みみのアンテナ

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豊臣家最期の……

2018-08-18 21:39:24 | 歴史
新聞の本の紹介欄に
“豊臣家最後の姫” の副題に

「天秀尼の生涯」という文字が
私の目に飛び込んできた。

すぐに、新聞を切り抜いた。

歴史は好きで、山岡荘八の徳川家康は、36刊を
全部読破した、自分で買い揃えたのである。

なので、本は買うものだと思っていた。

この本は読みたいと思った。

正直、この姫の存在を初めて知ったので。

新聞の切り抜きは大事に取っていた。書店の近くに行ったら、

買うべし。

ふと、図書館を思い出した。

現役後は、図書館のボランティアをしたねぇと思い出してもいた。

まず、この本があるか 問合せてみた。

ありますよ☺

予約を入れ、カウンターに置いてて欲しいと

あつかましい、お願いもした。

本は一気に読んだ。借りて良かった。

自分で買うと、いつでも読めるからとあとまわしになる。

数年前に買った本が幾冊もある……積ん読状態で。


秀頼には知ってのとおり、千姫なる正室がいた。

この時代、跡取りを絶やさぬため、側室がいるのは当たり前だっ
た。

秀頼は、側室に二人の子どもを産ませている。

二人とも母親は同じだそうである。

5才で父子の対面をし、以後大阪城で生活する。

大阪落城まで2年間近く、一緒に居たことになる。

千姫と同様、この二人も落ち延びるが、やがて徳川方の手に落ち
る。

男児の国松は斬首され、泰姫は千姫が家康に懇願して養女にした。

だが、それも一時のことで、尼寺に入れられたのである。

完全に豊臣家の断絶を図ったことになる。

それにしても、家康は二人が捕まるまで全く知らなかった由。

尼になった天秀尼に対して、ずっと援助の手を止めることの

なかった千姫も……のち再婚して二人の子どもの母となる。

千姫ものちに、天…尼 ? になるが、互いに文等で交流が

続いたそうである。

知っている人は沢山いるだろうが、国松の存在も初めて知った。

何より、千姫の見方が変わったのがこの本のおかげであろうか❗

再び、いのちの旅博物館へ

2014-05-25 22:46:34 | 歴史

いのちのたび博物館 恐竜

知人が 「いのちの旅博物館と世界のねこ展」があっているからと招待券をくれた。

一度行ったのでと、お断りしたが、何度も行って下さいと言う。

従妹に連絡すると、始めは「日本のねこ展」だったが、後半は「世界のねこ展」に代わっているので、

また行きたいと思っていた。

常設展は前回はあまりゆっくり見なかったが、今度はゆっくり見た。

精巧にできているジオラマ

3億年前の北九州はこんなだった、  人類の出現1万年前~

海・山・植物・化石の数々・・・・・じっくり見てたら一日かかりますよ。 

前回並んでいたときに教えてくれた人がいたが、

ほんとや!   


ごちそうさん・・・ドラマから

2013-11-13 22:38:25 | 歴史

朝のドラマの舞台が大阪に移っている。

東京で育った洋食屋の娘が、大阪の人と結婚して後妻の母や、姉妹小姑と一緒に住んでいる。

小姑の姉が、厳しい人で・・・今でいうと、いじめになる言動である。

味が濃いとか、まずいとか言ってお膳の料理をひっくり返すのである。

関東の味が濃く、関西は薄いのは昔から言われている。

山岡荘八の「徳川家康」を全巻読むと、織田信長が京都に行って、宿泊した先で出された料理の味が、「薄い!」

と立腹し、料理人を切り殺したとある。

東京である江戸は、武士の世。

片や京の都はお公家さんの世。

関東周辺は国盗り合戦でいつも戦に明け暮れていた・・・・・いわゆる肉体労働なので、必然的に濃い味を好んだ。

京都は、帝を拝し、座位の会議(?)や戯言ばかり・・・・体を動かさないので薄味でよかった。

それがその地域の味になっている・・・・なんだと。

現代では、人は東西南北に移動したり定住したりで、味は地域でも一概に関東味とか関西味とか

言えないのではないかと思う。      

各家庭や料理する人の味が表向きになっているからで、お隣どうしでも関東風と関西風に分かれているかも知れない。

他地域に移っても、味の濃さでご先祖さんの出身地域が分かるかも知れないと思う。

ただ、最近では健康志向で、タニタの献立メニューや国循の(大阪国立循環器センター)メニュー本が、

ベストセラーになる位、薄味だがしっかりダシの美味しい献立と、患者や訪れて食べた人の評判になっていると

テレビで紹介されていた。

郷土料理も薄れていくのかな~?