新聞の本の紹介欄に
“豊臣家最後の姫” の副題に
「天秀尼の生涯」という文字が
私の目に飛び込んできた。
すぐに、新聞を切り抜いた。
歴史は好きで、山岡荘八の徳川家康は、36刊を
全部読破した、自分で買い揃えたのである。
なので、本は買うものだと思っていた。
この本は読みたいと思った。
正直、この姫の存在を初めて知ったので。
新聞の切り抜きは大事に取っていた。書店の近くに行ったら、
買うべし。
ふと、図書館を思い出した。
現役後は、図書館のボランティアをしたねぇと思い出してもいた。
まず、この本があるか 問合せてみた。
ありますよ☺
予約を入れ、カウンターに置いてて欲しいと
あつかましい、お願いもした。
本は一気に読んだ。借りて良かった。
自分で買うと、いつでも読めるからとあとまわしになる。
数年前に買った本が幾冊もある……積ん読状態で。
秀頼には知ってのとおり、千姫なる正室がいた。
この時代、跡取りを絶やさぬため、側室がいるのは当たり前だっ
た。
秀頼は、側室に二人の子どもを産ませている。
二人とも母親は同じだそうである。
5才で父子の対面をし、以後大阪城で生活する。
大阪落城まで2年間近く、一緒に居たことになる。
千姫と同様、この二人も落ち延びるが、やがて徳川方の手に落ち
る。
男児の国松は斬首され、泰姫は千姫が家康に懇願して養女にした。
だが、それも一時のことで、尼寺に入れられたのである。
完全に豊臣家の断絶を図ったことになる。
それにしても、家康は二人が捕まるまで全く知らなかった由。
尼になった天秀尼に対して、ずっと援助の手を止めることの
なかった千姫も……のち再婚して二人の子どもの母となる。
千姫ものちに、天…尼 ? になるが、互いに文等で交流が
続いたそうである。
知っている人は沢山いるだろうが、国松の存在も初めて知った。
何より、千姫の見方が変わったのがこの本のおかげであろうか❗
“豊臣家最後の姫” の副題に
「天秀尼の生涯」という文字が
私の目に飛び込んできた。
すぐに、新聞を切り抜いた。
歴史は好きで、山岡荘八の徳川家康は、36刊を
全部読破した、自分で買い揃えたのである。
なので、本は買うものだと思っていた。
この本は読みたいと思った。
正直、この姫の存在を初めて知ったので。
新聞の切り抜きは大事に取っていた。書店の近くに行ったら、
買うべし。
ふと、図書館を思い出した。
現役後は、図書館のボランティアをしたねぇと思い出してもいた。
まず、この本があるか 問合せてみた。
ありますよ☺
予約を入れ、カウンターに置いてて欲しいと
あつかましい、お願いもした。
本は一気に読んだ。借りて良かった。
自分で買うと、いつでも読めるからとあとまわしになる。
数年前に買った本が幾冊もある……積ん読状態で。
秀頼には知ってのとおり、千姫なる正室がいた。
この時代、跡取りを絶やさぬため、側室がいるのは当たり前だっ
た。
秀頼は、側室に二人の子どもを産ませている。
二人とも母親は同じだそうである。
5才で父子の対面をし、以後大阪城で生活する。
大阪落城まで2年間近く、一緒に居たことになる。
千姫と同様、この二人も落ち延びるが、やがて徳川方の手に落ち
る。
男児の国松は斬首され、泰姫は千姫が家康に懇願して養女にした。
だが、それも一時のことで、尼寺に入れられたのである。
完全に豊臣家の断絶を図ったことになる。
それにしても、家康は二人が捕まるまで全く知らなかった由。
尼になった天秀尼に対して、ずっと援助の手を止めることの
なかった千姫も……のち再婚して二人の子どもの母となる。
千姫ものちに、天…尼 ? になるが、互いに文等で交流が
続いたそうである。
知っている人は沢山いるだろうが、国松の存在も初めて知った。
何より、千姫の見方が変わったのがこの本のおかげであろうか❗
ただ、歴史はどこまで正確に伝わっているか疑問!
奥筆たちの記録・・・多分主観が入っているだろうから。それをまた現代の御人達の想像と主観で、塗り替えられた部分があるかもしれない。