ひよこのコマーシャルを、もう一度観た。
もちろんコーマシャルなので、民放番組にチャンネル合わせると何度でも観るのは当然のことかも。
ペットのひよこを、鶏に成長しても抱いて回る光景は面白いが、
その鶏のことで違った記憶が、時々ふと私の脳裏によみがえることがある。
その頃の私は、まだ10歳にはなっていなかったのではなかったか・・・
ある日、家の近所で女の子だけで4~5人で遊んでいた。
その近くの家のおじさん宅には、鶏がいた。
この時代は、卵を食べる為に鶏を飼っている家は結構あったのではないか。
戦後10年は経ってなかった時代である。
ある日、鶏の飼い主のおじさんが、鶏を小脇に抱えて外に出てきた。
そして、首を絞めようとしていた。
その辺の細かい記憶も光景もおぼろげだが、はっきり記憶の底にあるのは、
そのおじさんは、(多分思うように、首を絞められずにいたから?)
まだ生きている鶏の首を、いきなり包丁で切った。
首のない胴体だけの鶏が、遊んでいる私たちの前を走り抜けたのを目撃した。
驚き以外、何もなかった。
私は養鶏場を見るのは好きでない。どのように死にゆくのかと
想像するからである。
私は、アンバランスな人間かも とりのから揚げは好きだから。
もちろんコーマシャルなので、民放番組にチャンネル合わせると何度でも観るのは当然のことかも。
ペットのひよこを、鶏に成長しても抱いて回る光景は面白いが、
その鶏のことで違った記憶が、時々ふと私の脳裏によみがえることがある。
その頃の私は、まだ10歳にはなっていなかったのではなかったか・・・
ある日、家の近所で女の子だけで4~5人で遊んでいた。
その近くの家のおじさん宅には、鶏がいた。
この時代は、卵を食べる為に鶏を飼っている家は結構あったのではないか。
戦後10年は経ってなかった時代である。
ある日、鶏の飼い主のおじさんが、鶏を小脇に抱えて外に出てきた。
そして、首を絞めようとしていた。
その辺の細かい記憶も光景もおぼろげだが、はっきり記憶の底にあるのは、
そのおじさんは、(多分思うように、首を絞められずにいたから?)
まだ生きている鶏の首を、いきなり包丁で切った。
首のない胴体だけの鶏が、遊んでいる私たちの前を走り抜けたのを目撃した。
驚き以外、何もなかった。
私は養鶏場を見るのは好きでない。どのように死にゆくのかと
想像するからである。
私は、アンバランスな人間かも とりのから揚げは好きだから。