みみのアンテナ

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イレッサが効かなくなったので・・・

2011-04-25 22:58:47 | Weblog

 

姉の癌発病が分かってもう1年になる。
いや、まだ1年である。

“すーチャンこと田中好子”の20年には負けているが・・・

姉によく効いていた、イレッサが効かなくなり少し癌勢力が増してきたと
主治医は言う。
私がドキッとしたので、姉はもっとドキッとしたのでないか?

「癌も勝とうと戦っているのですよ」主治医である女性DR,曰くである。
「イレッサ以外の抗ガン剤はないのですか?」
姉に代わって、私が質問!

「ありますよ、タルセバという抗ガン剤です。それを使って見ましょう」

薬の説明書きを読む。
イレッサの効く人なら使用できること・・・いわゆる遺伝子検査をしなくてもそのまま
服用可能ということである。

この薬は、医者が従来の抗ガン剤でもってしても、効き目が薄れてきたと思える人に
使う薬であるそうだ。
イレッサなら訴訟問題も起きたので、なじみの名称だが “タルセバ”は初耳。
もちろん、抗ガン剤の名前を素人が市販の風邪薬のように、知るよしもないが、
その必要もない・・・

この薬を始めて服用するために、一ヶ月の入院が必要となった。
薬の副作用がどのようになるか、効果があるかないか注意深く観察が必要だったようだ。

渋い顔して姉は口数も少なくなり、病院の食事は精神的に受け付けなかった。
朝食のパンから、すなわち三食分の食事を私は毎日運んだ。
なので、昼食も夕食も私が病院食を食べる羽目になった。

私自身が病院食を毎回食べはじめると、一週間もすると辟易してくる。
私は、同じ病院の整形外科に入院した経験があるが、その時は私も若く持病がないので食事は健康体のメニューだった。

味も違っていたと記憶しているが、姉の場合年齢と病名で、いかにも病人食という
感じなので、美味しくないのである。

そのうち、昼食時か夕食時しか顔を出さなくした。
私のストレス回避と、姉にも少し我慢して食べて貰おうと思ったからである。

姉の癌は骨にも転移している。
だから痛みがある、これにはオキシコンチンという麻薬系の痛み止めが処方されている。

20日位経って、病院行き時間が遅くなっている私に電話をしてきた。
「先生が代わるみたい、早く来て」「退院してもいいってよ」

私を呼び寄せるために、痛い腰を引きずって電話してきたのであろう。
病室に着いて、先生が私に会いたいと言ったの?
新しい先生はもう来たの?

姉はそれから4日後の3月末で退院した。
従来のF先生は、別な病院へ4月異動となった。
退院前日、私はF先生に面会し姉の症状や今後のことを聞いた。

タルセバは空腹時が効果があり、今はその効果が現れ炎症をくい止めているとのこと。
骨の痛みを軽減する点滴注射の予約を入れておきましょうと、この点滴は2度目で、
次に受けるとしても4週間空けねばならないそうである。

「化学療法室」で点滴を受けている人は、100パーセントがん患者である。
症状やがん部位で薬の量が違うのであろう。
数時間かけて体に入れる人と、姉のように15分で終わる人もいるようだ。

退院して一ヶ月になる姉は、沢山ではないが鼻血が出る、皮膚がカサカサになり
ポロポロと皮膚が剥げ落ちる。
塗り薬を貰っているが、自宅で常備している馬油の方がカサカサが落ちつく。

鼻血は薬局に問い合わせて、タルセバの副作用と判明した。
病院では出なかったようだと、姉の記憶。
吐き気もよくあり、食欲減退・・・これはオキコンチンに伴う症状。
昨年までは、このオキコンチンは5gだったが痛みが増してきたようで10gとなり、今や
20gを一日3回服用している。

おまけに便秘を伴うので、2~3日おきに便秘薬も服用している。
薬剤師は効き目の長い、痛み止めがあるのでこれだったら一日3回も飲まず、しかも
もっと少ない量でいいかもしれないので、先生に相談してみて下さいと助言があった。

交代したDR,にはまだお目にかかっていない。
次の予約日に、ラチがあかないと感じたらセカンドオピニオンを申し出てみようかと
思っている。


私の周辺の震災

2011-04-08 01:27:26 | Weblog

未曾有の大震災!

想定外!  原発事故!

毎日、新聞やテレビで見たり聞いたりする言葉である。

日本のこんな大災害を知らないのは、リビアのカダフィー大佐くらいではなかろうか。
なぜって、自分の身の安全や地位保全にやっきになっているからである。
よその国のことに目を向けるゆとりはないだろう。

九州に住んでいる私に取っても震災は他人事ではない。
関東地域に住んでいる、甥や友人がいるからである。

まず横浜の甥
「お米がないんよ」・・・一瞬呑み込めなかった。
だがすぐに、買い占めの影響が出ていることを知ることになった。

翌朝急いで、デパートの通信販売部門に電話して、お米・レトルトカレー・お湯を注ぐだけの味噌汁・海苔を手配した。

計画停電があるらしいので、合間にお湯を湧かしていれば(保温の効くポットがあるか確認、なければ準備するように・・・と) 味噌汁は簡単に口にできる。
カレーもコトコト時間をかけずに済むし、海苔だったら停電でも口にできると思ったからである。
「早くて1週間位かかります、ガソリンがないので・・・」と言われた。

東京の友人宅に電話した時は、大層びっくりした。
「息子が福島原発に勤務しているの・・・」
ヒェ~そうだったの!
お互いに家庭のことをネホリハホリ聞かない。
自分から言ったときに「ふ~ん」と言うのみ。
彼女もそう。
聞いたことに、上乗せするような質問はしない。
「でどうなったの?」「誰々ってどこ?」「どうなってるの?」
あんた戸籍調べ?って言いたくなるような質問する人には、
辟易する。

病人がいることを知っている友人は「お姉様を大事になさってね」
この一言で充分伝わる。

北海道の釧路に友人がいる。
地震見舞いの電話だと伝え、津波の影響を尋ねた。

釧路もよく地震があっているので、心配だった。
何か要るものがある?
被害はなかったと答えた、しかし「床下浸水だったの、断りもなく入ってきて・・・」
もちろんジョーク言葉だとすぐに理解したので、「まあ、ごめんくださいも言わずに?」
と返答した。

被害を受けた人にはこんなジョークはタブーだが、電話で2人だけの会話である。
「今からお邪魔しますというべきよね」

どこの地域だったか19歳の消防士が2時間ず~っと、
「津波警報が出ています、いそいで高台に避難して下さい」と地域の防災マイクで
放送し続け、津波災害者は一人も出ていないとテレビであった。

町の人の後の声によると「地震があったとき丁度車で帰宅したときだった。少し
慌てていて、家のなかに物を取りに行こうとしたら、この避難の放送でハッと我に
返ったので、車で急いで高台に行った。

姉が再入院したとき、病室でテレビばかりでは目が疲れると言うので、ラジオ
を購入しようと家電店に行くと、売り切れていた。
「こちらで買って、むこうに送っているんです」・・・ということで。

水もスーパーでは品切れで、一人2本までと張り紙していた。

ほんとうにもう、しまっつっか