みみのアンテナ

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まさか!恩師が・・・

2010-03-22 00:42:37 | Weblog

つい2,3日前のことである。

ふと小学校時代の恩師を思い出した。
私が「介護サービス相談員」として、お年寄りに接する機会があるからであろうが・・・

「K先生どうしていますか?」
と電話で話しをしようとダイヤルした。
先生は不在だった。
80代の独り女性である。

K先生とは丁度1年前に、クラス会でお目にかかった。
あれから、2,3度電話して無事を確認した。
本当はもっと、頻繁に掛けてやったほうがいいと思うが・・・

20:00近くになって再び電話してみた。
やはり、不在であった。
大部足腰も弱っているが、口は職業柄達者であった。

旅行に行くには、もう一人は無理と言われていたので、そのときは
いつでもお伴しますよ、だから声かけて下さい。
こんなやりとりをしたので、旅行するわけはないだろうと思い、
ふと、入院?いやもしかして倒れている?
想像が膨らみ心配になってきた。

わりと近くに住んでいるUさんに電話して、確認に行って貰うことに
した。
ご兄弟は、大阪と大分に居ると言ってたので無理かと思うし・・・
しかし、一度訪問している私はマンションの部屋番号をすっかり忘れていた。
クラス会で、よく世話係になるYさんに問い合わせるが、奥さんがある懇親会で留守だと答える。
京都の友人の携帯に掛けると「住所録みれば?」と言うが、
そんなの探してるヒマはないわ、私より記憶力がいいはずだから電話
したのよ。
その友人は、「あ、分かった●●号室だよ」 

Uさんに連絡を入れると、すぐに行ってくれた。
わずか、10分か15分位でK先生自身から電話があった。
デイケアに行くようになり、この日であったこと。
夕食を、帰りにそのまま食べに行き先ほど帰宅したばかりであること
を話してくれた。もう86歳になったよとも言っておられた。

先生に「今度女性だけで、集まるからね」と言うと
「じゃぁ家に来て頂戴」・・・と言うことで、私は数人しか連絡の取れない
女性達の音頭取りをすることになった。

翌朝、Yさんから「K先生は生きていたかね」と連絡が入った。


確定申告

2010-03-11 22:38:46 | Weblog
いやなシーズンになった。
確定申告をせねばならない。
一昨年、私はしっかり給与の発生する機関で働いたので、昨年の春も確定申告に行った。
義姉から、「正直に全部提出しなくても・・・」と言われていたのが頭にあり、会場まで
持参していた給与の源泉徴収票を、直前に提出しなかった。

担当者は「今年は何もありませんか?公的収入だけ?」
私は「ハイ」とすぐに返事!

税金の戻りがあると計算され、割に早く還付金が振り込まれた。
国民健康保険料も、前年より安く査定されてきた。
・・・・が6月になって、税務課より一通のハガキが来た
私が提出しなかった給与の金額を、全部手書きの数字で記入し
「保険料の訂正・・・」とアップした金額も提示されていた。

国民の義務である納税を、少なくしようとしたって無理であることをしっかり認識した
私は、アップした保険料にアップアップした1年間であった。

で、今年は真面目に昨年3月まで働いた源泉徴収票を取り寄せて、確定申告に望んだ。
書類を一つ忘れていたせいもあったが、追加の納税が発生すると言われた。
えっ!  目が点になった、その金額を聞いて。
何と2万5千円位と言われたのである。

忘れた書類を揃えて出直すと戻った。しばらく足止め状態である。
行けば2万5千円の納税を言われることに、躊躇したからである。
どこか納得しない部分もあったが、渋々ともう一度特設会場に行った。

前回の担当者とは違う。
計算した担当者から「還付金が3000円ほどあります」
またえっ!と耳を疑った。
前回の2万5千円の追加納税の発生と、3千円の還付金とでは、「天国と地獄」ほどの
差があるでないか。

そういえば、納税があると言った担当者は偉く時間ばかりを、気にしていた。
うわの空で、計算したのだろう。
何か一言、言ってやろうと思ったが増税されてはたまらないので、大人しくすることに
した。ところが担当者が、貴女の扶養親族ってお母さんですかね?と聞いたので
姉だと答えた。我が家が昔商家をたたんだ時、母を兄が扶養家族として健康保険に入れた。
次姉は勤め始め自分の社会保険を持っていた。
一度も勤めに出たことない長姉が、保険をどうしようになった。

公務員だった私が、私の保険に入れて貰おう・・・と提案して手続きした。
あの手続きは、簡単でなかった。

・今まではどうしていたか
・なぜ、一番下の妹がお姉さんを保険に入れるか理由と他の兄姉の証明
 を提出するように・・・

単に健康保険に入るだけの問題でなく、それは扶養家族としての事実が発生するとは
想像していなかった。しかも扶養家族としての扶養控除が発生することも、
知らなかった。
しかし、その面倒を押して姉を保険に入れたことで、姉も私も恩恵を被ることが出来て
ラッキーだった。

税務担当者は、姉だと言うともう一度書類をみて、何やら税務必携のようなのを
開き、「尊属をもって~とする」尊属とは配偶者を含む直系の両親か祖父母である。
と私に説明し、姉は扶養控除として減額になると言い計算やり代え、納税義務が
発生した。金額は千円だった。
「今まではこうでしたよ」と言うと「今までが間違っていたんです、お調べしましょうか」
「いやもういいです」要らぬ墓穴は彫るべからずだ。

そうそうに会場を出た。
帰宅して、貰った控えの書類を見ていて、扶養家族の説明欄に同居の家族の説明があり
尊属家族は老親と記してあったので、今度は税務署の方に説明を求めた。

会場の説明が合っていると言う。
それよりも、腹が立ってきた。
生活は安易でない。補充するために働くとどうして容赦なく、また課金をするのか
貴男に言っても仕方ないが、これは愚痴である。
こんな人間がいっぱいいるのを、税務関係の人達も認識して欲しいと電話で言ってしまった。

ある番組で民主党の三悪を「ゼネコン・マザコン・日教組」と言っていたのに、少し
溜飲が下がったが、
また
川柳では「鶴は千年・亀は万年・鳩天然・・・」と詠んだ人に、賞をやろうと言う
番組もあり、これも溜飲が下がった。

だが、自民党もいかさない党だ。
公明党もまたひっつきぼだ。

日本の為に、国益と国民を守る政治家なんて今やいないのである。
また話しがそれた。

3月の新月

2010-03-01 23:27:00 | Weblog

お月さんがきれいだ。

今日1日は満月なのである。
では、新月はいつになるか?

3月の新月は、16日の火曜日。
時間を知って、えー そんな~

何と06:02分からで8時間の間なら14:02まで。
朝早く仕事に出かける人は、そんなヒマがないわー

職場の休み時間にこっそり書いて置くしかない。

私は、この新月の願いを書いたとき、私の魂をしっかり受け止めて
もらうために、住所や名前も書くことにした。

お月さんも沢山の人の願いごとを受け止めるのに、間違えないように
して欲しいし、私の魂を印象づけたいから・・・

切手を貼って、届くものならそうしたいわー

新月の願いを書くときは否定形は使ってはいけない。
例えば、「~が~にならないように」というのは、前の文を肯定してしまうそうである。
「病気にならないように・・・」は病気を肯定することになるそうである。

始めに聞いた時は、願い事はつい否定形が浮かび言葉選びに困った。

   3月16日(火)朝6時2分から新月が始まる
   8時間以内に、自分で書くのが鉄則
   まえもって書くのはブーである。
   考えておくのは、悪くないようである。

新月・・・絶対叶えてほしいのは、毎月書くことにした。 



ふくおかきずなフェスティバル2009

2010-03-01 22:03:26 | Weblog

2月の最終の日曜日の28日、春日市のクローバープラザでボランティア支援の
フェスティバルが開催された。

私は、ライターとして一日取材に出かけた。
土日の新幹線料金は3,000円であるので、この1,000円も安くなるサービスを
使わないのはもったいない。

何より私自身が楽である。
原則として、ライターとして用をなす地域福祉財団からは、最低の料金で旅費
が支給される。
よほどの理由がなければ、日頃より高くなる旅費は払って貰えない。
ボランティアを支える財団の方針のようだ。

まあ、半分公的機関のような組織なので、それが普通であろう。
だが、このイベントではいくらお弁当が出ようが、一日潰すのだから
往復の新幹線代位はねぇーと思う。

担当のOさんに、土日の新幹線料金の価格を告げいつもの旅費より540円の
足が出ることを伝え、領収を添付することになった。

久し振りの新幹線だった。
現役の頃は、博多を往復するのに新幹線か特急しか乗車しなかったが、
あの15年間そうした料金の差額を貯金に廻していれば
どうだったかと、反省を込めて思い出している。

話しがそれた。
フェスティバルは開会式典に、麻生県知事が出席された。
この式典終了少し前に、ライターが各自係分担の会場に散らばった。

講演が2本同時にあり、私は「こどものやってみたいをひきだす運動遊び」
のカメラ係になった。
会場は子供より、大人の参加者の方が多かった。
少子高齢化か・・・・しかし、会場の盛り上がりは凄いの一言!

講師の人を惹きつける、話術は見事!

昼食が終わって、障害児(者)の自立支援施設授産品フェアに、
移動していると、以前職場が一緒であったA先生とY先生とに出会う。

偶然の出会いに驚く。
二人とも、地域の障害福祉に関わっているとのこと。
私の「報道」の腕章をみて、それぞれにびっくりしていたが「さすが~らしい」
と言ってくれた。Y先生は転勤で、2年目を迎えていた。

午後は分科会へ取材。
「高齢者福祉・いきいきサロン」が私の担当した分科会である。
少子高齢化をここでも認識することとなった。
老人が老人を支える時代になりつつある現状をかいま見たのである。

現役の頃、教育センターで受けた講座で「日本人は居なくなる。少子高齢化
がこのまま続けば・・・」
と聞いたのを、ふと思い出した。

子供手当を出したからって、少子高齢化が止まるわけないだろうに・・・・
政権交代だって・・・早く政権後退してくれ!

ボランティアのイベントから、とんでもない所に矛先が行ってしまったが、日頃からくすぶった不満があるからである。