想を転換して果敢に攻めていく戦略を、識者と経営トップ、ノーベル賞根岸博士が熱く語る。
 激しい円高、雪崩を打つ企業の日本脱出、雇用の崩壊。得意だった「ものづくり」でも、“原発”や高速鉄道の受注競争などで、競り負ける場面が続いているニッポン。ニッポンが保持する“強さ”を確認しながら、「安くていいモノを作ってさえいれば報われる」という、これまでの発想を根本的に変える局面にきていることを指摘。現場の取材を織り交ぜながら、どんな転換をしていくべきか、専門家が提言してゆく。
----------------(引用終了)----------------

 ゲストは、根岸英一(パデュー大学特別教授、坂根正弘( コマツ会長)、米倉誠一郎( 一橋大学教授)、藻谷浩介(日本政策投資銀行参事役)、真田幸光(愛知淑徳大学教授)。キャスターは、関口博之、伊東敏恵。
 たとえば藻谷参事役は、青森県の高価高品質のリンゴ「大紅栄」を例にとり、薄利多売のマーケットとは別に「高利少売」のマーケットを開拓することが重要だ、と提言する。
 あるいは米倉教授は、新幹線ダイヤの管理システムやIBMの理念「スマータープラネット」を紹介しつつ、日本が今後めざすべきは「ソリューション(解決策)を売る」ことだ、と方向づける。

   *

 「新しい産業構造への転換」にせよ、世界に伍する人材養成の重要性にせよ、野口悠紀雄の年来の主張を反映する番組だ。
 その野口の議論をやさしく解説するのが、幸田真音との対談『日本人が知らない日本経済の大問題』だ。「もうここまで見えている。このままでは私たち日本人は取り残されてしまう!」という長い副題がついている。

 たとえば本書pp.189-193のテーマは、「日本版『ウィンブルドン現象』は起きるか」。
 ウィンブルドン現象は、人材の自由化である。英国は海洋国家で、テニスや金融の分野だけではなく、外にオープンな国だ。それを殊に野口が強く感じるのは、バレエだ。ロンドンのロイヤルバレエ団は、外国人が多い。熊川哲也や吉田都がよい例だ。プリンシパルダンサーに英国人はあまりいない。人気ナンバー・ワンのアリーナ・コジョカルはルーマニア人だ。
 他方、パリ・オペラ座のバレエ団やロシアのバレエ団は国粋主義的だ。
 日本でウィンブルドン現象を起こすことは難しいだろうが、それを起こすことが次善の策だ。
 「いろいろな国から人材を集めるためには、日本という国が使い勝手がいい場所でなくてはならないし、日本に来ることが彼らのアドバンテージになるようにしないといけません」という幸田に、現時点でもその条件は満たしている、世界的に見て賃金水準は高い、それがもっとも重要だろう、と野口は引き継ぐ。
 「安全も大きなアドバンテージです。それと日本食がおいしい」という幸田に、日本食のみならずフランス料理やイタリア料理も日本は本国よりおいしい、と野口は引き継ぐ。交通機関も便利だ・・・・。
 すでに相撲はウィンブルドン現象を起こしている。日本人だけでは、「国技」を維持できないのだ。「多分、日本で一番ウィンブルドン現象が進んだ分野でしょう」と野口。

 NHKのくだんの番組でも、筑波大学のウィンブルドン現象が紹介されていた。各国から若手研究者を日本人と同等の条件で公募し、選考し、採用する。英語が職場の共通語である。

【参考】野口悠紀雄/幸田真音『日本人が知らない日本経済の大問題』(三笠書房、2011.1)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、経済危機後の1940年体制(4) ~最後に残った40年体制:日本型企業~

2010年12月24日 | ●野口悠紀雄
 1940年体制を構成するいま一つの重要な要素は、「日本型企業」である。これは、企業別労働組合、年功序列賃金、終身雇用によって構成される。
 これらも、日本経済の変貌に伴って、大変化が見られた。ことに90年代後半以降、製造業の成長が頭打ちになるにつれ、顕著になった。労働組合の影響力は低下し、終身雇用は保障されなくなった。雇用構造が正規労働者を中心とするものから転換し、非正規労働者が増加した。賃金構造も変わった。
 しかし、次の面では「日本型企業」が根強く残っている。40年体制を構成する要素の中で最後まで残ったものが、これだ。そして、日本経済の改革に対する大きな阻害要因になっている。

(1)閉鎖性
 日本型企業は、閉鎖的で、外に開かれていない。
 企業間の労働力移動は、いまだに限定的だ。とりわけ、企業の幹部や幹部候補生が企業間を移動することは、めったにない。経営者が内部昇進者であることは、少なくとも大企業に関するかぎり、まったく変わっていない。
 日本には、経営者の市場が存在しない。経営が組織の範囲を超えた普遍的な専門技術であるという認識がないからだ。日本の大企業で、内部昇進のルートをとらない最高幹部が誕生したのは、経営破綻した企業か(日本航空)、その後身か(新生銀行)、経営危機に陥った企業(日産自動車)でしか見られない。
 大企業の幹部は、経営の専門家ではなく、その組織の内部事情(とりわけ人的関係)の専門家であり、過去の事業において成功してきた人々だ。よって、企業経営の究極的目的は、これまで築いてきた企業の姿と、従業員の共同体を維持することに置かれる。時代の変化に適応して企業の事業内容を変化させることは、相対的に下位の目標とされる。環境が変わっても、過去に成功した事業を捨てない。過去に成功した人々が実験を握っているから、過去の成功にとらわれて、変化する世界の中で変革を拒否する。
 かくて、本来は未來を開く推進力となるべき企業が現状維持勢力となってしまう。世界経済の大変化にもかかわらず、これまでのビジネスモデルを継続することに汲々とし、企業の存続だけを目的とするようになる。

(2)市場経済システムの否定
 日本型企業は、市場経済システムに対する否定的な考えに強く影響されている。
 株式会社制度は、株式の売買が自由に行われることを前提にしている。業績のふるわない企業の株価が下落し、経営に影響が及ぶことが期待されている。
 しかし、日本の大企業の多くは、株式の持ち合いによって、こうした圧力から守られている。外貨の導入に強く抵抗する。このため、市場の圧力が経営に影響しない。この意味においても、日本の大企業は閉鎖的である。
 日本経団連は、こうした考えを正当化している。資本主義の根本原理を否定し、資本の論理に任せるな、と主張している。きわめて奇妙な光景だが、経団連は戦時期の「統制会」の上部団体が1945年に名称を変えたものだ。当然いえば、当然のことだ。
 新しい産業が生まれる力は市場に存在する。その力は、上記のようなメカニズムが働くことで、日本経済から失われている。その結果、日本経済はグローバルなスタンダードから外れ、衰退していく。
 経済に活力が失われ、新しく発展するよりも従来のものを守りたい欲求が強まると、高度成長期以上に1940年体制的な色彩が濃厚になる。

(3)「アカ」の過激思想家・岸信介
 (1)と(2)の日本企業の特性は、日本社会の必然であり日本社会に固有のものである・・・・わけではない。戦前の日本企業は、戦時と日本企業とはきわめて異質なものだった。日本にも「欧米流の資本主義」があった。
 株主が会社の経営者を選任し、経営の基本を決めるのが株式会社制度だ。形式的には日本企業もこの形態をとっているが、形骸化している。
 しかし、戦前の日本では、株主の影響力が強く、実態もそうだった。ところが、戦時経済改革によって銀行融資の重要性が高まったため、企業構造は大きく変質した。とくに大企業においては、株主の影響力は形骸化し、企業は実質的には経営者と従業員の共同体になった。
 これは、社会主義経済における国営企業に近い。日本の経済史は、1940年前後に大きな不連続を経験している。
 商工次官岸信介をはじめとする「革新官僚」は、「所有と経営の分離」をめざした。公共的な目的への奉仕だ。このため、配当を統制し、企業が「資本に拘束せらることなく生産の確保増強及び拡大再生産に対する国家的責任」を果たせるようにしようとした。
 当時の財界は、市場経済の思想にのっとって、強く反対した。当時の日本では、岸は「アカ」の思想の持ち主とされた。
 今日、岸は「保守反動政治家」の代表選手と目されている。日本人の考えは、戦時期を経てガラッと変わったのだ。
 40年当時の革新官僚の「過激な思想」は、戦後日本の標準になった。そして、今の日本でも当たり前のものと考えられている。

(4)国際競争
 日本企業は資本面で国際競争にさらされていない。だから、日本企業は変革できない。資本面からみると、日本は鎖国状態にある。
 このため、経営者は直接競争にさらされることがない。競争は、経済パフォーマンスを向上させる最も基本的な手段だ。日本では、製品の競争はあっても、経営者や資本面の競争はない。
 外資に対して、日本の経済界はつねに「脅威」と警戒する。しかし、外国の資本が日本に入ってくるのは、従業者にとっては歓迎するべきことだ。経営に刺激を与えて日本経済を活性化する、と期待されるからだ。
 2007年に三角合併が解禁されたが、ほとんど効果をあげなかった。経団連は強く反対し、経産省も海外企業進出事案に反対した。日本企業は必死に防衛策を固めた。
 かつては、どの国も程度の差はあれ、外国資本の進出にはネガティブだった。80年代に日本が米国を買ったときにも、米国国内で強い拒否反応が起きた。
 しかし、これに関する状況は、90年代に大きく変わった。そして、外国企業の進出にオープンな姿勢をとった国が発展した。その典型は、英国とアイルランドである。

   *

 以上、参考文献の第11章「3 最後に残った40年体制:日本型企業」に拠る。
 これに続く「4 未來を開くために何が必要か」において、野口は日本が対処する方法を示す。第一、古いものの生き残りや現状維持を助けない。第二、このままでは生き残れないと認識する。また、日本経済活性化のために、人材と資本で日本を外に向かって開き、「閉じこもり」から脱却することを説く。詳しくは、本書をご覧いただきたい。

【参考】『増補版 1940年体制 -さらば戦時経済-』(東洋経済新報社、2010)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、経済危機後の1940年体制(3) ~世界経済構造の大変化~

2010年12月23日 | ●野口悠紀雄
 90年代以降、日本や独国などの産業大国が没落し、その半面、米国、英国、アイルライドなど「脱工業化」した国がめざましい発展を遂げた。
 一人当たりGDPをみると、日本は90年代の初めには主要国中トップだったが、09年には17位にまで落ちこんだ。その半面、70年代までは欧州で最も貧しい国といわれていたアイルランドは、90年代以降大成長を遂げ、主要な先進国を追い抜いた。09年でも、日本の1.3倍ほど高い。
 このような現象が生じた原因は、80年代以降の世界経済構造の大変化である。

(1)新興国の勃興
 大量生産の製造業において重要なのは、新しいものの創造ではなく、規律である。全員が共通目的の達成をめざして、所与の職務を性格に遂行することが求められる。また、金融も、市場メカニズムにしたがって資金配分される直接金融より、資金配分を政府がコントロールできる間接金融のほうが都合がよい。これに軍事国家の要請が重なって、日本の戦時経済体制ができあがった。
 この体制は、1940年頃の世界では、決して特殊なものではなかった。
 第二次大戦後の世界でも、70年代までは、技術の基本的性格はそれまでと同じものだった。だから、産業構造も変わらなかった。この時代の中心産業は、製造業、なかんずく鉄鋼業のような重厚長大型装置産業と、自動車のような大量生産の組立て産業である。産業革命によって始まった経済活動が行き着いた究極的な姿である。
 このような環境の中で、戦後も戦時経済体制を維持し続けた日本が良好な経済パフォーマンスを実現できたのは、当然のことだ。

 しかし、今やアジア新興国が工業化した。最初は、韓国、台湾、シンガポール、香港。続いて中国。これら諸国が低賃金を用いて工業製品を安価に生産できるようになったため、先進国における製造業は優位性を失った。製造業中心国は、立ち遅れることになった。

(2)情報技術の変化
 80年代以降の世界では、技術体系に大変化が生じた。
 情報処理と通信の技術が、集中型から分散型に移行した。コンピュータは、大型汎用計算機からパソコンへ移行した。通信は、電話や専用回線からインターネットへ移行した。この変化は、経済構造の根幹に本質的な影響を与えた。
 情報処理システムが集中型だった時代には、経済システムでも中央集権が有利だった。
 日本の戦時経済体制も、中央集権的色彩が強いから、古いタイプの情報システムに適合していた。米国でも、70年代までは、組織の巨大化・集権化が進展し、政治面では連邦政府の比重が増したのである。
 ところが、90年代以降の情報技術の変化は、このパラダイムを根本から変革した。分散型情報システムが進歩すると、分散型経済システムの優勢性が高まる。したがって、計画経済に対して市場経済の有利性が増し、大組織に対して小組織の優位性が高まるのだ。
 経済活動の内容も、産業革命型のモノ作りではなく、金融業(投資銀行的業務)や情報処理産業の重要性が増す。

 中国などの工業化の影響とともに、技術上の大変化が産業構造の変革を要請したのだ。
 こうした経済活動には、ルーチンワークを効率的にこなすことではなく、独創性が求められる。集団主義ではなく、個性が重要になる。政治的にも地方分権が望まれる。
 統制色の強い戦時経済体制は、新しい体系の下では、優位性を発揮できない。むしろ、変革と進歩に対して桎梏となるのである。

   *

 以上、参考文献の第11章「2 戦時経済体制が有利である時代は終わった」に拠る。

【参考】『増補版 1940年体制 -さらば戦時経済-』(東洋経済新報社、2010)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、経済危機後の1940年体制(2) ~二つの経済危機と1940年体制~

2010年12月22日 | ●野口悠紀雄
 石油危機(70年代)と今回の世界経済危機(07~09年)では、危機後の日本経済のパフォーマンスに大きな相違があった。

(1)石油ショック
 73年の第一次石油ショック及び79年の前まで、先進工業国は安価な原油の安定的供給を基礎に経済成長を謳歌してきた。しかし、こうした経済構造は根底から揺るいだ。
 その後、世界経済は徐々に回復していったが、その程度は国によって大差があった。多くの欧米諸国では、経済停滞が長引いた。とくに米国と英国が深刻だった。
 石油ショックへの対応において、賃金決定のメカニズムが決定的な重要性を持った。欧米では、物価スライド条項を含む賃金協定が普及していたので、スタグフレーションに陥ったのである。
 かかる事態に対処するため、欧州(とくに英国)では「所得政策」の導入が論議された。しかし、これは統制だから、自由主義経済では難しい。

 ところが日本では、所得政策と同じことが、自然発生的に実現できた。戦時経済体制を引き継いだ日本では、企業別労働組合が企業別に賃金交渉を行う仕組みが定着していた。しかも、企業一家主義が一般的だった。だから、労働組合は経営者と一体となり、賃上げよりも会社の存続を優先した。こうした「経済整合性路線」が鉄鋼労連など金属労協を中心として結成され、第一次石油ショック直後に見られた実質賃金重視の方針から早期に転換し、賃上げを自制するようになった。
 また、日本では企業内での配置転換は比較的容易に行えた。このため、経済の構造変化に対して柔軟に対応できたのである。
 賃金上昇圧力が低かったため輸出が増大し、経常収支黒字が拡大した。このため国内インフレが抑制された。また、輸出増大によって不況も克服された。かくして、好循環を実現できた。
 日本経済は大打撃を受けたものの、比較的早期に立ち直った。80年代以降、世界経済でめざましい躍進を遂げた。ドイツと並んで世界経済をリードした。

(2)リーマンショック
 今回の危機においても、日本経済は大打撃を受けた。そして、石油ショックの時とは異なり、10年にいたっても危機前の経済水準を取り戻すことができない。
 他方、危機の原因を作った米国経済は、危機から脱却している。米国の失業率が高いのは事実だが、GDPは回復している。
 日米間において、石油ショック時とは逆の現象が生じている。
 企業利益の差も明白だ。2007年4-6月期と2010年4-6月期を比較すると、全産業は、わけても製造業は、奈落の底から這い上がったものの、まだ危機前の水準は取り戻せない。
 その半面、米国の場合、同期を比較すると、全産業は危機前の水準を取り戻し、それより3.5%高い水準になっている。危機の原因を作った金融業も、かなり回復している。情報関連は、3割近く高い水準で過去最高を更新しつつある。
 利益率を見ても、日本企業は立ち遅れている。

 40年体制は、石油ショックにおいてポジティブな役割を果たした。そして、日本が石油ショック克服の優等生になったため、戦時経済システムが生き残った。しかも、強化する結果となった。日本人は、「日本型経済システム」に自信過剰となった。
 これが、金融危機においては不利に働き、ネガティブな影響を与えている(次回以降詳述する)。

(3)1940年体制の変貌
 40年体制は、すべての側面において元のままの形で残ったわけではない。日本経済は、80年代後半のバブルと90年代のバブル崩壊を経て大きく変質した。90年代後半からは経済成長が停滞するようになった。この過程で、40年体制も変化を余儀なくされた。
 40年体制の中核的部分のうち、官僚制度と金融制度における40年体制は、90年代からの日本経済衰退過程において大きく変質し、主要な要素が消滅した。その象徴は、日銀法の改正であり、大蔵省、通商産業省という名称の消滅だ。実体面をみれば、金融制度は大変化した。40年体制金融制度の代表、長期信用銀行が消滅した。都市銀行も再編され、少なくとも表面的な姿は変わった。企業の資金需要が減退し、資本取引が国際化したため、統制的な色彩が強かった金融体制の役割が大きく低下した。大蔵省、通産省などの経済官庁の地位が低下したのも、市場経済の進展に伴って、統制的な経済規制のはたすべき余地が少なくなったからだ。

 他方、40年体制の中核的部分のうち、税・財政制度には40年体制的制度が依然として根強く残っている。税・財政は、もともと市場経済とは別の存在だから、経済情勢の変化に応じた変化は生じなかったのだ。給与所得税と法人税を中心とする税制の構造は、ほとんど変わっていない。
 また、地方財政が国の財政に大きく依存する構造も変わっていない。
 いま一つ残ったのが、「日本型企業」の閉鎖的体質だ。そして、市場メカニズムを否定する考えである。

   *

 以上、参考文献の第11章「1 二つの経済危機と1940年体制」に拠る。

【参考】『増補版 1940年体制 -さらば戦時経済-』(東洋経済新報社、2010)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、経済危機後の1940年体制(1) ~増補版・1940年体制 さらば戦時経済~

2010年12月21日 | ●野口悠紀雄
 1995年刊の『1940年体制 -さらば戦時経済-』は、2002年に新版を出し、第11章を追加した。
 この第11章を、このたび新しい内容に差し替えた。

 95年から15年が経るうちに、日本社会は大きく変化した。経済体制もしかり。
 例・・・・95年版で戦時経済体制の象徴とした日本銀行法は改正され、旧法にあった戦時経済的規定は姿を消した。また、長期信用銀行は消滅し、都市銀行も合併と再編によって大きく姿を変えた。さらに、戦時経済体制の中核である経済官庁も大きく変貌した。大蔵省は財務省と名称を変え、大蔵省金融関連部局(銀行局・証券局)は別組織である金融庁に再編された。

 制度面の変化以上に、実体面の日本経済の変化は大きい。95年当時、日本の一人当たりGDPは、世界のトップクラスにあった。
 しかし、その後日本の順位は継続的に低下した。世界経済における日本の相対的地位は低下した。

 この背後に日本型経済制度の問題があることは、疑いない。現在の日本における最大の問題は、民間企業、とくに大企業にある。金融制度や経済官庁の面では戦時経済体制的性格が消滅ないし薄れゆくなかで、日本企業がもつ戦時経済的な体質は、むしろ強化されている。
 今の日本経済の中核的企業は、何らかの意味で戦時経済と結びついている。
 例・・・・トヨタ自動車や日産自動車は、軍需企業として政府軍部の強い保護を受けて成長した。また、電力会社は、戦時経済改革の結果誕生した。

 問題なのは、誕生の経緯だけではない。企業経営理念の基本に、市場経済を否定する考えがあることだ。
 かかる理念は、高度成長の実現や石油ショックへの対応に当たっては、プラスに働いた。しかし、それ以降の発展にとっては、ネガティブな意味をもった。かかる理念こそ、90年代以降の世界経済の大変化に日本が適応することを困難にした基本的理由なのだ。
 最後に残った戦時経済体制の克服こそ、日本経済の再活性化のために不可欠の条件だ。

 このたびの第11章では、企業の戦時経済的体質について論じる。

   *

 以上、参考文献のまえがきに拠る。

【参考】『増補版 1940年体制 -さらば戦時経済-』(東洋経済新報社、2010)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、中国のバブルとその後 ~「超」整理日記No.542~

2010年12月20日 | ●野口悠紀雄
(1)中国のバブル
 中国は、経済危機後も成長し続けてきた。中国の輸出品は消費財が中心なので、日本の輸出ほど大きくは落ちこまなかった。とはいえ、輸出依存度は日本より高い。だから、大方の予想を超える成長ぶりだった。
 この最大の原因は、極度の金融緩和によって住宅投資を増加させた点にある。人民元に対する増価圧力がさほど大きくならなかったのも、そのためだ。
 工業化に伴う都市化により、中国の都市人口は急増している。だから、住宅に対する需要はきわめて多い。金融緩和により需要が爆発的に増加し、住宅価格が上昇した。都市部における住宅は、労働者の賃金所得で購入できる限度を超えている。上海や北京の普通の住宅が、日本の同じような住宅と同じような価格になっている(中国の一人当たりGDPは、日本の10分の1である)。将来の価格上昇を織りこんだ購入行動だ。つまり、これはバブルだ。
 純粋に投機的な購入もかなり多いらしい。だから、中国政府は、二軒目、三軒目の住宅購入に対する条件を強化する政策をとった。

(2)中国の金融引き締め
 このたび、中国が金融政策を変更した。これまで緩和しすぎた金融を引き締めるらしい。
 この金融引き締めは、普通に考えれば、バブル崩壊、不動産価格の暴落をもたらす。結果として生じる不良債権問題が金融危機を起こす可能性もある。
 80年代後半の日本の不動産バブルの場合、投機の対象は空地が中心だった。ビル需要の増加が予測されたが、実際にはそうした需要は現れず、不良債権の山が金融機関に残された。
 他方、いま中国で価格が上昇しているのは住宅である。その背後には都市化があり、この傾向は今後も継続する。不動産に対する需要は実需である。だからいくら価格が上昇してもバブルにならない・・・・とは言えない。
 日本でも、住宅価格もつられて上昇し、バブル崩壊によって下落した。
 米国でも、02~07年頃不動産バブルが生じた。移民などで人口は増加していたが、06年頃に住宅価格がピークに達してバブル崩壊し、金融危機が発生した。
 中国では、住宅はかなり投機的取引があるし、労働者の賃金水準では正当化できないレベルに上昇している。現状は長期的には持続できない。
 通常、バブル崩壊による経済混乱は債務不履行とそれによる金融機関の損失拡大によって生じる。
 しかし、中国政府のバブル対策が予測できない。中国は、これまで経済の常識では理解できない動きを示してきたからだ。

(3)中国が直面する問題
 中国政府が直面する問題は、不動産価格バブル崩壊による混乱だけではない。金融引き締めは、人民元高をもたらし、貿易黒字を減少させるはずだ。経済の落ちこみを防ぐため、財政支出を増加させる、と中国政府はいう。仮にそれが実行されたら、国内の金利上昇をさらに進め、元に対する増価圧力をさらに強めるはずだ。
 しかも、米国は大幅な金融緩和をすでに実施している。中国への資金流入圧力が生じ、元の増加圧力になっているはずだ。中国の金融引き締めはと財政支出増加は、この傾向を加速するはずである。
 半年ほど前と比較すれば、3つの大きな要因が元高方向に作用するはずだ。
 元の増価は、中国の貿易黒字を減少させる。中国は、国内の住宅建設の現象(場合によってはバブル崩壊)と対外黒字の減少という二つの需要下落に直面することになる。

(4)中国の対応
 (3)は、国際間の自由な資本移動を前提としたものだ。
 しかし、実際には、中国は先進諸国とは違って、強力な資本取引規制を行っている。米国の金融緩和による元の増価と貿易黒字減少を防ぐため、中国通貨当局はこれまで以上に必死になって資本の流入を食い止めるだろう。したがって、本来であれば中国に流入して元を増価させるはずの資金は、実際には自由には流入できない。
 その結果、為替市場において元に対する超過需要が生じ、需給不均衡状態が生じる。中国人民銀行は、これまで以上に大量の元売りドル買い介入を行う。その結果、国内の金融は緩和し、意図した金融引き締め効果は得られない。
 また、巨額のドル資産を外貨準備で保有することになるが、それはドル安による価値減少に直面する。
 問題は、こうした不安定状態をいつまで続けられるか、だ。
 歴史的にみれば、為替レート変動が一方向に偏って予測されている場合の攻防戦は、常に市場側が勝利し、通貨当局が敗北する結果に終わっている。
 中国の為替政策は、理論的のみならず歴史上でも明らかなマクロ経済学の法則を超えられるだろうか。

【参考】野口悠紀雄「中国のバブル対応は経済法則を超えるか ~「超」整理日記No.542~」(「週刊ダイヤモンド」2010年12月25日・2011年1月1日号所収)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、中国抜きのTPPは輸出産業にも問題 ~「超」整理日記No.541~

2010年12月12日 | ●野口悠紀雄
(1)TPPは輸出産業にとって本当に望ましいか
 TPP(環太平洋経済連携協定)問題は農業保護と貿易自由化のかねあいである、と一般には考えられている。
 農業問題は重要だが、ここではさて措き、TPPによる関税引き下げは輸出産業にとってほんとうに望ましいのか。
 貿易自由化の観点に立つと、関税同盟は必ずしも正当化できるものではない(ヴァイナーなどの経済学者による1950年代の議論の結論)。

(2)FTAの問題点
 TPPは、FTA(自由貿易協定)の拡大版だ。そこで、ここではFTAの問題点をみる。
 FTAが締結されると、協定国との貿易はFTAがない場合に比べて増大する。しかし、二国間協定であるために、協定国以外の国との貿易が阻害される可能性がある。
 例・・・・日本がタイとFTAを結ぶが、中国とは結ばない、と仮定する。すると、タイに進出した日本の現地工場は、日本から部品を関税なしで輸入できる。生産コストの引き下げができる。よって、日本とタイとの貿易は増えるだろう。しかし、中国の現地工場は、こうした利益を享受できない。したがって、本来は中国への部品の輸出を増やすべきなのだが、これは実現しない。
 つまり、タイとのFTAがない場合に比べて、中国との貿易が減少する。これが問題なのだ。中国との貿易を増やすのが望ましい、と言っているのではない。中国の現地生産のほうがタイの現地生産より効率的に行える可能性があるにもかかわらず、中国とタイの関税の相対的関係が歪んでしまうために、最適な生産配分が達成できなくなる可能性があるのだ。この攪乱効果は、「貿易転換効果」と呼ばれる。

(3)今提案されているTPPの問題点
 TPPは多国間協定なのだが、やはりFTAと同様な問題が生じる。
 今提案されているTPPでは中国が入っていないため、(2)の例と同じ問題が生じる。つまり、中国との貿易は阻害されるだろう。
 中国は、今や日本にとって最大の貿易国であり、中国抜きの経済活動は考えられない。中国を排除した協定が日本にとっていかなる意味をもつか、慎重に考えるべき問題だ。
 この問題を避けるには、中国も協定に入れる必要がある。しかし、仮にそれが実現しても、協定に入っていない国は残っているので、やはり問題が生じる。

(4)セカンド・ベストは状況を悪化させることも
 結局のところ、全世界がWTO(世界貿易機関)を通じて関税引き下げを行わなければ問題は、解決されない。
 WTOを通じた関税引き下げはファースト・ベストで、FTAはセカンド・ベストだが、セカンド・ベストでも状況は現状より改善される・・・・とFTA推進論者は主張する。
 しかし、関税同盟の議論は、セカンド・ベストは必ずしも改善にならず、かえって事態を悪化させることもある、と指摘しているのだ。

(5)協定非参加国の立場からすると迷惑
 (1)~(4)は、協定参加国の立場からする経済的な側面の議論である。
 協定非参加国の立場からすれば、関税同盟が迷惑なことは明らかだ。例えば、韓国が米国とFTAを結ぶと、米国との貿易において日本は韓国に比べて不利な立場に置かれる。
 今回のTPPについても、中国の排除は中国からすると大きな問題だ。世界第二の経済大国を排除する同盟関係作りは、政治的にみても得策ではない。
 交渉の経緯も、いささか奇妙だ。もともとシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランド間の協定として2006年に発足したものだ。そこに米国が突然入ってきた。結果として、中国を排除する経済圏が太平洋圏につくられることになる。今回のTPPに参加する可能性のある国の経済規模からして、事実上は日米間のFTAだ。

(6)農産物の関税撤廃
 TPPに対して懐疑的な(1)~(5)の議論は、国内農業保護の立場からするものではない。
 農産物の関税撤廃に、野口は大賛成だ。農産物輸入に係る高い関税は、国際的にみて高い食糧価格をもたらした。日本のエンゲル係数は、先進国のなかでは異常に高い。家計の犠牲において、日本の農業が成立しているのである。
 しかも、こうした手厚い保護によっても日本の農業の生産性は上昇していない。むしろ生産性向上のインセンティブが失われ、農業生産性は低下した。
 TPPが農業の自由化を進めるためのショックになるのであれば、この点に限ってはTPPに積極的な意義を認めうる。

【参考】野口悠紀雄「中国抜きのTPPは輸出産業にも問題 ~「超」整理日記No.541~」(「週刊ダイヤモンド」2010年12月18日号所収)

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【読書余滴】野口悠紀雄の、過去最低の就職内定率の原因と対策 ~「超」整理日記No.540~

2010年12月05日 | ●野口悠紀雄
(1)過去最低の就職内定率
 2011年3月大学卒業者の就職内定率は、10月1日時点で、57.6%である。1996年以降、最低の数値である。
 過去の実績をみると、4月時点の就職率は10月時点のそれより30ポイント高くなる。この傾向が続くならば、来年4月の就職率は9割程度になるだろう。大学新卒者の失業率は10%前後になるだろう。
 これはきわめて深刻な事態である。次の諸点を考慮すれば放置できない大問題である。
 
(2)日本経済の構造的変化
 第一に、短期的・循環的な現象ではない。
 円高を背景にして、製造業の海外への脱出が急増している。日本企業は、今後企業の中心となるべき人材を日本人に限定しなくなった。これを象徴的に表すのが、パナソニックが新規採用の8割を外国人としたことだ。設備投資においては、海外投資の伸びが国内投資の伸びをはるかに上まわっている。雇用について同じことが起こっても不思議ではない。
 新卒者内定率が過去最低の水準に落ちこんだ背景には、日本経済のこうした構造変化がある。
 新卒者の就職難は、今後長期にわたって継続するだろう。対症療法で解決できるものではない。これを変えるには、経済の構造を変える必要がある。

(3)労働市場
 第二に、雇用政策との関係だ。
 政府は、新成長戦略の中で、介護分野での雇用を増加させる、としている。
 しかし、日本の労働市場はいくつかの市場に分断されている。大学新卒者の就職市場と介護分野の労働市場とは、別の市場だ。
 仮に介護分野の労働需要が増えたとしても、大学新卒者の就職状況は改善しないだろう。

(4)解決策
 第三に、大学新卒時での就職の失敗は、その人の一生を左右する。
 これまで続いてきた日本の雇用慣行では、中途採用があまり一般的でない。「再挑戦」の機会が十分に存在しない。
 内定率がこのように低いと、若者は希望を失い、日本を覆う閉塞感が著しく高まる。深刻な悪循環が発生する危険がある。
 新しい産業が成長し、そこで労働需要が増える必要がある。新しい産業は高度なサービス産業が中心にならざるをえない。

(5)新しい産業
 米国の場合、実際にこのような変化が起きた。95年から09年の間に、製造業の雇用者数が543万人減少する半面、金融、ビジネスサービス、教育・健康部門の雇用者が1,057万人増加した。90年代以降の世界経済の大変化に対応して、産業構造が大きく変わった。
 日本では、こうした変化が実現しなかった。02年以降、円安・外需依存景気回復によって構造問題が隠蔽されたからだ。経済危機の勃発で問題が顕在化されたが、エコポイントなどによって再び隠蔽された。低い内定率は、今突然生じた問題ではなく、20年前から潜在的に継続していた問題なのだ。
 日本企業が抱える過剰労働力は、全労働力人口の1割に近い528~607万人である(「平成21年度経済財政白書」)。日本経済が現在の産業構造を続けるかぎり、完全雇用は実現しない。
 新しいサービス産業に必要な人材を育成する専門教育が遅れている。そもそも日本の高等教育体制は、社会がほんとうに求める人材を育てていない。理系学生の内定率が大きく低下した理由は、ここにある。

(6)グローバル時代の就業
 本来、学生の就職先は日本企業に限定しなくてよい。海外に活動の場を求めてもよいはずだ。これが空論に聞こえる理由は二つ。
 第一に、外国企業で働く能力を持たない日本人が増えている。外国語能力の低下が大きな原因だ。
 第二に、日本の若者が海外で働こうと望まなくなったことだ。一人っ子なので親元を離れたくないのだ。都会よりは地元がよい。ましてや海外では働きたくない、というわけだ。これまでの赴任先だった先進国とは違って、新興国での生活は大変だから、海外勤務の希望はさらに減っている。問題の深因はここにもある。

【参考】野口悠紀雄「過去最低の内定率は経済構造変化の反映 ~「超」整理日記No.540~」(「週刊ダイヤモンド」2010年12月11日号所収)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、新興国バブル ~「超」整理日記No.539~

2010年11月30日 | ●野口悠紀雄
(1)QE2
 リーマンショック直後、米国連邦準備制度理事会(FRB)は金融市場の流動性危機に対応して大量の資金供給を行った(QE1)。
 10年11月初め、FRBは第二段の量的緩和(QE2)に踏み切った。2011年6月までの米国国債6千億ドル(約49兆円)を買い上げる措置だ。
 QE2の措置は、米国の失業率が目立って低下しないからだ(10年10月で9.6%)。他方で、消費者物価上昇率が低下しているので、インフレを起こす可能性は低い、と判断された。

(2)新興国のバブル
 この金融緩和によって、米国から新興国へ資金移動が生じた。
 それによって、新興国でバブルが惹起し、各国の株価が上昇している。特に新興国で時価総額増大が顕著だ。インドネシア、フィリピンでは、昨年末から5割増となった。中国では不動産価格のバブルが起きている。
 金価格、原油先物、非鉄金属、農産物も値上がりしている。
 日経平均株価が9,000円弱(9月初め)から9,800円(11月中旬)に上昇したのも、この過程の一環だろう。バブルである可能性が高い。
 米国企業の利益は伸びているから、米国の株価はバブルとは言えない。
 米国国内では、金利が低下しても投資は増えない。資金が流出し、銀行貸出しや住宅購入が増えないからだ。失業率低下という目標が達成できるか、大いに疑問だ。

(3)ドルキャリー
 国際間の資本移動が自由な現代の世界では、金融緩和しても国内の経済活動は活発化しない。利回りの高い国や商品を求めて資金が流出してしまうのである。
 金融危機前、日本の金融緩和は「円キャリー」を引き起こした。めぐりめぐって、米国の住宅価格のバブルを加速した。
 今生じているのは、「ドルキャリー」である。資金が新興国や金、原油に流入している。金融緩和がキャリー取引をもたらした点で、危機前に生じたことと本質的には同じだ。
 危機前と違うのは、中国が財政支出を増やし、人民元の増価を防ぐために介入している点だ。元安にはならないだろう。金利平価式が働けばドル高になって損失を被るはずのドルキャリーの投機性が薄れている。逆に、将来の元切り上げによって多額の利益が得られる可能性がある。
 危機前の円キャリーには、日本政府が介入したのだが、結局は経済危機によって円高が生じ、投機取引は巨額の損失を被った。
 現在のドルキャリーは、比較的安全だ。だから、大規模に起きる可能性がある。
 中国は、バブルをコントロールするべく金融を引き締めようとしている。投機的な住宅購入を規制している。しかし、引き締めて金利が上がれば、投機マネーの流入が増える。05年頃に米国が陥ったのと同じジレンマに直面している。

(4)世界的なマクロ不均衡
 米国からすれば、中国の介入で為替レートが歪んでいることが問題だ(米国はネットの輸入国なのでドル安は望ましくない。元安で中国の経常収支黒字が拡大することが問題だ)。
 中国からすれば、米国の金融緩和が投資資金の流入をもたらすから問題だ。
 日本では、ドル安が輸出産業の利益を減少させる、とされる。
 これは、世界的なマクロ不均衡である。
 02年以降のバブルは、世界的なマクロ不均衡を背景として生じた。これが崩壊して金融危機が起きた。それへの対処として欧米諸国が金融緩和したことが、新しいバブルを引き起こした。結局、不均衡は是正されなかった。

(5)バブル崩壊
 危機前には、欧米の金利が高く、日本の金利が低かったから、キャリー取引は日本から欧米に向かった。危機後、欧米の金利が低下したため、こうしたキャリー取引はもう起こらない。
 現在のキャリー取引は、先進国から新興国へ向かう。新興国では投資需要があるから、高金利国になる。だから、先進国が金融緩和すれば、金利差がさらに拡大し、不可避的にそこに資金が流入する。
 要するに、先進国でいくら金融緩和しても、資本移動を起こすだけだ。自国経済を活性化できない。新興国のバブルを増殖するだけに終わる。
 そして、バブルはいつか崩壊する。
 米国のバブルは、5年続いて崩壊した。
 中国のバブルも、いずれ崩壊するだろう。金融危機と同じようなハードランディングになる危険が大きい。世界経済が再び大混乱に陥る可能性は否定できない。

【参考】野口悠紀雄「QE2がもたらすのは新興国バブルだけ ~「超」整理日記No.539~」(「週刊ダイヤモンド」2010年12月4日号所収)
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【読書余滴】野口悠紀雄の慨嘆と日本経済の行方 ~『経済危機のルーツ』の「おわりに」から~

2010年11月26日 | ●野口悠紀雄


 『経済危機のルーツ』は、日米の、経済危機に先立つ大繁栄の時代を振り返る。
 そして、この経済史に、その時代を生きた野口悠紀雄が自ら目にしたもの、聞いたものを挿入している。他の著書と異なって、個人的要素が含まれるのだ。
 だから、次のように慨嘆する。

 「私はいま、40年を経て元の地点に戻ってきた思いを強く持っている【注】。日本は再び世界から忘れ去られ、登用の小さな島国に戻りつつある(10年2月のトヨタリコール事件に関して、海外メディアからのインタビューが異常というほどにあったのだが、そのとき『これまで10年以上、日本は忘れ去られていた』と、改めて感じた。08年秋に『日本の金融危機の経験がアメリカに役に立つ』と思われたときにも海外からの取材があったのだが、そのときには日本はすぐに忘れ去られてしまった)。
 ただし、いまと40年前のすべてが同じであるわけではない。
 最大の違いは、40年前にわれわれが持っていた『希望』が、いま日本にないことだ。40年前われわれは、『明日は今日より豊かになる』と確信していた。
 それは、われわれが貧しかったからである。貧しさこそが、われわれの希望の源泉だった。
 そえから日本は豊かになった。もはや、そのときの貧しさに戻ることはできない。では、豊かになってしまった日本に希望はありえないのか?
 決してそうではあるまい。40年前にわれわれが持っていたのは、貧しさだけではない。われわれは、謙虚さや率直さをも持っていた。アメリカの豊かさに圧倒されはしたが、『こうなるには、どうすればよいか?』と考えた」(「おわりに」)

 【注】野口は、米国で5年間学び、1972年経済学博士号を取得した(イェール大学)。

 だが、物質的に豊かになる過程を通じて、わけても80年代の拡張期を通じて、日本は謙譲さと率直さを失った、と野口はいう。
 米国は今後も成長する、と言えば、「米国かぶれ、日本のよさに目を向けろ」といった反応が返ってくる。
 米国、英国だけではなく、他の国に学ぶことも重要だ。特に韓国に学ぶことが重要だ。アメリカの大学院には、中国人口の3.6%しかない韓国の留学生が中国人留学生と同じくらいいる。その半面、90年代の初めまで米国の大学キャンパスで目立っていた日本人留学生の数はめっきり減った。
 韓国の元気のよさは、留学生だけではない。サムスン電子、LG電子、現代自動車の躍進ぶりも目を見張る。そして、トリノ、北京、パンクーバーのオリンピックでは、メダル数で日本を圧倒した。
 日韓の間のこうした差は、基本的には、「外国に学ぶ」という謙虚さを日本人は失ったが、韓国人は持ち続けていることだ・・・・と野口はいう。
 謙虚さを取り戻し、優れたものに学ぶ勇気をもう一度もつこと。それが、いまの日本でもっとも求められる。
 本書、『経済危機のルーツ』が、そのための足がかりになれることを心から願う・・・・。

 野口の嘆きと願いは、1940年に生まれた野口の同時代人の嘆きと願いでもあるだろう。

 世界経済危機は、資本主義が壊滅する過程でもなく、米国退場、中国が世界経済をリードする幕開けでもなかった。選別の過程だった。ブームへの便乗組とニセモノが振り落とされる大規模なストレステストだった。
 これが本書の立場である・・・・と野口はいう。
 米国の金融機関が選別された。敗者は、リーマンブラザーズ、メリルリンチ、シティグループ、AIGである。勝者は、ゴールドマンサックス、JPモルガン・チェース、ウェルズファーゴだ。
 金融業以外でも選別があった。GMなど古い製造業の企業は破綻した。その半面、グーグル、IBM、アマゾン、アップルなど先端IT企業が絶好調だ。
 今後、先端金融と先端ITが残る。製造業の姿は変わり、その変化に対応できる企業が将来に生きのびる。
 先進国の中で、米国はその内部で選別を進め、成長を続けるだろう。成長の核がある。この点で日本のバブルと最大の違いがある。
 英国やアイルランドも勝者だ。他方、明白な敗者はアイスランドだ。日本やヨーロッパ大陸の大国も敗者かもしれない。
 日本経済の問題が明らかになった。日本人が探究しなければならないのは、脱工業化への道筋だ。日本経済を基本から変える必要性は、焦眉の急である・・・・。

【参考】野口悠紀雄『経済危機のルーツ ~モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか~』(東洋経済新聞社、2010)

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【読書余滴】野口悠紀雄の、経済回復から独り置き去りにされた日本 ~「超」整理日記No.538~

2010年11月22日 | ●野口悠紀雄
(1)日米経済の基本的な違い
 米国の失業率は、高止まりしている。この点で米国経済が大きな問題を抱えているのは事実だ。
 その半面、米国企業の利益は、記録的な水準を更新しつつある。ダウ平均株価は、リーマンショック前の水準を取り戻した。
 日米のパフォーマンスに大差があることに注意が必要だ。このことは、株価をみれば明白だ。11月第2週の日経平均株価は9,700円程度だ。リーマンショック直前の値12,000円(08年9月12日)の4分の3程度でしかない。
 米国企業は、人員整理によって経済危機による利益の急減から回復した。そのために失業率が高くなっているのだ。その半面、企業利益は顕著に回復した。「ジョブレスリカバリー」が進んでいるのだ。経済全体の観点からは問題だ。しかし、企業利益が高水準であることは、将来に向けて成長するエンジンが健在であることを示す。
 翻って、日本は、経済成長の牽引力たるべき企業が利益を回復できないままでいる。
 これが、日米経済の基本的な違いである。

(2)日米経済の具体的な違い
 日本の全産業の純利益は、10年度上半期でもリーマンショック前の95%にしかなっていない。電機産業大手8社は1.4倍になったが、エコポイントの影響があったからだ。つまり政府支援の賜物である。自動車大手7社は、エコカー購入支援があったにもかかわらず、98%の水準にとどまっている。
 米国国内企業の利益の回復は、日本企業より早く、回復率も高い。08年4~6月期と10年同期とくらべると、48.1%の増加で、うち金融業は48.2%の増加、製造業は71.5%も増加である。
 「コンピュータ」はなんと10倍の増加だ。アップルやシスコシステムズなど、他国の企業が追随できない先進的な製品を送り出せる企業が存在することの反映だ。米国経済は、未來に向けて成長する産業をもっていることが、はっきりわかる。
 上記と同期間の日本企業の経常利益は、全産業(金融保険を除く)で15.4兆円から13.2兆円へ、製造業は6.5兆円から4.6兆円へ減少している。個別の企業も同様の傾向がみられる。
 税引き前当期純利益について、直近の四半期決算の値を4倍したものと、リーマンショック前の年次決算の値との比をとってみると、次のとおりだ。
 米国の先端企業グーグルは1.9倍、アップルは3.2倍だ。かなり利益が増大している。
 他方、ソニーは0.62倍、トヨタ自動車は0.67倍だ。リーマンショック前の6割程度にしかなっていない。これまでの利益回復は、政府の購入支援策によるところが大なので、10年度下半期では利益が減少するだろう。

(3)先進国の中で独り置き去りにされた日本
 経済危機から回復したのは、米国だけではない。英国も独国も、株価でみるかぎり、リーマンショック前の水準を取り戻した。
 リーマンショック前の水準より3割低い水準から這いあがれない日本が、世界の先進国の中で例外的存在なのだ。
 なぜか。これらの諸国と日本とで明らかに違うのは、為替レートだ。ここに大きな原因があるのは間違いない。
 だが、経済危機前(07年夏頃まで)に日本円だけが異常に安かったのである。日本企業は、その恩恵を受けて、一時的に利益を増やしたのだ。経済危機後、やっと正常なレベルに回帰しつつあるのだ(実質レートでみれば、1990年代中頃にくらべて、まだ3割ほど円安である)。
 09年以降、中国への輸出が回復し、他方では政府の援助があった。そのために、問題が再び見えにくくなっていた。支援策が終わった今、やっと問題の本質がはっきり見えるようになった。

(4)隠蔽の限界
 現在日本経済が抱えている問題は、本来であればずっと前に顕在化していたはずのものだ。90年代後半以降の為替介入(とりわけ03年頃の大規模な介入)による円安で隠蔽し、経済危機勃発後は政府の補助で隠蔽してきた。
 もやは問題を隠蔽できなくなった。
 企業は、日本国内での生産では対応できないことにようやく気づいた。そして、いま製造業は雪崩をうって日本から脱出しようとしている。
 この結果、日本国内に残されるのは、大量の失業者と過剰な生産設備だ。

【参考】野口悠紀雄「危機前に回復した世界、置き去りにされた日本 ~「超」整理日記No.538~」(「週刊ダイヤモンド」2010年11月27日号所収)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、日本のものづくりを冷静に考え直そう ~「超」整理日記No.537~

2010年11月18日 | ●野口悠紀雄
(1)日本の製造業をめぐる条件
 このところ、急速に変化している。
 (ア)9月の鉱工業生産指数が4ヵ月連続低下となった。背景に、エコカー補助金廃止と対中国輸出の伸び悩みがある(2009年春からの景気回復の要因)。
 (イ)円高を背景に、生産拠点の海外移転が加速している。日本の製造業の大企業は、今後の生産は海外拠点で行う方針に転換したようだ。

(2)最近の状況の底流にあるもの
 製造業の性格が長期的なトレンドとして変質しつつある。最近の状況変化で加速され、はっきり見えるようになった。
 だから、必要なのは、日本の企業がビジネスモデルを変更することだ。事態悪化を政府の責任にするのは、言い訳であり、責任転嫁にすぎない。
 こうした変化は、今急に始まったことではない。20年前から徐々に生じていたことだ。製造業の分業化が進み、新しいタイプのものづくりが主流になりつつある。こうした変化に対応できなかったからこそ、「失われた20年」になってしまった。

(3)日本の半導体産業敗退の理由
 1980年代末、日本の半導体産業は世界を制覇していた。米国の半導体メーカーは、見る影もなかった。
 それから20年たち、トップは米インテルで、第二位は韓国のサムスン電子だ。この2社が世界の20%以上のシェアを占めている。
 日本の半導体産業敗退の理由は、世界経済と技術の条件が90年代から大きく変化したからだ。半導体が、先端的製品と低価格製品に分化したからだ。そのどちらにも、日本は対応できなかった。
 日本が覇権をとっていた頃の半導体の主力製品は、大型コンピュータ向けの信頼性の高いDRAM(記憶素子)だった。ところが、90年代になって、パソコン用のDRAMの需要が増加した。これは、低価格が求められる製品だ。たまたまこの頃に新興国が台頭し、低賃金で安価な製品を供給できるようになった。にもかかわらず、日本は信頼性の高いDRAMの生産から転換できなかった。かくて、日本の半導体メーカーはサムスンに敗れたのである。
 他方、パソコン用演算素子MPUが新しい半導体製品として登場した。インテルは、この生産に特化した。そして、日本はこの面でも対応できなかった。なぜなら、MPUはDRAMと違って製造過程だけでなく演算素子に書きこまれているソフトが重要な意味を持つ製品だったからだ。日本は、製造過程の効率化には強いのだが、先端的なソフトには弱い。かくて、日本の半導体メーカーは、インテルに置き去りにされた。
 要するに、半導体をめぐる条件に大変化があったにもかかわらず、それまでと同じ製品を作りつづけた日本の半導体メーカーは、低価格製品では韓国に敗れ、先端的製品では米国に遅れをとることになった。

(4)製造業に生じている変化 ~ソフトの比重~
 製造業においてソフトの比重が高まっているのは、半導体に限らない。
 ルーターはソフトの比重が高い。そして、米シスコシステムズが圧倒的な力を発揮している。
 iPodは、iTunesというネットワークに支えられている。ソフトに弱い日本は、携帯用音楽機器の分野でも遅れをとっている。、

(5)製造業に生じている変化 ~水平分業化~
 パソコンの生産は、10年以上前から水平分業化している。その一端を担う米マイクロソフトやインテルが高収益を上げている。
 水平分業は、エレクトロニクスの他の分野に広がっている。それを実現した米アップルは高収益を実現している。
 水平分業のなかでソフトの比重が高い企業が高収益を上げているのである。
 こうした展開ができない日本企業の収益性が落ちている。
 日本の電機産業も対前年比では高い伸びを示しているが、水準は低いし、エコポイントの恩恵が大きい。日米のエレクトロニクスやIT関連産業の収益率には大差が生じている。

(6)製造業の構造の再編成
 日本は、古いタイプのものづくりから脱却できていない。失われた20年の基本的原因である。
 これから脱却するには、日本の比較的優位がどこにあるかを認識することが必要だ。低価格製品は新興国に任せ、日本は高付加価値製品をめざすべきだった。
 日本の比較優位を冷静に分析し、それを実現するよう製造業の構造を再編成しなくてはならない。

【参考】野口悠紀雄「日本のものづくりを冷静に考え直そう ~「超」整理日記No.537~」(「週刊ダイヤモンド」2010年11月20日号所収)
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