1月は行く・2月は逃げる・3月は去る昔から良く聞く言葉で、時の流れの速さを
うたっているのだが、本当に早いわ。
それだけ棺桶との距離が近いってことか。
以前旧いカレンダーを気に入って処分しないことをこのブログで書いた。
荒了寛さんという宗教家の言葉が気に入って、ずーっと我が家にかけている。
4~5年前のカレンダーだが、月が替わるとめくるようにしている。
この数年前の3月のページには
「 よく解っている人は、難しいことを 易しく話す 」
ふーむ、易しくね。
中学生になって、初めて文法を習ったとき正直さっぱり解らなかった。
国語の先生は、早口でお年寄りだった。
れる、られる・・・なによ~
名詞だけはどうにか理解したが、何が動詞で、何が形容詞なのかまた形容動詞か解らなかった。
国語は好きな学科だったのだが・・・
我が中学はその頃名門校で、他地域から越境入学してくる学友がわんさと来ていた。
なので文法なんて、すぐに理解したのだと思う。
先生の授業はおまけに、進むのが早かった。
多分解っている人が多勢いたので進みが早かったのであろう。
これは私が今になって思うことである。
ところが2年生になって、若い女性の先生から文法を習い、そうだったのか!とやっと理解することができた。
目からウロコが落ちるとはこんな感じなのだろう。
面白いことに、私が高校に進んだときこの若い女性N先生の妹さんと、机を並べたのである。
彼女にはよく言っていた。
「お姉さん先生から習って、文法が解ったよ」
この彼女とは卒業しても互いに連絡を取り合い、彼女は嫁いで尼崎に住んでいた。
ご主人の仕事の都合で一時岐阜に住んでいたが、このとき遊びに行った。
料理の上手な人だった。
彼女はもう亡くなって何年になるだろう!
私が福岡に住んでいた頃、ある日職場に知らない女性から電話が入った。
「〇○の娘です」と名乗ったのでびっくりした。
「母は末期がんです」2度びっくり。
医者に会いたい人がいたら、会わせてあげるといいのではと言われた。
本人はがんだと知っている。だが末期であと1~2か月とは知らないとのこと。
会いたい人は私だと言ったそうである。
確か10月の3連休だったと記憶しているが、大阪でなく宝塚の聖マリア病院(?だった)の緩和病棟にいる彼女を
見舞うことにして、切符を買っていた。
7時代の早いのを取っていた。
朝食をしながらテレビをかけると新幹線のトンネル内で崩落があり、上下線とも不通! とニュースが流れた。
すぐに駅に電話すると、復旧の見通しが立っていないので本日は予定を中止した方がいいでしょう。
彼女の病室の電話番号を聞いていたので、翌日に回すことを伝えた。
彼女を見舞うと、お姉さんである国語の先生も来られていた。
結婚されて東村山に住んでいると言われていた。そして娘がいたが脳腫瘍で早世したとも言われていた。
がんとは厄介で怖い存在だ。我が家の母も姉兄たちも皆がんで逝った。
私は何がんで逝くのか・・・と思う。