17日の土曜日、Uさんと西日本総合展示場で行われている、西部ガスのガスフェアに行った。
ラーメンが粗品だった。
コウケンテツの料理・・・・本人も来場・・・・グリルチキンの親子丼をライブで流しながら説明しながら、仕上げていく。
5人の人が抽選で食べられる・・・・私はハズレ!
午後すぐには、テレビの科学番組で米村伝次郎さんは有名になったが、いまでは、ヨネムラデンジロウ・プロダクションである。
上から3っつ目の細いライトを、実験でできた空気の輪が
通過中である。
ランチは会場内で、小倉ステーションホテルのシエフ達のワンコインで食べられるメニューがあった。
スパゲッティを注文した。
寿司おけ見たいな、盥のような大きな器は火に掛かっている。
チーズでできているそうである。
18日~20日にかけて、国勢調査は 最終章である。
調査員が関わるのがである。
ネットでで回答しなかった人は、郵便で回答。それもしていない人がいるのである。
19日~20日は仕事で福岡に行くので、私は18日(日)に、一日で片づけようと思った。
10時ごろ出かけ、帰宅したのは19:00過ぎていた。
疲れていたので、往復タクシーで調査地域に出向いた。
昼も夜も外食した。
夜出るときのボディガードに、同級生のk君に頼んでいた。
だがその必要はなかった。日曜日の昼間に用事がある程度済ませた。
書いていない世帯で、聞き取り調査をしたり一緒に書いた世帯もあった。
私が取りに来ると思っていたと提出した人もいた。
あれだけ説明したでないか!
該当するヶ所を鉛筆で塗りつぶして、この封筒に入れて(封をして)
切手を貼らずにポストに入れて下さい。・・・・・・・・と
本当に疲れた、心底。
19日・・・・福岡泊まり・
20日・・・朝・・・血尿
仕事時間が終わって、大丸に寄り買い物をした。
そして高速バスへ・・・・・30分位して右のわき腹が痛くなった、差し込むような・・・・
両方の腎臓に結石があることは、承知していた。
多分これは石が動いたのであろう。
40年前、左のわき腹に差し込むような痛みあり、汗も出て下痢はないが、やたらに排便に通った記憶がある。
水分を沢山摂るように言われ、ビールがいいよと内科医に言われて、このころビールを飲むようになった。
帰宅して、泌尿科クリニックの休み時間が終わった時間、タクシー飛ばして受診した。
「 石が動いたようですよ 」というと、dr,はエコーを撮りながら、
「尿管に出てきてとどまっている・血尿はそのせいだね、自分で飛んだり跳ねたりして、水分沢山取って下さい」
大きさは3x5ミリだとのこと。 腎臓が少し腫れていることも聞いた。
私は、腎臓が腫れているとか、 石の大きさを聞いて再び40年前の結石を思い出した。
40年前は手術した。
結石が見つかって2ケ月流れず、姉がお稽古事先に来ている外科のdrに相談すると、2ケ月も流れないなんて危ない。
一度診せに来てはどうですか?
私はそのdrのいる病院へ行った。
検査して、すぐに「小指位の太さの尿管が親指位になっていて水腎症を併発している。
早く切った方がいい、そうでないと腎臓が使えなくなり、腎臓透析せねばならなくなる。
怖い話であった。 もちろん外科の先生と泌尿科の先生で執刀したよし。石は小さかった。
3x5よりも小さかったはずなのに。
少し心配になった。 今は衝撃波なるもので粉砕できるはずなので、それをお願いしようと思った。
かかりつけ医はその大きさは流れると言って紹介状は書かないという。
どうしてですか?
40年前私の結石を診断したのは、このかかりつけ医である。
2ヶ月間 「溶かす薬」なるものを処方してくれたが・・・・
こんど泌尿科クリニックでは、溶かす薬は出なかったというと、かかりつけのO先生は
「あんなもの流れるものか」
あの時の話はもう忘れているのであろう。 そのことは何も言わずに、40年前の石は今より小さかったが
流れずに手術したではないですか?
それだけ言うと、ブツブツ言いながら書いてくれた。
続きはまた・・・