みみのアンテナ

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咳喘息・・・そして

2014-08-29 23:28:19 | 医療・治療

 

   咳が止まらない、以前の残っていた薬袋に「咳がひどい時に飲む」と、メモ書きしている袋を

取り出し飲み始めた。

いくらか治まってきたが夜になると咳で目覚め、枕元に置いている水分を採る、そばで寝ている猫たちも

その都度私を観察する。

この咳き込んでいるとき、介護の研修会があるのに咳止めを持参した方が良いと判断して、

途中デパートで即効性のあるコデインの入っているアネトンという咳止めを買い、

まずそれを昼間に飲んだ。

翌日は咳止めが無くなったのでと、貰いに行き毎食後に飲むように処方された。

昼間はそれを飲み就寝前は市販のアネトンを飲んで寝たが、夜はやはり目覚める。

あくる日朝・昼病院の薬・・・アストフィリン配合錠を飲み、夕食後はアネトン、

そして就寝前にアストフィリンを飲んだ。この薬の方がよく効く。

夜半、動悸がするのに目覚めた。

枕元に血圧計を置いていたので測定すると、脈拍は130位あった。

血圧は上が100以下、自分で腕の脈をとってみるが、脈が取れない。

眠れなくなった。もしかして不整脈か!

自分で救急車呼んでみようか? このままだったら、元気に帰宅するのに

パジャマのままだったらまずいね。

せめて、パジャマはこんな華やかなのは着替えよう・・・・・頭はそのように回転する。

だが、起き上がれないトイレには必死で行く。

這って下着を取り出す。ぶっ倒れそうになりそう。

動悸がやたらにする。救急車呼んでも玄関まで行けそうにない。

鍵も2重にしているので、救急の人は入って来れない。

携帯は枕元に置いているのでこれは大丈夫。

バックにはいつも保険証を入れているので、これも大丈夫や。

少し外が薄明りになった。それでも5時前。

猫が私が目覚めていて、這ってでも起きているのが分かっているのかやたらに甘えてひもじがる。

また猫のエサ入れまで這って行き、エサを与える。

とにかく動くのがしんどい、じっと布団に横になっていれば楽である。

時々血圧計で測るが、一度測定できたが何も表示されない。

電池が無くなったのか。

やがて朝の8時になった。多分義姉は今「花子とアン」を見ているだろう。

終わったころあいを見て、電話すると1時間ほどしてパンと血圧計を持って来てくれた。

義姉の血圧計も測定できない。しかし義姉は出てくる前には、自分のは測定できたと言っていた。

病院に行くようになったが、かかりつけのO先生に報告、病院に電話して貰った。

それでも少し待った。病院の血圧計は私の脈拍143だった。

咳止めの薬を、咄嗟に持って行っていたので、見せるとすぐに

アストフイリンは不整脈を誘因すると言った。O先生から私の症状を咳喘息と報告していたようである。

すぐに心電図・血液検査・胸部レントゲン・点滴・心臓エコーと検査があり、

2回目の不整脈のときに世話になった、女医さんが担当した。

「お久しぶりです」 1年弱前に掛かった時、処方された薬は副作用で血尿が出たので、病院に連絡すると

中止になったのである。

それを、私が拒否したと思い込んでいたようである。

「えぇ、またYさん?」正直自分の言うとおりにしない患者なので診たくないと思ったと、私に面と向かって言った。

私はそんなこと言われても、何とも思わなかった。

多分この人はいい人なんだ。

DR, は吸入式の薬をだしてくれるようになった。

咳止めの薬は新薬で、レルベアという。

一日一回スッと吸えばいいのである。

これにも、効能書きには心臓に負担をかけるので、過度に使用しないようにと記している。

吸わずにほっておくとまた咳が出始める。

調剤薬局に電話して納得した。飲み薬は肝臓に行くがこの薬は喉で止まる。

なので嗽をして歯磨きをするんです。

咳が出ていてもいなくても、一日に一回吸っているとだんだん出なくなります。

分かりました~!

 

 


モニターとボランティア

2014-08-26 20:13:00 | ボランティア

 

 お盆が終わって、二つの新しいことに参加するようになった。

7月の前半だったろうか、福岡の職場で新聞を読んでいて

「メディペチャ、第12期医療モニター募集」という記事を目にした。

主催は福岡県医師会

年に3回・・・謝礼があるとのこと。

応募する人は、医療及び医師会に関する感想や意見を200字程度で書き

住所・氏名・年齢・職業・電話番号添えて、郵便かFAXかメールで送るようにと

概要が添えられていた。

作文は私の得意とするところや、「必要以上の薬を出しすぎる医者が多々いる、

医療費の値上げを患者ばかりに求めるのでなく、医者側も考慮すべきである」

こんな内容で、メールを送った。

1ヶ月位経って、案内がきた。ご応募ありがとうございました。

本年度モニター選考会の結果1年間モニターとしておねがいすることになりました。

××・・・・・etc・・・

当日持参するもの。筆記用具・印鑑

日時と場所のプリントが同封されていた。

すでに参加したが、福岡県医師会長や北九州医師会長が出席していた。

県内3ヶ所で、このメディペチャは開催されるそうである。

1回目は、出席者に好き勝手に喋らせ、2回目からその中から柱になるものを、取り上げ

進行するとのこと。

面白いことに、医師会ってどんなところだと思われますか?

司会者から、一人ひとり聞かれた。

私の横にいた女性が、10年前も一度参加したことあると答え、医師会って一つの政治団体と思っていますと。

私・・・教育委員会みたいなところでしょうか?

毎回2時間の設定である。3回目の最後は2時間後に茶話会を1Hほど行うと・・・板書していた。

ある女性「日曜日とか開けている開業医がいるようですが、そのような情報が欲しいですね」

私「そのような開業医は、医師会に入ってないんですよ、聞いた話ですが」

最後に医師会長が挨拶!

私も発言したかったのですが、喋るなと言われていたので、次回はお話しさせていただきます。

終わったとき、私のテーブルに小さいテープコーダーがあった。

多分出席していない医師たちが聞くのであろう。

何だか面白い世界を覗かしてもらうと期待乞う!

 

モニターより1日早く、高齢者見守りサポーターの開講式に出席した。

これは有償のボランティアである。

家で介護をしている家人が買い物行ったり、ちょっと留守をするとき、安心して出かけるために、

その高齢者の相手をするのである。

介護保険を使えない部分を、ボランティアさんにお願いしたい。

交通費実費支給・見守りの値、1時間半500円、2時間で1千円・・・なんやこの数字、いやからくりやね。

身体介護および食事介護はしなくて良いとのこと。

わずかばかりでも、謝礼があるので簡単な報告書があるようである。

姉が家で寝ていたとき、確かに困った時があった。

ケアマネージャーが、炊事に入りましょうか?と言ったので、私が炊事するからと断る。

お掃除は?私がするからと断る。

全然知らない人が、我が家に入り込んで台所に立たれるのは、どうも気に入らない。

私が火を扱っているときに、姉が私を呼ぶのに困った。

ケアマネさんに話し相手の人なら来て欲しいが・・・と言うと、介護保険にそんなのないと言われた。

多分そのようなことだろう。

以前見守りサポーターになって欲しいと、社会福祉協議会から言われたことがあったが、姉の発病が分かるか、

その直前だった。

我が家に80代の年寄りがいるので無理だと断ったことがあったが、困る家庭はあるだろうと手をあげた。

これには実技がある。一人社協から着いてくるらしいが、話相手以外どんなことがあるのだろうか?


夏風邪

2014-08-21 20:17:05 | 医療・治療

 四方の窓を開けていると、風の通る家なのでクーラーはあまりつけない。

よほど暑い日はタイマーにしている。

特に用のない日は、デパートに涼みに行く。

ポイントも押して一石二鳥である。

それが盆を迎えた14日、我が家には盆参りに富山県から応援に来る、

若いお坊さんが来ている。

従妹に言わせれば、契約坊主?というので笑ってしまった。

もう我が家には、姉の初盆以外はこの富山県からの若坊さんがきている。

富山県はお坊さんは檀家参りはしない、檀家の人たちがお寺参りにくるそうである。

家はお寺で、お盆は父と兄が待機している。なので応援依頼がくると、必然的に私です。

と説明してくれた。・・・・・そんな答えになるような質問したのは私だが。

14日にお参りさせてもらいます。

甥が帰省してきたので、クーラーを入れることにした。

夕方は甥の一家と私で私の手料理を食べることになったので、クーラーは入れっぱなし。

就寝のとき、クーラーの温度を調節タイマーにした。

15日の朝、目覚めたとき喉がいがらっぽいので、嗽をするがすでに喉が腫れたのか、

思うように嗽水は到達しない。

何か薬はあったはずだと、薬の保管袋を探すと昨年の残りがあったので飲んだ。

薬が残ると、何の症状のときに飲むか薬袋にメモを書き入れて置くので、それが役に立った。

しかし、いくら盆休みといえど、掛かりつけ医は13日~18日までよく休むよ。

18日いつもと体調が違うので、検温すると38°3’あった。

この日は地区のイベントのために、川掃除が計画されている。

行けぬと連絡しようか! いや町内会長に今度会ったときに挨拶しておこう。

ず~っと薬飲んでいるので、口の中が苦い、嫁に頼んで冷たくて少し甘みのある飲み物が

欲しいというと、アイスクリームの「爽」を買ってきてくれた。

飲み物ではなかったが久しぶりに美味しいと思った。

19日月曜日前日から解熱剤を飲んで、平熱まで下げ、マスクをして介護相談員の仕事に出かけた。

咳が段々ひどくなってきた。

咳のひどい時に飲むというメモのある袋の分を飲み始める。

私の咳は一旦つくと、喘息のようになり、治るのに平気で2~3週間はかかる。

そして20日の午前中に、通院する。

「斯く斯く云々」と薬を見せる。   DR,いわく「よくそんな薬があったね」

残りを取っていると説明した。自分が処方したので何も言わなかった。

「風邪薬に特効薬はないのよ、対処療法になるのでその通りに飲んで下さい」

ただ、解熱はやたらにしない方がいい、熱をあげてウイルスを殺すのだから、と言われた。

何にしても、夏風邪は冬よりやっかいである。

                           


ひめゆり部隊の衝撃

2014-08-14 00:49:10 | 戦争と平和

 本日も戦争体験者の忘れられない、衝撃的な話し

 沖縄のひめゆり部隊・・・・・本土で言えば女子学生の部隊、

 挺身隊と言っていたはずだが。

 昔、映画になったひめゆり部隊。

 香川京子と津島恵子をはっきり記憶している。

 それを15歳離れた姉に付き合わされて見に行ったのでよく覚えている。

 ひめゆり部隊の役割をである。

 戦禍がはげしくなり、アメリカの沖縄上陸で撤退や逃亡、防空壕への避難、降伏、

 究極的には自らの命を経つ等、沖縄の悲劇は語るに足りない。

 ひめゆり部隊は女学生ばかりで、傷ついた兵の手当や工場での仕事等をさせられていた。

 ひめゆり部隊も敗退するのに、壕に三々五々と退避した。

 テレビで語っていた女性は、ひめゆり部隊の生き残りの人で、

 どのように逃げ込んだか語っていた。

 同じひめゆりの人と逃げ込んだ壕で、その方は生涯の地獄を見たのである。

 壕は薄暗く、入り口に立った人は見えるが、入り口からは中の人は見にくい。

 逃げ込んだ壕にアメリカ兵が銃を構えて、やってきた。

 壕に向かって、何やら叫んでいるがさっぱり分からない。銃声が聞こえだしたので身をひそめ、

 地面に着くように頭をさげて時の立つのを待った。

 肩を並べるように友人と潜んでいた。

 銃声が止み、どうやらアメリカ兵は去ったようだ。

 頭をあげ、隣の友人に声かけて向くと無かった。 友人の首が・・・・・


馬も戦争に行かされた。

2014-08-12 21:05:11 | 戦争と平和

昨日も書いたが8月になると戦争の話しが沢山出てくる。

戦争を体験した人たちの話で忘れられずにいる内容がある。

戦争の拡大は人間だけでなく、馬の徴用もあり、犬も大型犬は

連れて行かれたそうである。

以下も戦争体験記だが、20年くらい前に、「吠えろアンティス」という本を読んで

深く心に残ったのでちょっと書き留めたい。

チエコスロバキャの軍人の話だが、第二次世界大戦のパイロットとして任務していた。

操縦していた飛行機が不時着して、ヨーロッパのどこの国の村なのか、もう記憶の外だが、

そこがどこなのか、爆撃にあった民家の片隅は少し残っていた。

中に偵察に行き、母犬が死んでいるのを見つける。

パイロットは去ろうとしたその時、母犬の懐でうごめいた子犬がいた。

そのまま立ち去ろうとしたが、しっかり子犬と目があい咄嗟に懐に入れて、

その子犬と一緒に、チエコに帰った。

犬の名前 アンティス 犬種はシェパード。

チエコに戻ったパイロットの筆者は、国が共産圏に変貌を遂げることで、故国と決別

する道を選んだ。戦友と二人、アンティスとで国境越えするのに、友人は犬は邪魔なので

捨てろと言ったが、手放さなかった。

国境では、進んでいたときアンティスが唸り声を小さくあげたので、様子見ていたら

国境には検問の、当時はソビエトと言っていたソ連兵が銃を構えて警らしていたのである。

アンティスに助けられて国境を越えた話し。

以後どこに行くのもアンティスと一緒、むろん自分の操縦する飛行機にも。

何度も死線に遭遇したが、いつもアンティスと一緒だったこと。

忘れえぬ本だが、犬好きの友人に差し上げた。

 

日本の徴用された馬の話しは、テレビで10年位前に放送されたものだが、この時期に

なると思い出す話である。

戦争が終わって生き残った馬たちはそれぞれの飼い主

のもとに戻されることになった。

殆どが農耕馬であったそうである。

日本の真ん中あたりの県の、農家のもう、兵としては召集されなかった年代の馬主が、

役所から連絡受けて駅まで引き取りに行った。

馬の手綱を引いて村に通じる道まで来て、馬が立ち止まったそうである。

分かれ道にきた。当然右か左かに行けば我が家だが、馬主は馬の手綱を放ち馬がどうするか!

数年外にいた我が馬は家を覚えているのか!

馬が歩き出した・・・・・その道の先には我が家がある・・・・覚えていたのだ。

後ろから着いて歩く馬主は、涙が止まらなかったそうである。

その話しに私は、ツーンとしてこみあげるものがあった。 そして忘れられない話となった。

もう一つ忘れることのない話し

別な日に・・・・


テレビ朝日に・・・・<`ヘ´>

2014-08-12 00:04:10 | 戦争と平和

 8月に入ると、途端に戦時中の話しがマスコミを走り出す。

 原子爆弾・戦争体験・敗戦の日

 昨日・・・いやもう 一昨日になったか。

 テレビ朝日で、日本軍が毒ガスを作っていたこと、人体実験にウサギが使われたが、

 731部隊が捕虜とした中国人を人体実験に使ったこと、

 アメリカが日本への本土上陸を九州と考え、その九州に毒ガス弾を投下の予定だったこと、

 進行役の鳥越俊太郎が、「私は浮羽の出身ですが、毒ガス投下予定地

 だったんですね。5歳半でした」

 投下予定地の地図も披露してそう言っていた。

 原爆予定地だった、北九州も毒ガス投下予定地だった。 

 戦争終結になり東京裁判となったとき、

 日本もアメリカもその毒ガスのことを、秘密にしたこと・・・・を特番にしていた。

 正直腹が立った。

 テレビ朝日に。

 大体この朝日(アサヒ)というところは、日本という自国をどうするというのか?

 どうしたいのか?

 国益という言葉・・・こんなこと報道すれば国益になるのか?

 喜んでその情報を得たどこかの国が(我が領土とわめいている)、

 日本に毒ガス撒いたらどうするのか?

 相手にヒントを与えているようなものでないか!

 社員の中に、どこかの国に親戚でもいるんでないか?

 大体昔から、イデオロギー的には合わないと感じていた。

 なので新聞記事・・・おもしろくない。

 職場で西日本新聞を読む機会があるが、地域に密着した内容で興味をそそる。

 明治の軍人、乃木将軍は

 「新聞には嘘がある、なので子供には読ませるな!」 と言っていた由。

 大人になって、真実を見極める能力が備わって読むということなのだろう。

 新聞・・・我が家は朝日だが、契約後の4日後にクーリングオフして、

 更に月が替わっても新聞が入っているので、2日目に間違ってるのでないかと、

 連絡入れたのだが、それでも入っている。

 私はもう知りませ~ん。

 平和国家日本が理想的だが、日本を我が領土にしたいどこかの国から、

 身を守るために、集団的自衛権が生まれたのだと思う。

 平和な日本が続いているなかで、生涯を閉じたいものである。

 

 


佐世保事件に思う

2014-08-06 23:36:20 | ニュース

 

 心に闇を抱えた人は一杯いると思うが、その闇にどのようにして明かりを

点けているのだろう。

暗闇のままか!

自分で蝋燭を灯すか!

明るいLEDに変えるか!

闇のなかでうごめき、悶え、形を変えて大なり小なりその闇と戦っている。

人生を歩んでいく中で、闇に迷い込んだらどうにか這い出していく。

それが、まっとうに生きている良識ある大人なのだ。

人間は生まれた環境や育生過程で、その人格は形成される。

殆どが幼児期に備わってしまう。 だから 「三つ子の魂」という。

今時の若い人では、この「三つ子の魂」の意味を知らない人は増えているかもしれない。

あの佐世保の事件の高校では、すぐに保護者会が行われたが(それは当然)

参加した保護者の中から、「学校教育をしっかりするように」と意見が出たようである。

この意見を出した保護者に言いたい・・・・アホか!

子どもの教育の基礎は家庭にある・・・・家庭教育なのよ・・・と。

よく、学校にいちゃもんを付ける保護者がいるようだが・・・・

このような親元で育った子どもは大層優等生に違いないだろう。

一度対面してみたいものである。

たった一人か二人の子どもの家庭教育をできない親ほど、学校にクレームを付けるのが目立つ。

また注文や要求が多いようである。

学校の教員はスーパーマンではない。

一クラスに何十人も生徒を抱えて、目が行き届くわけはない。

学校に上がった子どもは三つの目・口・顔を持つようになる。

親・教員・そして友達・・・・・相手が変わると、良いも悪いもうまく対応しているから感心だ。

今度の事件のような場合、親の成育歴も遡って調査が必要となるだろう。

そうでないと、あの少女の心の闇は覗けない。