みみのアンテナ

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また、忙しい

2012-06-06 00:32:25 | 生活

 

姉が逝ってしまって、昨日6月4日に100ヶ日を迎えた。

慌ただしい3ヶ月だった。

私はこのブログに記憶として、支障のないことを残こして置こうと思うが、
なんせ忙しい。

と言うより、自分自身のスローペースのせいなのだが・・・

あの日にタイムスリップしょう。

姉が無くなる前日の25日(土)、私は病院近くのスーパーに買い物に出かけ、戻ってくると
義姉が、義姉のお母さんと様子見がてら見舞いに来ていた。

「お姉さん、今あごがガクッと落ちたのよね」
私は分からないので、頷いたのみ。

このときの状況を、義姉は葬儀も終わった後で、振り返り、
「お姉さんは、あのとき亡くなったのよ、ただ点滴で心臓を動かしていたのよ」

義姉は、介護福祉士と健康管理士とやらの国家資格を取得している。

日曜も来てくれたが、この日は1H位で、どうでもあったらすぐ来るからと言って帰宅したが、

どうも点滴で延命措置をしているようだと、言い残していた。
お昼前のことだった。

一人になった私は、姉の観察をしていた。
荒い息・酸素マスクがあっても・・・

入院した日を思い出していた。

入院するときどこの病院でもそうだが、緊急連絡先やもしもの時の対応を確認する。
もちろん病気によって、確認内容は弱冠の相異はあるだろうが、

私も姉も、日頃から延命はしないと言い合っていた。

看護士を呼び、姉の点滴をはずして普通にして下さい、と申し入れた。

「日曜日で主治医はお休みなので、月曜日になります」
「ご自宅に電話が有るでしょう?」

看護士はナース室に戻り、電話機を持っていた。
・・・・連絡してるのね・・・・

やがて病室に来て、「今から点滴をはずします、妹さんいつ何時急変するかも
知れないから、今夜は泊まった方がいいですよ」

「あらずーっと泊まってますよ」
・・・・10日間の内、自宅に帰って寝たのは2回だけ・・・・

多分3回にならないようにと云う意味だったのであろう。

義姉と甥には、細かく連絡は入れていた。
点滴をはずすから、急変かも?
やはり延命だったか、あの苦しそうな顔から解き放してやりたい・・・そう思った。

点滴をはずした姉の横で、昼食を摂る。
酸素マスクは、さすがはずさない。

そして、夜のあの時間になったのである。
姉は自力で10時間足らずを生き抜いた。

その後の葬儀という現実!
悲しんではおられない・・・・・

続きの記憶メモは又にしょう。