みみのアンテナ

得た情報を発信・また受信したい

そうだ、ポテトサラダ

2017-03-30 15:10:59 | 食材

テレビのCMで、お魚ソーセージ、ポテトサラダに合うんですよ。

というのを見て、久しぶりにポテトサラダを作ろうと思った。

お魚ソーセージを購入。このソーセージを購入するにあたり、

中学生時代を思い出した。

中学生になってお昼、給食からお弁当になり嬉しかった。

クラスにK野君という人がいた。

彼の弁当のおかずは、毎日お魚ソーセージだった。

半分に切ったソーセージを更に縦半分の大きさに切っていて、それがドバッと

おかずとして入っていた。あとは別なものがちょろちょろ。

私は席が近かったので、思わず聞いてみた。 美味しい? 飽きない?

K野君は「うまいぜ」「ソーセージは俺の希望」と答えた。

実に美味しそう。  私は母にお魚ソーセージを入れて欲しい。小さく切らずに。

後は卵焼き。・・・・と所望した。

あくる日から、私の弁当のおかずはお魚ソーセージと、卵焼き。

美味しかった! あまりにも毎日なので、母はおかず代えようか?という。

今のままでいい。   母は私の弁当作りは、何も考えなくていいので楽だ、と言っていた。

そのうち、ソーセージの味が変わり、美味しくないと思うようになりこのおかずは、我が家から

姿を消した。 どうしてまずくなったのか、猫も食べない。

匂いが鼻につく。それが最近メーカーは、昔の味に戻したようなことを言っていた。

そしてCM。  そうだ、ポテトサラダを作ろう。

お魚ソーセージを購入、野菜の基本的なのが切れている。じゃが芋・玉ねぎ・人参を購入して

葉物を購入。

じゃが芋の保存袋があるので、それに移そうと思った。

                    

  開けてみてギョッとした。

 すっかり忘れていた、じゃが芋が化けていた。

         

 可哀そうに身を削って、生きようとしたのであろう。

 ゴミで出すには、気が引けた。

 土に返した。

     ポテトサラダには、お魚ソーセージを薄切りにして入れ、残っていたハムも切って入れた。

    たっぷり作ったので、お隣さんにもおすそ分けした。

    美味しくて満足したポテトサラダだった。


独居生活でなすべきこと

2017-03-28 23:35:24 | 日常

友人・知人で一人生活が増えて来た。

子供はいても、家を離れて生活していると一人生活である。

大阪の友人は娘さんと生活しているが、食事の準備に協力するくらいと、

孫の守にほんの少し時間を割くと言っていた。

いつ電話しても、自分にあてがわれた部屋にいるようである。

その友人と久しぶりに長電話した。

     

    〇 どこに行くときも携帯は所持・・・・トイレも

    〇 夜は枕元に置く(毎晩そうしているが)

    〇 水分摂取に水筒かペットボトルを、手の届くところに置く(それも行っている)

    〇 仮に救急車に来て貰っても、緊急のために連絡先を、(外から来た人にはわからないように)

      救急隊の人が気づく場所に貼っておく。

友人のアドバイスである。

全くそれが正しいが、まだ書いていない。

今度かかりつけでお願いしたF先生が、私に、ご兄弟は?

       皆死に絶えました。女・女・男・男 全員肺がんです。

       母は胃がんでした。(先生は、私のカルテにメモをしていた)

       私も肺がんかと思っていますが、他の兄弟と違う病を患っています。

       ご主人やお子さんは?

       私未婚のまま、齢取りました。

       珍しいケースですね。もしYさんに何かあったら、どこに連絡すればいいのでしょうかね。

       義姉・甥の嫁・従妹です

       今度その連絡先を渡しておこう。         


記憶を記録に

2017-03-24 10:16:37 | 医療・治療

どうしようかと思いながら、時間が流れた。

だが、自分の記憶の新しいうちにやはり、書いておくことにした。

 

3月14日・・・

        記念病院退院後、初の通院の日である。

        きついのは、昨日も今日も同じである。

        受付して、きついので横にならして欲しいと申し出る。

        看護師が出てきて、車椅子を持ってきた。

        ベットが空いていないのです。他の階でもいいですか?

        どこでもいいです。

        割と早く呼ばれた。 「きつい入院させてください」

        そんな理由では入院は無理だ。 

        もう粉砕治療しましょう、そのときステントも外しましょう。

        粉砕治療するにあたり、私は血液サラサラの薬を服用しているので、

        循環器の診察を受けることになった。

        胸のレントゲン・心電図・心臓のエコー

        心臓の異常はないので、薬は一時休薬することのなり、

        4月の6日粉砕治療を受けることになった。

        昔は保険診療は効かず、今は保険治療が受けられる。

        ありがたいことである。

        この日熱が37度6分あった。看護師は知っているので当然先生も

        知っているはずである。

        何も薬の処方はなかった。

        面白いことに、泌尿科では尿の色を飲み物で表している。

                   ・ 普通尿

                   ・ トマトジュース色

                   ・ ワイン色

                   ・ コーヒー色

        トマトジュース色には参ったね・・・・あれはオレンジ色でないか!

        なので、聞かれたとき自分の目でみた色で答える。

        「鮮血ですよ」 いつも自分の尿を見ているが、コーヒーは毎日美味しく飲んでいる。

        コーヒー色は体内に早く蓄積された尿で、赤いほど新しいそうである。

3月15日・・・

       今度かかりつけ医でお願いした、F先生の所に行きとてもきついと訴えた。

       検温37度6分、炎症反応が高い。インフルエンザの検査もされた。

       点滴を受けた。だがその間に再び検温38度になっていた。

       翌日もくるように。

       自宅に戻って、血尿が止まっていた。

       気分もいい。     F先生は私の神様やと思った。

3月16日・・・

       F先生の所に受診、熱は36度台に下がっていた。

       これは薬で抑えているのです。

       無理はしないように、これで血尿が完全に納まったわけでないので。

3月17日・・・

       お昼から、介護相談員として通所施設の運営委員会に出席する予定だった。

       気分はいい。 裏庭に出ると水仙が沢山花を咲かせていた。

       仏様に貰おう。  その周りにペンぺン草が生えていたので、しゃがみこんで

       草取りをした。

       さあ、お昼ご飯にしよう。 運営委員会に着ていく洋服も選んでいた。

       トイレに行った・・・・また血尿や。

       それからが大変なことになった。

       血尿でもなんでも、処理してしまえば次までその回は終りや。

       ところが、止まらなくなった。血尿でなく出血や。

       いそいで、携帯を取りに出て、またトイレに戻る。

       F先生に電話すると、記念病院に入院していたから、そちらに相談してみてください。

       運営委員会どころではない、欠席の連絡をいれる。

       記念病院の泌尿科に電話すると、先生とはお話しできず女性ばかり3人変わった。

       自分の今を説明すると、その返答 「どうして欲しいのですか」

       「受診したいのですか?」

       正直、ムッとして、カチンときた。

       「私がどうしたらいいか、相談しているんですよ」

       「受診してください」

       はじめから、そう言えばいいのよ!

       心臓で入院したとき、Uさんが大きな尿取りパッドを2~3個持ってきてくれた。

       Uさんは変形性膝関節症で、人口関節にしたとき、動けないとき役に立つのよ。

       息子の嫁が持ってきてくれたのよ。

       私は心臓のとき、普通にお手洗いに行っていたので、使わなかった。

       それを、思い出して、タクシーで記念病院に向かった。

       13:00代には到着したのに、先生の診断の時は17:00を過ぎていた。

       私がじっと立っていると、座って!

       膀胱が痛いので座れない、出血が続いている。というと。

       すぐにレントゲンを撮りに行かされ、その結果ステントがずれて、膀胱壁を傷つけていることが、

       判明した。

       もちろんすぐに処置してもらったが、先生は初めてのケースだと言っていた。

       草取りで1H以上もしゃがんでいたからだと、思いついたのはその日の夜だった。

       なので、先生には伝えていない。

3月18日・・・

       F先生から朝一番に電話が入ったので、事の顛末を説明した。

       感激した。

       そして、しゃがんだ姿勢が1H以上もあったことも話した。

その後22日に薬の処方に,受診したときもう一度お話しすると、

記念病院の先生には、草取りの話されましたか? いいえ。

  (その機会がないので仕方ない、電話することでもない、粉砕のとき受診してその時でいいでないかと

   思っている)

  (若しかして記念病院の先生は、自分が失敗したと思っているかも) 

この受診のとき、15日の血液検査の結果を貰ったが、貧血検査の値

びっくりした。 鉄分 基準値52~119 なのに私はただの 9しかない。

やれやれ・・・きついはずである。

   


確定申告

2017-03-18 23:30:36 | 義務

退院後・・・・整形外科受診・美容院・かかりつけのO先生は2月28日で閉院されて、

3院の名前を提供していた中から、一番近いF先生を選んで受診した。

その前に、むかしからこの地域に住んでいる知り合いの人に評判を聞き、選んだのである。

O先生の所からもらっていた薬をもらうために、私の今までの病歴がいるであろうから、結構な時間を

さいた。そして施設訪問。

第2週目はこのようなことで、過ぎた。

そして、気にはなっていた市県民税の申告。

なにも書きたくなかったので、必要書類を揃えて役所に出向いた。

退院したが、とてもきつい。血尿はもう2か月、続いているので多分貧血状態なので

あろう!

書類を持って順番が来ると、入院していたので何も書いていない、お願いします。

役所の人は快く引き受けてくれた。

私の係になった人は、はがきを見ていて、「確定申告した方がいいですよ」

確定申告は、記念病院の向かい側にあるエイムビルである。

それに行くなら、明日は退院して初めての受診なのでついでに帰りに行こうか。

きついので折角役所に来たので、もうここでいいです。

役所の人は「何か手続きをしていないのでしょうね、これだけ、ひかれています」

どうやら、二桁に近い数字らしい。

「エイムビルの方が、還付金早いかも」

この言葉に、耳がダンボになった。だがきつい。

いろいろ考えて、タクシーを飛ばして行った。

なんとまあ、この人の多さ。   15日までなので老若男女、真面目で正直な国民がこれだけいる。

15:00までが受付なので、滑り込みセーフだった。

昨年水道管が破裂して、雑損控除になると言われた領収書をしっかり持って行った。

それが1枚あるだけで、Aコーナーに行くようにと言われたり、いやBコーナーに行くようにと

言われたり、分からないとその都度聞いていた。

パソコンで入力するコーナーに連れて行かれ、自分でできます?

今までは行っていました・・・と言い、入院していて体がきついのでお願いします。

入力してもらうコーナーは相当並ぶ。 椅子が空くと急いで座った。

過去使っていたIDが生きていて、処理が早く終わった。

役所の人が言ったように、二桁に近い還付金が提示された。

しかし、税金はその人の収入は、100円も洩らさない。

昨年役所に行ったとき、有償のボランティアライターのときの400円を、「これ落ちていますね」

400円だよ、たったの。そんな役所が脱税を見落としてしまうのが不思議や。

会場で従妹に会い、帰りは家まで送ってもらうことができた。18:30分位になった。

新しくかかりつけ医にお願いした、F先生の所に行く時間は取れなかった。

 

          本日のブログをアップしようと、昨夜画面開いていると

        〝マルマル・・・を構築する必要があります、すぐに

         再起動してください”

    そして、勝手にパソコンは電源を切らないで下さい、構築中と表示された。

    一晩中、画面の下方でうずうずが渦巻いている。

    夕方やっと復旧した。

    2日がかりのブログだった。

 

 


記念病院入院始末記・・・etc,⑤

2017-03-16 22:03:37 | 医療・治療

記念病院では入院生活する人には、院内キャッシュレスカードなるものを勧めている。

1枚1000円~1万円である。そのカードには補償金として500円が付くので、

1000円の購入しても、実質500円しか使えないようになっている。

退院する人が、持ち帰るひとがいるのであろう。

個室のひとも、相部屋の人もテレビは平等にそのカードを差し込まねば、見られない。

相部屋の人は、冷蔵庫もカードになる。

BSテレビで、岩合光昭さんの「猫の街歩き」・・・タイトルが正しいかどうか分からないが、それだけは見た。

               ローマの猫だったか!

             

  退屈然り!

  あちこちに電話したり、メールしたり、ラインを送った。

  そして、何も考えずにパッとものを見て、とんでもないものに見えて一人で笑う。

  同室の人が怪訝に思うかも、なので声出しては笑わない。

       例えば献立メニュー

            「白身魚のアクアパッツア」

                 

             「白身魚のクソババア」 に読めた。

      閑にあかせて、院内キャッシュレスカードをもってコンビニに行く。

      このとき廊下においている、ガンのパンフレットを取ってくる。

      肺がん・膀胱がん

             なんでそのように見えたのか

           「薬物療法」→ 「毒物療法」

   もう退院したい。

   日ごろからなにもせずにゆっくりしたい。と時々思っていた。

   こんな形でゆっくりするなら、御免! 

  3月6日退院の許可が下りた。

 

  etc,

    少し話が遡る。2月の21日。

    携帯に門司の局番で電話がかかる。

    知らない女の人からで、私の名前を言った。

    自己紹介をしたその人は、母の弟が婿養子に行った先の義理の妹であった。

    婿に行ったが子供はいなくて、その妻も先だち叔父は一人暮らしをしていた。

    正直お金持ちで、「1千万2千万持っていて、お金持っているとは言ってはおかしい」

    一人1200万円までの貯金には、税金が付かないと決まったとき、叔父は養子先の義理の母も入れて

    3人で住んでいて、3人で3600万円・・・それでもお金が余ると言っていた。

    その叔父の死亡連絡!養子に行っても実子がいなければ、血筋の甥・姪に財産分与があると誰かが

    いう。叔父の兄弟である(伯父・叔父・叔母・母)は皆死んでいる。

    その叔父は2度養子に行っている・

    この婿養子の前、我が家の養子になっていて、学費やなんやお金持ちだった祖父母が

    支払っていたと聞いたことがある。

    私は仕事の関係で、22日は福岡に行くこの日がお通夜・23日がお葬式と連絡だった。

    93歳で旅経った叔父から、昨年突然電話があった。

    義理の叔母に電話して、死に目が近いのでないか行って見よう。

    有料老人ホームに入っていた。

    ちゃんと私を認識していた。

    あとで、義理の妹と話したが、どうも妄想していたのでないか、

    貴女のこと(私)たいそうお金持ちと結婚して到津の方に住んでいると言っていた・・・そうである。

    それで連絡が付かないので、下関の従弟に電話して教えて貰ったそうである。

    私は24日にお参りした。

    この義理の妹が独り者の時に見たことがあるだけで、以来初めてである。

    おつつみを持って行き、回忌を貰ってびっくりした。

    叔父は養子先の妹の娘を養女にしていた。

    お金持ちはず~っとお金持ちなんやね。  

    1円のお金も血のつながった姪にはやる気はないんだね。

    まぁ、これで縁切りや。

    

      


記念病院入院始末記・・・・etc,④

2017-03-11 21:46:07 | 医療・治療

本日は入院生活より、紫川歌声喫茶の日だった11日(土)のことを、先に

書いてしまおうと思って・・・・

門司のTYさんとは、12:00から東北名物芋煮が始まるので、その時間に

合わせて落ち合うことになった。

金額は決まってなくて、寄付金を箱に入れるようになっている。

きりたんぽ鍋もあった。

だが、それだけでは足りないので、お結びを作っていた。

芋煮汁をおかずにお結びを食べた。

TYさんは半年前に買った、福岡シンフォニーホールの音楽会とぶつかったので、

16:00位に退席した。

12:00から座っていたが、実際に始まったのは14:00からである。

唄った歌の曲は16曲、プラス急な童謡メドレー、20曲くらい歌っただろうか!

アンパンマンマーチの歌を歌うというので、練習にいったときから、メロデイは聞いたことはあるが、

歌えない。

それが、進行の時点で、このアンパンマンマーチは震災の時、ラジオによるリクエストでアンパンマーチ

が一番多かったそうで、これを聞いた子供たちが元気になり、それをみた親たちも元気になったという、

エピソードを聞いた。

なら、知っている所だけでも歌おう。

結局17:00に終わり、長丁場の座位で腰が痛くなった。

 

さて入院生活

私の病名は急性腎盂炎。

腎臓にステントの挿入があった。尿の通り道を作るためだそうである。

点滴は朝夕の2回。

トイレには尿量を測る大きな軽量カップ、上の引き出しから綺麗なのを取り出し、

計測容器に移すと、下の引き出しに入れる。

 先生は案の定、腎臓から出血していると言われた。石は沢山ある。

 多分石が擦りあっているのであろうと、想像した。

 だが、相変わらず血尿である。

 貧血でも起こしそう。

 退院は3月6日だったが、先生には会えないまま退院した。

 自分の病気はインターネットで調べる。

        腎臓・ステント と検索すると

        初めての情報を得た。 

           ステントを留置している方は・・・

           血尿がある、他にも記載があったが、この副作用は

           患者に提供すべきである。

           頻繁な受診の必要がある・・・・14日が診察日なので

           説明が足りないのではないかと、言おう。

 不満ばかりでは仕方がない、2日目以降も気分は全く悪くない。点滴が済むと閑である。病室からはもちろん

 外の見えるデイルームが病棟の両端にあるので、廊下のお散歩に出る。

 どこに行くのですか? お散歩とデイルームを指さす。

 まだ稼働していない、ミクニワールドサッカースタジアムが見える。

      

  左側がそうである。

 食事はかなり気を使ったメニューである。

 温めたのが冷めないように、温蔵できるワゴンで運んでくる。

 3月3日は雛あられが付き、メッセージカードが付いていた。

        

 隣に心臓病棟が見える。一昨年はそちらだった。

 見える景色は同じなので、病棟は洞海湾側ということが分かった。

    

              題して 暮れなずむ湾 写真の右方向が門司方面。

     眠れぬ夜は、この景色を眺めた。右中ほどの白い船は、小倉↔松山間のフェリーであるが、入院期間中

     出航は見なかった。

     いろいろ書くと、「女城主 直虎」を見る時間がなくなる。

 

 

 


記念病院入院始末記・・・etc,③

2017-03-10 21:16:20 | 医療・治療

28日(火)

前日の救急の時に10:45分までに受診するように、言われていた。

記念病院に着いたのは、10:30分だった。

受付すると、すぐに検尿・レントゲン、この結果が出るのに時間がかかるのは、分かっていた。

外出したいと申し出る。   どこに?

役所に届けたいものがあるので、タクシーで往復するというと、携帯聞かれて了承した。

  

      役所に届けたものは、

         (仮称)北九州市高齢者支援と介護の質の向上推進会議(市民構成員)

             市民構成員は2名程度

          応募用紙を取りに行ったとき、【課題論文のテーマ】があるのが分かり、

                            1600字の論文提出だった。

          締め切りの28日までに直接持参するか郵送のこと。だったので

          郵送は間に合わない.持参しようと計画していた。

          区役所でなく本庁まで行かねばならない。

          写真がいるので、役所でスピード写真を撮ろうと思い、その写真を貼り付ける

          ための糊と、はさみを持参した。無事提出できた。

          結果はどうなるか分からない、なんせ北九州中からの応募があるだろうから。

          昼になったので、本庁の食堂で軽食して病院に戻った。

 

  看護師さんから、食事してきたのですか?と聞かれた。

  もしかして、私は呼ばれていたのかも知れない。

  まもなく呼ばれて、先生から 

  「入院やね」 すぐに反応しなかった。

  「猫がおるんやったね、入院しないのなら、1日2回通院してくるね」

  従妹のことを思いだしたが、急に言われても動けないだろうと思った。

  まず鍵を、預けねばならない。

  2回も通院はしません。 そういうと「死んでもいいなら好きなようにし」

  う~む。  多分この先生のやり方なんだろうとか、猫の餌やりに外出させてもらうか、とか

  頭のなかで思考がめまぐるしくよぎった。

  「入院しますけど、何も準備はしてきていないので、帰らせてください」

  14:30分だったが、病室に先に案内され窓際か廊下側かと聞かれ、

  即窓際と答えた。ベットを確保して、入院承諾書にサインやら、別に2枚ほどプリントに対して、

  読まずにサインした。帰ってくるのは16:00にしていた。

  このような手続きしたので、14:50分に病院を出た。

  家に帰り着き、洗濯もの取り込み・ぬか床の手入れ・生ごみを外のごみ箱へ・3匹の猫餌・入院の準備

  16:00を少し過ぎた。病院から電話が入る。16:30分でないと無理です。

  16:30分にやっと戻った。慌てて帰ったので、外出許可書をテーブルに忘れて戻った。

  誰かに持ってきてもらえませんか?看護師はそういうが、無理です。

  すぐに病院着に着かえた。

  

  もう遅くなった、明日は紫川大合唱に参加するつもりなので、ここまで。   

 


記念病院入院始末記・・・・etc, ②

2017-03-09 22:24:09 | 医療・治療

2月20日(月)午前中歯科大の予約が入っていた。

歯周ポケットに一か所汚れがある、前回これをほおっておくと歯周病になると

言われていた。

食後すぐ歯磨きに努め、歯間ブラシも使い歯科大に行ったのである。

治療前と治療後に血圧検査をする。

治療前の血圧は上が120ほど、こんなに下がって測定されたのは初めてである。

大体歯科大で測定したときは、高くて130である。

なので歯科大で測定するのは好きである。ところが終わったとき測定したら、160あった。

私の歯磨きに関する取り組み・・・自分でしっかりケアができてますね。

これを繰り返しているうちに、歯茎も閉まって、歯肉が上がってきますと言われた。

次回は3ヶ月先か半年先に受診をと言われた。

 

昼近くになっていた。昼食を取り夕食の準備も済んでいた。

テレビを見ていた、19:30分~20:00の間だった。

何だか瞼が熱っぽい。検温して(@_@) なんと39度もあった。

若しかして腎盂炎か? この時、記念病院の救急にかかってみようと思った。

私が、2月の初めころ泌尿科に電話して、これだけ血尿が毎日で大丈夫でしょうか?

2月の10日に臨時に診察を受けた結果、「分かりました」と別な検査をすることになった。

半年に一度ct撮影があって、結果は陰性・・・いわゆるガンの検査である。

これは大丈夫心配無用だった。

腎臓から出血する場合があるということ・・・・そうであろう。

特定検診の結果毎年腎臓内科に受診してくださいと、検査結果が届いている。

私の腎臓には、無数の結石があるのは、知っている。

40年前、結石が流れず、左の腎臓は水腎症を併発している。早く取り出さないと腎臓透析するようになると、

言われて、私は切腹した。左の横腹には18cmの傷跡がある。

どうも体質であろうとのこと。 

従妹に電話すると1時間後くらいだったら、我が家に来れるというが、1時間は待てない。

義姉に電話すると、足の痛みで今日は動けない御免・・・義姉は変形性膝関節症で、最近はだいぶ蟹股状態

になっている。私は何度か手術を勧めたが・・・

甥の嫁に電話して「今時間取れる?」 

「今子供を連れて、病院に来ている」 何だタクシーで行くか。

いくら救急と言っても、いきなり飛び込んでも診てはくれない・

記念病院の診察券を持っていること、循環器と泌尿科に定期的に掛かっていることを伝えると、

okになった。

到着すると、家族の人か付き添いの人は?と聞かれた。

一人で来ました。   (少子高齢化が進むなか、未婚男女も増加しているので、将来的に

            こんな患者は増えるであろう)

レントゲンと尿検査され、インフルエンザの検査もされた。

結果、腎臓から結石が下りその石が尿管でとどまり、尿が流れず腎臓が腫れている。

今日は本当に救急措置です、明日必ず受診してください。と予約表をくれた。

抗生物質と点滴1っ本受けて、帰宅したが、このときは従妹が迎えに来てくれた。

40年前と同じ展開になるいやな予感!

結石の話すると、大方の人は痛かったでしょう?と言ってくれるが、痛くも痒くもない。

いきなり熱である。

 

      etc,

       2月の第2の土曜日、退職職員主催の落語があった。

       いつも世話になる従妹の分含めて、2枚切符を注文していた。

       昨年と同じく、教員が本職の落語家で、半プロである。

       あちこち行っているので、上達はしている。

       一人は最初の赴任地が川崎小学校だったので、川崎亭好調という。

       3人来ていた。それぞれに面白かったが、紙切りの上手な人がいて

       この紙切りで、始めに切って見せると、ワーとどよめく。

       去年の流れを覚えていたので、心の準備していた・

       「これ欲しい人!」 従妹と二人ですかさず「ハイ!」

       以下の作品がそれである。

 

           

          写真に撮るとき、被写体だけみていたので、近くに置いていた、洗濯用のパラソルハンガー

          のたたんだのが、映ってしまった。

          従妹はこの逆バージョンのを貰っている。

          2~3人希望する人に、何がいいかと尋ねる。

          男性が「トランプさん」というと「切ったことがない」というので爆笑!

          そういいながら切り始める。

          はさみと紙を動かしながら、 トランプ!というので笑いが起きる。

          そして出来上がり、お見事!  どこからみてもトランプさんだった。

          残念ながら、リクエストした人に渡ったので、写真はなし。

          ちなみに、このアマ・プロは特別支援学校の教員である。

 


入院始末記・・・・etc,

2017-03-08 21:21:28 | 医療・治療

  記念病院に2回目の入院をした。

      1回目は一昨年の12月だった

      そして、2回目が今回

 

  

   入院をする前、ブログアップしようと撮っている写真がある。

   順序としてはそれが先だが、同時進行で投稿しようと思う

 

  今日から? 

                                             手作りのティッシュケース

               同級生のY君が自宅近くのお寿司屋さんに連れて行って

               くれたとき、その店の奥さんが作ったもの。

               このお寿司屋さんはやはり同級生の妹さん御夫婦である。

              

 

                                               

 

        年齢関係なくこのようなのいただくと、少女時代のようにウキウキする。

                

             

  

             同じく戴いたもの、根付にしようかストラップでも?

   

    本日はここまで。