姉は3回目の入院となり、10日間で退院することになった。
10日前のことである。
掃除機を掛けている音で消されていたのであろう、姉の声が聞き取れなかったが、
それでも、その合間に何か掃除機に混じって “音”が耳に入ってきた。
「何か言った?」
掃除機を止めて、姉の傍に行き耳を近づけた。
「イキ・・クルシイ」
「え!・・・苦しい?」
「ユウベも・・」
私は眠って覚えない。
以前かかりつけだったDR,は開業医を辞めて勤務医になったので、かかりつけ医と
いうのは、姉には居ない。
そのDR,の追っかけになるには病院を代えねばならない。
今現在掛かっている病院は、そもそも癌専門病院で立ち上がったのだから、
代える必要は見あたらない。
主治医に電話すると、姉と話しができるかと問うが、ベットから移動が難しい状態に
なっていることを報告。
トイレには30分もせずに行きたがる。
昨夜のことを聞かれるが、分からない。
DR, は昨夜のことを全く分からない私より、本人とコンタクト取る方がいいと、
思っているようだったので、携帯から掛けなおして姉と話して貰った。
姉に私と代わるように言ったのであろう。
携帯を黙って戻してきた。
DR,は日頃は介護タクシーで通院していると聞くと、すぐには動けないと
思ったのであろう
「救急車で来るように、分かるようにしている」と促してきた。
救急車を呼ぶのは始めてである。
以前、源義経の話しに出てくる、「そのとき弁慶少しも騒がず(慌てず)・・・」と、
詩吟か浪曲かお謡いに出てくる語りの台詞を聞いたことがあるが、今不思議と
その台詞が浮かぶ。
私も少しも慌てずに119をプッシュすると、
「ハイ119番です。火事ですか?救急ですか?」
「救急です」
「住所は?」 答える。
「どなたがどのようにありますか?お身内の方ですか」
相手も女性の声だった。
聞かれるままにゆっくり答えるが向こうは早口
癌であること。
昨夜よりこのような状態であったらしいが、今も変わらない。
「癌を本人は知っていますか」・・当然
医療センターのDR,から、救急で来るように言われたことを伝える。
「もう出ていますからね」
私は、その時「担架は要りますよ」と言うと、「当然積載している」
それは知っているさー、常識、積んでなくば救急車でないわ。
どなたか救急車に分かるように合図がいると言う。
私しかおらんのよと心のなかで“つぶやく”
外に出て待つ。
やがて、ピーポーピーポーと聞き慣れた音が近づいてきた。
私が両手を振って合図すると、音が止む。
すぐに近所の人が2階から顔を出し、「お姉さん何かあった?」
この方には姉の病名は教えてない。
別な人が偶然戻ってきた。この方には教えている。
「大丈夫ですか?」
家に3人がかりで上がってくる。途中で気づいたが一人は女性だった。
患者には若い女性の場合もいるだろうから、配慮事項として女性隊員も
加わることになったのであろう。
それにしても、体格よくがっちりしている。一緒にやってきた男性と大して変わらない。
ちょうどアルソックのCMに出てくる、柔道の選手みたいだった。
姉はベットにうづくまっていた。
救急隊の人は、姉に大きな声で語りかけながら、脈や血圧を計る。
呼吸マスクをはめた。
門を入って、玄関まで10段ほど石段があるので、担架の足をぐぐっと伸ばした。
ほう~こんなになるのか。
一所に乗り込んだ私は、珍しくてカーテンからチラと見える外の様子も気になった。
外の人や車が救急車に対する動きや反応を見ることに興味が湧いていた。
自分が救急車と外で出会ったときの対応と、同じだった、当然だが。
脱水症状が出ていたそうで、家で水分摂取の様子を聞かれた。
薬を飲むときと、食事の時で・・・本人が所望したときのみ・・・
私が姉にあれをして・これをして・と言われたとき、
「一度に言ってよ」「私が食卓に座る前に言って」
「箸を持つたあとに用事を言いつけんで」
と舌打ちをしたことがあるので、多分気兼ねしたのであろう。
自分で動くと、めまいがする・ふらふらすると訴えるので、
「あとでどうでもあると、ややこしいやろ!自分で動かんでよ」
私が舌打ちすれば、自分で動くようにするだろう。
私もストレス状態になっていた。
主婦業とヘルパーと看護士業務が一度にやってきて、ず~っと仕事していた私は
この1年間毎日格闘していた。・・・・自分の心とである。
姉には習いたいことは沢山ある。
しっかり命長らえて欲しいと思っている。