もう一週間になる。
6月の始め、Yさんより連絡が入った。
「若鮎のせごしを食べに行こうと思うけど、アンタ食べられる?」
「うん、聞いたことあるけど、食べてみたいね」
「分かった、何人か集まってね」
Yさんは男性である。
私のことを、●●ちゃんと名前で呼ぶ。
誘いが掛かったとき、すぐに姉のことが浮かんだ。
姉の食事をどうする? その時の体調が悪かったら?
まず姉に聞くことにした。
Yさんからの連絡の件で、鮎のせごしのことを話し、出かけてもいい?
「私の夕飯はどうするの?」
やはり、そう反応するだろうと思った。
この話をするとき、すでに対策をめぐらしていた。
姉の入浴を昼間に済ませる(私が介護者なので)
夕飯は、市場で幕の内弁当を買ってくる。
お茶はペットボトル茶でこらえて貰おう、夕食後の薬と
保冷容器に冷たい水を準備しておく。
それを全部、ベット回りに置き姉が動かなくてもいいようにしておく。
以前ペットボトルの水を用意していたが、ぬるくなって飲む気がしないと、
言う。
それで、保冷容器を使うことを考えついた。
自分が楽をしようと思うと、考えは及ぶものである。
だから、今度も出かけて行くために我ながら頭が働いた。
自我自賛
“せごし”を食べに行った日は10日。
5人集まっていた。
と言うよりもY,さんが5人しか声を掛けてなかったのである。
男性4人・女性は私一人
男性のうち2人はお正月に会っていたので、半年ぶりの挨拶を交わす。
一人はSさんと言って、時々のメル友。
そしてYさんである。
5人は同級生!
義姉は、女一人で出席できるね、と言うがなんのことはない、
洟垂れ小僧だったころを、お互いよく知っている小学生時代の
クラスメートなのである。
しかも6年間クラス替えもなく、ず~っと一緒だった。
変わったのは担任が3人代わったくらいである。
半世紀以上経っていて、性別は乗り越えている。
しかし、話しは新鮮!
面白いことに誕生月を言いあうと・・・・ダハッ!
なんと私が一番てっぺんだった。
私達の学年はなぜか、一度もクラス替えなんて無かったので、
それが当たり前と思っていた。
聞くところによると、実験だったそうである。
クラスをずっと替えないでいる学年と2年ごとに替える学年と、
どのようになるか?
教師の間では、何かデーターが出ているのかも知れないが・・・
社会人になり、現役を去り、世の中の酔も甘いも身を持って体験し、
艱難辛苦を乗り越えてきた年齢になり、わきまえている人生になった。
5人の話題は、単純に思い出話・同級生達たちの行方・健康・
きわめつけは「年金はいくら?」
Yさんが、全員分ご馳走すると言っていたが、それはいかんと、
結局男性の、鮎コースのみ支払うようにして、私にはご馳走してくれた。
みんなの酒代はYさんが持ち、挙げ句各自におみやげもつけてくれた。
良く気のつく人である。
メールで楽しい集いでした、またやりましょう・・・と送受信あり。