みみのアンテナ

得た情報を発信・また受信したい

思わず さげもん

2015-06-30 15:58:15 | Weblog

                 

社会福祉協議会より派遣されて、介護サービス相談員として月に2回、施設訪問をしている。

その相談員になると、3ヶ月に一度連絡会や、勉強会、視察研修などがある。

視察研修のとき、となりの席になった人とよく喋り、その人と同じ年齢だということが分かり、互いに

年齢や名前も知る距離になった。

もうひとり別な若い人とも、お話するようになり最近初めて電話でお話した。

仮に前記に登場した人をAさんとしよう。

あとの若い人はBさんである。

Bさんはひょんなことから、Aさんからさげもんを作ってもらう機会を得た。

手芸はなんでもするというAさんに、私も下げもんを作ってもらうことにした。

25年くらい前、当時福岡に住んでいたとなりの家で、会計報告があると言う事で、お隣さんに

集まった。

そのとき、鴨居に下げていたのが下げもんだった。

聞いたことはあったが、目にしたのは初めてだった。

下げもんは、東北にもあるようだが、九州では柳川のしきたりである。

お雛様の時に下げもんを下げる・・・・何か意味があるのを聞いたことはあるが、思い出せない。

その飾りをみて欲しいと思った。いろいろ飾りも大きさもあるようで、手作りなので金額としても

高額ということも聞いていた。

高いので、欲しくても手が出ない。  ただ夢の彼方であった。

お雛様と関係なしに、単なるインテリアとして欲しいのである。

それがひょんなことから、下げもんが我が家にやってきた。

            

 

      

 

一つづつの作品に、焦点を当てると   左から ほおずき・童・蕗のとう

        明治時代の着物だそうである。    

 

彼女は門司港の旧税関で2人展を開いていた。

           

なんでも作る人・・・・半プロやね・・・・いや金銭が発生したらプロや

壁の花は切り絵と言っていた。


久しぶりの女友達

2015-06-28 22:58:01 | 医療・治療

久しぶりに、東京の友達に電話した。

今年は年賀状が届かなかったので、お正月に電話した・・・・以来である。

「ご加減が悪いのですか?」 ご主人が出られたので、いつもきちんと年賀状が届くので、そのように

言うと「アハハ、多分忘れているのでしょう」

昨年は2枚届いたが。

友達は「あら、貴女いいときに電話くれたわね」  「どうして?」

私ね、入院していたの。 どこが悪いのか尋ねると「尿道ガンなのよ!」   はぁっ!

淡々と返事した。 放射線治療していて1セット終わってね、2セット目が始まるから明日病院に戻ろうと思っていたの。

私ね、髪も抜けず体重も減らずこの治療合っているみたいよ。

そうよかったね。

お姉さま様元気?  もう亡くなったのよ。 あらそれはお寂しくなったわね。

私は彼女には姉が亡くなった年、喪中はがきを出した。 今年の初めに電話したとき、お姉さまは元気?と聞かれたので

元気よと答えた。この返答は3回目に聞かれたときであった。 

そう、お二人でいいお正月をお過ごししてね。。

ありがとう。  何だか虚しく感じた会話であった。

数年前から、彼女は最近よく物忘れするのよ・・・と言っていた。

・・・・もしかして、老いの症状が忍び寄ってきているのでは?

と感じたことがあったが。 

確実にそうなのであろう。  彼女はいつも几帳面で、周圍に気を使って、真面目な人で努力家である。

暮らしは豊かだが、環境が彼女の心身を蝕んだのであろう。

彼女が嫁いだのは、正直普通の生活レベルではない。

新婚のころ、教会から寄付を求めてきたので、大学教授だった主人にいかほど致しましょか?と

尋ねると、「20万位でいいでしょう」の返答にびっくりしたと言っていた。

また、人を紹介するとき 「こちらは〇〇大学を出て、△をされている方です」 全てがそうらしい。

自分には肩書きがないので、紹介されるのが苦痛だった、せいぜいお花の先生くらいだと言っていた。

彼女はこのように紹介されていたとか、「〇〇大学を卒業されていて、✖×流の師範をされています」

教室を持っていて、彼女が独身だった頃、自分で購入したマンションに泊まったことがあったが、自宅の一室でも

華道教室を開いていた。 彼女は大学の図書館にも勤めていた。

朗らかな人で、彼女と会った時は、いつも聞き手で笑ってばかりだった。

その彼女がね~  「お大事にね」 そんなありきたりの言葉しか浮かばなかった。

受話器を置いたあと、千葉の友人にも電話した。

昨年、山椒を送ってくれたので山椒の時期になり思い出した。

現役のころ、千葉の友人宅に上記のHさんと遊びに行き泊まった。

初めにHさんのところに泊まり、2人で千葉のSさん宅に向かい泊まり、私だけもう一泊して、

次の日、成田山新勝寺に行き、成田空港から帰省した。

この彼女も良く喋る人である。

「今Hさんに電話したよ」  「そうどんなだった?症状が進んでいた?」 Hさんの物忘れを心配していた。

彼女、、入院していてね、また明日病院に戻るって言っていた。 尿道ガンだって。

えぇっ!  少し絶句していた。

私は最近ガンになった人のことよく聞き、わが兄姉たち全員ガンだったので、もうびっくりしなくなった。

ガンです。 あぁそうなのどこのガン?  珍しくない病気なのでこのような返事をする。

2人に1人はガンになる時代が来ているそうなので、仕方ないわ。

私はどこのガンになるのだろうか!

Sさんとは通話時間が50分になっていた。このままだと1時間を越えるだろうと思い、咄嗟に

「ごめんSさん、話の途中だけどお手洗いに行きたくなったよ、そのうちまたかけるからね」

Sさんごめん。こんな嘘言って


女子会のメンバーは

2015-06-19 23:47:06 | 医療・治療

女子会と称して幼馴染と集まったのはもう2年半くらいなるだろうか?

Uさんとは時々あって、デパートに行ったり、イベントに参加していた。

Tさんには時々電話していたが、繋がらない。

多分働きに行っているのだろうと思っていた。

今年の初め、井筒屋の前でTさんとばったりあった。

軽食しようと、資さんうどんに入った。

聞いてびっくり、「私直腸ガンで入院していた」

我が家で集まった後から腸の調子が悪く、出血もあったので「痔」が悪いのかと思い、

近くの病院に行くと、肛門科に行くように支持されて行くと、医療センターを、紹介された。

それが直腸ガンだった。

時々電話していたけど、そんなことだったの。

お大事にね、またUさんも一緒に3人で食事会しようね。    気にはなるけど最近連絡していない。

そのUさん、変形性膝関節で6年間悩んだ左足についに人口関節が入った。

先週も本日も見舞いに行った。

ず~っと、整形外科でなく外科に行っていたというので、「なんで外科なのよ、整形外科に行くとそれなりの、リハビリも受けられるでないの」

「どうして、外科に行っていたのよ、」「家の近くだから」

それだったら整形外科は、アソコにもあるじゃないの。バス停は3っつ目だよと教えると、私に何でも情報知っているんやね、今度から

いろいろ相談しようと言っていた。

聞くと外科で、内科的な治療にも行っていたと言うので、どうしてよ、餅は餅やよ、ちゃんと内科に行きなさいよ。

と叱咤したことあった。

左足を人口関節だが、右足も悪くなっていたという、DRはどちらの足をしましょうかと、言ったらしい。

時間経って右もすれば?  Uさんはいい返事はしなかった。

 

生まれ育った地域では、女の子たちの中では私はお山の大将だった。

近所に キヨちゃんという何歳か年下の女の子がいた。

なぜか、私のことを「R姉ちゃん」と呼んでいる。・・・・いまだに。

そのキヨちゃんと最近よく魚町で、バッタリあう。

辻利に行こうよ。と二人で入った。

キヨちゃんの話にびっくりした。   井筒屋の株を持っている・・・・アンタ株主さんね井筒屋の?

住んでいるマンションは結婚しなかった兄が、急死して生命保険を2人兄妹の自分が全部貰ったので、

そのお金でマンション買った。兄ちゃんに買って貰ったようなもの。

仕事は続けながら、年金貰うようになったが、それは全部貯金にまわしているんよ。

ふ~ん・ふ~ん  で抹茶ソフトクリームをおごって貰った。

年下だが、ま いいか 株主さんだから。

 

 


太極拳とギボシの花

2015-06-19 22:41:54 | 植物

今日太極拳の最後の日だった。

9回あったが一度休んだので8回参加したことになる。

体力テストが初回と、最後の今日行われた。

初回・・・・膝の痛みがたたり、実年齢より体力が落ちていた。

この間膝の痛みを取る運動に、通えるときには通った。

朝、目覚めたときに布団の上で、足の運動をすると、やはりその日は辛くない。

最後のテストでは体力アップしていた。バンザーイ。

昨日は整形外科で、膝の水抜かれレントゲン撮ると膝関節の隙間は、しっかりまだあるので

何をしてもいいですよと言われた。

半月以上、尾骨も痛くそれもレントゲンの結果、とにかく姿勢の悪さと運動不足と言われた。

う~んなんとかせねば。 

以前は健康づくりセンターに通った時代もあったが・・・

帰りに旦過市場を抜けて、魚町商店街に入ると珍しいお花が売られていた。

日替わりで、いろいろな地域の人が野菜やお花を売っている一角がある。

そこで売られていた。

ギボシ・・・・「名前は聞いたことがあるけれど初めてみました」

そう言いながら、お金を払うと、夕方なので値段が200円になっていた。

叔父さんが、「ギボシってお花は2~3日しかもたない、なのでいつも葉っぱだけ。思いきって

花ごと切ったけど、あすあさってには終わるよ」

珍しいので、急いで花瓶にさしカメラに収めた。

これで永遠!ギボシの花

                                 

                                     

                                   上から撮ってみた      


パッチワーク作品・・・②

2015-06-13 22:05:43 | 趣味

        

                              

       ステンドグラスではない。

                        

    ハリのある透け感のある生地を使っている

   姉は袋類の場合必ず4っつ作っていた。

   姉妹3人と兄嫁の分とで。この袋は黒2、このグレー2枚作っている。

   私は色違いを2枚所持している。一人の姉のを私が受け継いだから。

   この袋は中がポーチになっていて出し入れ自由。

                       

               大作  タペストリー

              

                飾るところが見当たらず、こんなところに。

                かなり時間を取っていた。

               最後の作品

              姉はガンが見つかったとき、すでに末期であった。

              緩和ケア病棟にいたときも作っていた。

              担当の看護師さんは、偶然姉の母校の後輩だった。

              寝ていてもパッチワークしていたので、看護師さんは

              あまりこん詰めてしないで、教えてくれたら私がします。

              教えて貰いながらショルダーバックを作り上げた。

              姉は看護師さんに、貴女が使いなさいと差し上げたそうである。

              姉が亡くなったあと、看護師さんから聞いた話である。

              壁に掛けて飾りにしていると言っていた。

              このバックはボストンバックより、小さめだが、かなり大きな手提げである。

              姉の同級生でパッチワーク仲間に、途中まで作りかけていたこの

              大きめ袋手提げの完成を託したそうである。

              姉亡きあと半年ほどして、持って来てくださったときはびっくりした。

              しばらくは持たなかったが、買い物するのにふとこの大きい袋を持って出た。

              デパートで、誰かとすれ違いざまに、あら!

              その人は、この袋バックを完成させた人であった。

              改めて礼を言うと、 使ってあげてね、お姉さん喜ぶから。

              私が使わないのは、なんにしろもったいないからである。  

            


トーベ・ヤンソン展

2015-06-08 21:08:53 | 趣味

                          

                      

 

   正直 トーベ・ヤンソン という人物は知らなかった。

  リバーウオークの北九州美術館分館でムーミンの作者である、トーベ・ヤンソン展が

  行われていると、NHKがニュースで流していた。

  入館料は大人1、000円である。

  私は施設券があるので、無料で入館できるのでラッキーだった。

  ヤンソンという呼称だが、国民として浮かばない・・・ロシア? フィンランド人であった。

  トーベから浮かぶ名前、これがまた男か女か分からない。

  女性だった。

  出口には、お定まりのグッズがいっぱい。

  ファイル好きな私は、足が止まったが、なんせファイルとしては高い。

  はっきり言って、ムーミンは知っているが興味はそそろなかったことも、含んでいるかである。                

 

 


遺品となったパッチワーク作品集 ①

2015-06-07 11:06:12 | 趣味

亡くなって7回忌の終わった次姉は、手先の利いた人であった。

仕事を離れて、手芸(パッチワーク)を始めた。

始めは大抵の人は小物から始めるようで、姉もご多分にもれず小財布からだったようである。

ひょんなことから、大事に治していた作品を手の利いた、S君の奥様に見ていただき、使う方が亡くなった人への供養だと

思った。

                  タペストリーOR センターラグ

 小物の市松のはオープンでアクセサリー入れになる。

 トンボのついたのは外にもポケットがあり、上部はファスナー。

                         どちらも初期作品   

                       

 

                            

              

 

 

 

                                          

         上の作品・・・ K先生がまだ若くて元気だったころ、組紐をされていた。                                                                     

          その組紐を丸いポシエットに付けて貰った。                                  

          今度これ下げて、K先生を訪ねよう。   

         下はテーブルセンターとして作っているようだが、もったいないので

         壁掛けとして使っている。

 

                             重宝して使っている。   

 

                               

                         大作のボストンバック 福岡に行く時は、

                        今度これで行こう!

                                                


13年前のクッキー

2015-06-01 22:00:26 | 生活

糸島からS君夫妻が我が家にやってくるようになった。

同窓会で糸島に行った時、奥さんの手作り作品を見せて頂いた。

タペストリーや袋物、S君が来ている上着も奥さんの作品だった。

我が家に、手芸になる材料が沢山ある・・・・と言う事で、車できていただいた。

お昼のお弁当を持ってきてくださったのに、感動した。

私はちらし寿司を作っていたので物物交換の形となった。

どっちにしろ、複数で喋りながら食べるのは美味しい。

奥さんに、姉が緩和ケア病棟に入っても、パッチワークしていたことを聞いて貰い、

その作品を見て頂こうと思った。

姉が作ったパッチワーク作品を集めていると、ポロっと何か落ちてきた。

クッキーだった。

     賞味期限・・平成14年6月13日

     生産地  糸島市

     品名   アーモンドクッキー

     生産者  志摩学園

     出荷日  4月18日

     JA糸島産直市場  伊都菜彩

 私が現役の頃、職場の後輩に連れて行って貰った雷山千如寺で、

    「我が家を持てますように」と護摩焚き祈願をしていただいた。

念願叶って、そのお礼参りに甥夫婦に連れて行って貰った。

その時有名になっていた道の駅の伊都菜彩に立ち寄ったのである。

姉はまだ元気だった。

その時買ったクッキー。          密封しているので無事なのか。

でもさすが、食べてみようとは思わない。

カラスの勘三郎にお下がりしようか?