みみのアンテナ

得た情報を発信・また受信したい

キター! いや来るか・・・

2009-12-27 14:17:24 | Weblog
ついに今年もそこまで来た。
また来年一つ年を重ね・・・

今年良いこと有った?
自問自答してみる

私の懐も、随分寒風が吹いたが、気持ちの上では地域との繋がり、はたまた
簡単に思いつかない、格別なボランティアを見つけた。

精神的には、充実していた。

なのに、また別なボランティアをネットで探している自分がいる。
ある日病院のボランティアを見つけ・・・これは交通費が出る、好きな時間で
活動する、来院した患者を案内したり、入院患者の移動や散歩、はたまた
話し相手等である。

できる内容なので、姉に相談。
「辞めて、いろいろな病気貰うかも知れないから」
と即反対。
大阪の友達と、電話でお喋りしたときに、この件を話すとやはり反対した。
「元気を取られるから、しない方がいい」と言うことだった。

ふ~んそんな受け取り方があるんだ。

地域福祉財団のライターメンバーのSさんが、ボランティアに関する取材・
及び参加すると、「世の中からボランティアが無くなると、何もできない」
という、話しが有った・・・・と聞いた。

本当やね。
市政便りでも何でもみていると、ボランティア募集がやたら目につく。

昨年は、認知証サポーターの登録をして、介護サービス相談員として
活動してきたが、今年になってキャラバンメイト養成研修を受けないかと、
社会福祉協議会より案内があった。

いったい、どんなことするのか?
分からないなりに受講することにした。

早い話が認知証サポーターを広める人として、活動しないかという内容の講座
で、認知証についておさらい的な、しかしそうだったのかと、改めて認識した
の次第の内容だった。

80歳過ぎると4人に一人は認知証になること。
糖尿病の人はそのリスクが高くなること。
家族に認知証がいると留意した方が良いこと。

物忘れがひどくなると、年齢的なのか認知証なのか見極める為の診断を早く
受けるのが良いこと。
良い薬があり、進行を食い止めるか緩やかになるそうである。

「物忘れ外来」という診療科がある。

「キャラバンメイト養成研修修了証」なるものが、送られてきた。

  “あなたは、厚生労働省が推進する認知証サポーター100万人
   キャラバン事業「キャラバン・メイト養成研修」を修了したことを
   証します”

という、メイト番号もあった。

何を具体的にするのか、受講で聞いて「やはり辞めよう」と思った。
公民館や企業に出向き、認知証サポーターになって欲しいと依頼の講義を
するのだが、全部立案・計画を自分で行いしかも、書類作成報告する。
無償で・・・無償なのに報告がいる。

その時、具体的に登録するようになっていたので素知らぬふりで、帰宅した。
時が経って、こんなのが来たのである。  

猫の病と年賀状

2009-12-21 15:05:30 | Weblog

猫のハナは病院通いをしている。

胸水が貯まり、息づかいが荒い。
獣医さんは「溺れている状態です」と云う。

たまらん・・・・
たまらん・・・・

ハナ苦しいね!
胸の水を抜いて貰った。
すると獣医さんは2日に一度位抜いたほうがいいです、という。
そうしてやりたいが、レントゲン・水抜き・血液検査etc,・・・
その都度万札が飛んで行く。

獣医さんに、現役世代ではないので、無理だと申し出る。
胸水を取るのに、利尿剤を投与しましょうという。
それは粉薬で、水に解いてスポイドで飲ませるのだが、まず1週間
行ってみた。
胸水は、ウンと減っていた。困ったことにそれをすると腎臓が悪くなる
とのこと。
それを軽減するために、皮下補液なる点滴をしてやるのである。
タクシーに乗って、往復するのにも金額がかさばる。

獣医さんは、この皮下補益を「ご自宅でしませんか?」
そのようにやっている飼い主さんは、結構いますがとのこと。
「注射を私がするのですか?」
「そうです」「こわいですよ」「ここで、何度か練習するのですよ」
「え!」ギョッとしていると、それも駄目なら、もうハナちゃんを
あきらめて下さい、という。

冷たい、やっぱり商売や!
始めに「飼い主さんはどうされたいのですか?」
これが、命取りの病なら苦しまずに逝かせたいと思ったので、
そのように、伝えると「安楽死ですか?」
考えもしなかったことだ。

自分で食事をし、トイレに行っているのに、どうして安楽死をさせるか。
それで一大決心!
皮下補液の練習に通い、遂に私が行うことにした。

時々失敗!注射液は噴水のように飛び出るわ、うっかり自分の指にささり
血が出るわ、150CCの薬液を注入するのに、ハナがさっと逃げて100CC
で終わったり・・・と

こんなわけで、大騒ぎだ。今年はハナは命はつなげるのか?
猫たって、家族だ。
私は猫が死んだら、喪中ハガキを出さないまでも、年賀ハガキを
書く気にならないかも知れない。

それで、例年ならまだモタモタして大晦日まで年賀状を書ききれず、
忙しいと言うよりも、明日に伸ばしているだけであるが・・・
今年は予定数を、毎年のように手書きをして、投函した。
猫にはまっていると、他人様は笑うだけであろうから、急いで書いたのである



もしかして・・・工作員?

2009-12-17 22:53:40 | Weblog

急に寒くなった。
いやこれが普通の12月、今までが異常気温なのだ。
早、12月も半ば・・・街はクリスマスと正月用品で溢れている。
それにしても寒~

ブログのページを久しぶりに開くと、何と一月以上経っていた。
沢山のブログネタがあったのに・・・

生命保険加入するのに、腹が立ったのにやはり加入を試みた保険の会社の
話し・・・年収を聞く保険会社は始めて!・・・絶対に言わん。

今印象に残っているのは、北九州では「人権週間」の記念イベントで、
拉致被害者家族の、蓮池透さんの、記念講演を聞きに行ったことである。

拉致被害者の蓮池さんのお兄さんである。
弟の薫さん一家が日本に戻ってきて、誰よりも待ち続けたお母さんが
「どうやって、生活したらいいのか」と、ノイローゼ気味になった話しには
いろいろな人がいることに、同じ日本人としてやるせないと思った。

笑っていると「自分の所だけ帰ってきたので、そんなに嬉しいか」
と言われ、愛想のない顔(普通の顔)していると、
「帰ってきたのに、嬉しないのか」
わざわざ、封書で来るときもあった。
普通の生活をしているのに・・・と。

北朝鮮が5人(地村さん夫婦と曽我ひとみさん)に対して、
「日本に里帰りして、墓参りして来い」とは表面上で、密命を帯びていた
そうである。
  ● 日本の騒ぎを沈めて来る
  ● 北朝鮮を褒める
  ● 一番ネックの横田さん夫婦を、平壌に呼んで黙らせる。
が、主な任務だったそうである。

飛行場に降り立った5人が、誰も涙は見せなかったのは、あの国では
まだ、過去を引きずっていると思っていて、警戒を解かないらしい。

薫さんは船に乗せられた時、目隠しされた下の方から、かすかに新潟の
柏崎の町の光が遠くなるのを見たそうである。
3年間は救助を待ったが、それを過ぎてあきらめ、この国で生きて行く為に
監視員がどうしたら喜ぶか、考えて過ごすようになったそうである。
まさか、日本に戻ってこれるとは思わなかった、とも言ったそうで、
あの時は、北はもちろん、日本政府もマスコミも2週間したら、北朝鮮に
戻ると思っていた。

それを、阻止したのはお兄さんの透さんだそうである。
タラップを降りた瞬間、「戻してなるものか」と思い、そのためには
何でもしようと思ったと語られていた。

お兄さんの透さんは、拉致被害者とその家族の為に、
全国を講演しているらしいが、始めの頃講演が終わって会場を出てくると、
4~5人の男に囲まれ「イロイロ言われると自分たちが困る」と、脅された
らしい。多分在日の人ではないだろうかと思う・・・とも。

私はこの講演を知ったとき、早く行かねば座席確保が出来ないのでは?と
思ったので、開場時間を聞いて出かけた。
開場時間を10分過ぎて到着したが、どうにか確保できた。

想像どおり、すぐに満席で立ち見も出て、通路の階段にも座っていた。
ふと私の隣に座っていた、背広の中年男性が自分の黒い鞄の上で、
大学ノートに、蓮池さんの話しを、かなりのピッチで書き留めて
いるのに気づいた。

私は気づかないふりをしながら、様子をチラチラみていた。
マスコミの人も来ていて、カメラが回っていたが、書き留めるくらいなら
録音取ればいいではないの、いらぬおせっかいかも知れないが。

で、蓮池さんの囲まれた話しで、思ったのである。
「この人工作員では?」
席を立つとき観察すると、鞄の留め金・・・ちょっと普通でないよ。
外に出たとき、男性が持っている鞄の留め金を見るが、
まず何の飾りも模様もないものであった。

その人のは、丁度テレビや写真でお目にかかる、旧日本海軍の旗に
朝日が半分昇っているいる模様、別には菊の花を真半分にカットした
(皇室の菊の御紋章に似た)模様が、留め金についていた。

特殊だったので、目についたのだが・・・・
もしかして、工作員ではないか?
蓮池さんの講演内容と、観客の反応等を本国に報告?

想像たくましい私であった。