もう少しナウマンと鴎外の話を続ける。
ナウマンは、日本の開化は「外人の為に逼迫せられて、止むことを得ず、此状を成せるなり」と言った、と鴎外は『独逸日記』に記しているのだが、その講演は実際のところどんなものだたのだろうか。実はそれとほぼ同一の内容を、ナウマンは後日新聞に発表しているようなのだ。鴎外が公開論争を挑んだのは、この記事である。
小堀桂一郎著『若き日の森鴎外』の中に、その全文が紹介されているのだが、ここではその中から該当箇所を引用してみる。原文は旧字体だが、読みやすさを考えて(というか、実はわたしが旧字体をわざわざ探すのが面倒なだけなのだが)ここでは当用漢字を当てる。
ここでナウマンが「内からの開国」「外からの開国」と言っているのは、漱石のいう「外発的」「内発的」とほぼ同様の意味と見てよいだろう。
ただ、ここで「外発的」「内発的」という言葉に、わたしはどうしてもひっかかるのである。
たとえばイギリスの産業革命は、ふつうに考えれば「内発的開化」と言えるだろう。けれども、同時に産業革命当時、ラッダイト運動が起こっている。
ネッド・ラッドというと、ひどく語調がよくて、マザー・グースにでも出てきそうな名前だが、実際はそうではない。世界史が好きな人なら知っているかもしれないが、イギリスの産業革命の時代の労働者で、かの「ラッダイト運動」の名前の由来ともなった人物である。
ところがこの人がほんとうに実在したものかどうか、確かな資料が残っているわけではない。ちょうど日本で江戸時代、佐倉藩の名主、佐倉惣五郎がほんとうに自らと妻子の命をひきかえにして直訴をしたのかどうか、伝承として後世に伝えられてはいても、それを裏付ける資料がないのと同様、このネッド・ラッドが果たしてほんとうに18世紀末、イギリスに実在したかどうかは定かではないらしい。佐倉惣五郎というより、信憑性という意味ではむしろ鼠小僧次郎吉に近い存在なのかもしれない。
ともかく、史実に基づいた正確な話がしたいわけではないので、ネッド・ラッドがいたということにして、話を進める。
ネッド・ラッドは19世紀初頭、イギリスの靴下織り機工場で働いていた、腕のよい織工だった。ところが産業革命の波が彼の工場にも押し寄せて、自動織機が導入されてしまった。機械化が進めば熟練工など必要ない。気の毒にネッドは職場から放り出されてしまった。路頭に迷ったネッドは、同じ憂き目に遭った織工仲間と一緒に、こいつさえなければ、と、憎き機械を片端から破壊して回ったのである。
この暴動はあちこちに飛び火した。そうして1813年にイギリス政府は「首謀者」と目された十七人の男を絞首刑にした。ネッド・ラッドの実在はさておき、彼らの代表者が絞首刑に処せられたのは事実なのである。世界史の教科書にもハンマーを持って機械をたたき壊している男たちの姿を描いた挿絵が載っていたが、まさかそれが、死罪に値する重罪とみなされたとはわたしも最近まで知らなかったのだが、このことが明らかにしているのは、ラッダイト運動が、機械化に取り残された、ごく一部の無知蒙昧の輩の起こした騒動ではなかったということなのだ。
熟練労働者は、機械化を望んでいなかった(事実、彼らの多くは解雇され、新たな労働力として白羽の矢が立ったのは、子供たちだった)。資本家の側が機械化を望んだだけである。そうして彼らの代表である政府は、労働者たちを死刑にしてまで、機械化を推し進めたかったのだ。
果たしてこれが「内発的」と呼べるのだろうか。ひとくくりにできる「イギリス人」など、どこにもいないのではあるまいか。
ナウマンの論文を読んで、奇妙な印象を受けてしまうのは、何よりも彼が「機械化」を「文明」と考え、「文明の進歩」を良いものである、と手放しで褒め称えている点だろう。けれどもそれはナウマンが別に「誤っている」わけではなく(それを言うなら、日本が西洋に後れをとっていることに苦しんでいる鴎外も漱石も同じ「間違い」を犯しているということになる)、それから百年あまりを経たいまのわたしたちがそういう考え方をしない、というだけに過ぎない。
わたしたちは産業化された社会が、手つかずの自然をそのまま残している社会より「優れている」とは考えないし、むしろ技術の進歩に対しては「行き過ぎているのではないか」と懸念を抱いているだろう。環境破壊の視点などは十九世紀にはなかったのだ。
おそらく資本主義の初期の段階での「イギリス人」とは、おそらく蒸気機関を発明し、それを工場に導入し、そこから利益を得ながらさらに工場を拡張し、資本を蓄積する人びとだったのだろう。その意味でネッド・ラッドは「イギリス人」にカウントされていなかったのではあるまいか。
二十一世紀のわたしたちは、さまざまな人びとが社会を構成していることを知っている。それぞれに立場も違えば考え方も異なる、ということも知っている。技術が進んだ地域の人びとが「進んで」いるわけでもなく、軍事大国が「偉い」とも思っていない。
にもかかわらず、「日本人」というくくりを、未だに平気でしているのではないだろうか。「西洋人」という言葉遣いはさすがにしないけれど、「アメリカでは…」「フランス人は…」「ヨーロッパでは…」「それに対して日本/日本人は…」という言い方は、いまなおわたしたちを縛っているのではないか。
「日本はナントカである」
「日本人はカントカである」
鴎外は日本の技術が未熟であり、日本人はさして優秀でも進取の気性に富んでいるわけでもない、と言われて腹を立てた。というのも、彼は名実ともに、「日本人代表」としてその場にいたわけである。
けれども、多くの場合、いまのわたしたちが「日本人代表」として、諸外国の人びとに対して面と向かっているわけではないはずだ。鴎外や漱石のように〈自分は日本人である〉と思うところの〈自分〉を、何とかしてうち立てようと苦闘しているわけではないのだ。にもかかわらず「日本人はナントカである」「日本はカントカである」というのは、どうもちがうような気がする。
少なくとも、わたしは「日本人はナントカである」「日本ではカントカである」という断言だけでもやめようと思っているのである。
ナウマンは、日本の開化は「外人の為に逼迫せられて、止むことを得ず、此状を成せるなり」と言った、と鴎外は『独逸日記』に記しているのだが、その講演は実際のところどんなものだたのだろうか。実はそれとほぼ同一の内容を、ナウマンは後日新聞に発表しているようなのだ。鴎外が公開論争を挑んだのは、この記事である。
小堀桂一郎著『若き日の森鴎外』の中に、その全文が紹介されているのだが、ここではその中から該当箇所を引用してみる。原文は旧字体だが、読みやすさを考えて(というか、実はわたしが旧字体をわざわざ探すのが面倒なだけなのだが)ここでは当用漢字を当てる。
最初の日本発見者が南日本(※鉄砲の種子島伝来のことを指す)に到着して到る所でねんごろな歓迎を受けたときには、火薬のもたらした驚きが有利な口添え役となった。一八五三年にアメリカの公使ペリーが浦賀にやってきて修好通商条約の草案を手交するという事件が起こった。ペリーは一年の間を置いて再び来航し、蒸気と電気とで日本人の気をひいた。電信と鉄道とはメンデス・ピントの火縄銃に劣らぬ効果を発揮した。しかし日本人が新発明の品々の印象に魅了され、内的な要求に迫られてヨーロッパ文明に接近しようとしたのだと判断するならば早合点というものであろう。(…略…)
日本がヨーロッパ文明に帰依したという事象を日本の自主的な発展の成果であると見做すことはできない。外邦からの不断の圧力がなかったとしたら修好通商条約の締結は実現しなかったであろう。通例日本人は自己の不完全性を意識したゆえにヨーロッパ人を優越者と認めてこれに接近しはじめたのだという見解が行われている。そしてこの接近的態度はこの国民の優秀な素質と治世の証拠であると見做されている。だがこのような見解は当を得たものではない。この国は内から開国したのではなく、外からの力で開国させられたのである。日本人は次第に激しくなってくる諸外国の通商交易への要求に屈したまでであり、そしてそれも決して流血沙汰なしに成就し得たわけではないのだ。「帝(みかど)」の政権が回復されたとき、人々は国家組織を新たに編成し直す必要に直面した。このときに当たって西欧の国家の諸制度をそのまま導入模倣するより以上に好都合なことがあったろうか。無批判的模倣という原則は今でもなお一般に通用している。そういうわけでこの国の歴史が進歩発展の途上にあることは否定し難いにせよ、同時に数多くの失敗や新興事業の挫折を記録していることも少しもいぶかるにはあたらないのである。(E.ナウマン『日本列島の地と民』 小堀桂一郎『若き日の森鴎外』からの孫引き)
ここでナウマンが「内からの開国」「外からの開国」と言っているのは、漱石のいう「外発的」「内発的」とほぼ同様の意味と見てよいだろう。
それで現代の日本の開化は前に述べた一般の開化とどこが違うかと云うのが問題です。もし一言にしてこの問題を決しようとするならば私はこう断じたい、西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。ここに内発的と云うのは内から自然に出て発展するという意味でちょうど花が開くようにおのずから蕾(つぼみ)が破れて花弁が外に向うのを云い、また外発的とは外からおっかぶさった他の力でやむをえず一種の形式を取るのを指したつもりなのです。もう一口説明しますと、西洋の開化は行雲流水のごとく自然に働いているが、御維新後外国と交渉をつけた以後の日本の開化は大分勝手が違います。
(夏目漱石「現代日本の開化」)
ただ、ここで「外発的」「内発的」という言葉に、わたしはどうしてもひっかかるのである。
たとえばイギリスの産業革命は、ふつうに考えれば「内発的開化」と言えるだろう。けれども、同時に産業革命当時、ラッダイト運動が起こっている。
ネッド・ラッドというと、ひどく語調がよくて、マザー・グースにでも出てきそうな名前だが、実際はそうではない。世界史が好きな人なら知っているかもしれないが、イギリスの産業革命の時代の労働者で、かの「ラッダイト運動」の名前の由来ともなった人物である。
ところがこの人がほんとうに実在したものかどうか、確かな資料が残っているわけではない。ちょうど日本で江戸時代、佐倉藩の名主、佐倉惣五郎がほんとうに自らと妻子の命をひきかえにして直訴をしたのかどうか、伝承として後世に伝えられてはいても、それを裏付ける資料がないのと同様、このネッド・ラッドが果たしてほんとうに18世紀末、イギリスに実在したかどうかは定かではないらしい。佐倉惣五郎というより、信憑性という意味ではむしろ鼠小僧次郎吉に近い存在なのかもしれない。
ともかく、史実に基づいた正確な話がしたいわけではないので、ネッド・ラッドがいたということにして、話を進める。
ネッド・ラッドは19世紀初頭、イギリスの靴下織り機工場で働いていた、腕のよい織工だった。ところが産業革命の波が彼の工場にも押し寄せて、自動織機が導入されてしまった。機械化が進めば熟練工など必要ない。気の毒にネッドは職場から放り出されてしまった。路頭に迷ったネッドは、同じ憂き目に遭った織工仲間と一緒に、こいつさえなければ、と、憎き機械を片端から破壊して回ったのである。
この暴動はあちこちに飛び火した。そうして1813年にイギリス政府は「首謀者」と目された十七人の男を絞首刑にした。ネッド・ラッドの実在はさておき、彼らの代表者が絞首刑に処せられたのは事実なのである。世界史の教科書にもハンマーを持って機械をたたき壊している男たちの姿を描いた挿絵が載っていたが、まさかそれが、死罪に値する重罪とみなされたとはわたしも最近まで知らなかったのだが、このことが明らかにしているのは、ラッダイト運動が、機械化に取り残された、ごく一部の無知蒙昧の輩の起こした騒動ではなかったということなのだ。
熟練労働者は、機械化を望んでいなかった(事実、彼らの多くは解雇され、新たな労働力として白羽の矢が立ったのは、子供たちだった)。資本家の側が機械化を望んだだけである。そうして彼らの代表である政府は、労働者たちを死刑にしてまで、機械化を推し進めたかったのだ。
果たしてこれが「内発的」と呼べるのだろうか。ひとくくりにできる「イギリス人」など、どこにもいないのではあるまいか。
ナウマンの論文を読んで、奇妙な印象を受けてしまうのは、何よりも彼が「機械化」を「文明」と考え、「文明の進歩」を良いものである、と手放しで褒め称えている点だろう。けれどもそれはナウマンが別に「誤っている」わけではなく(それを言うなら、日本が西洋に後れをとっていることに苦しんでいる鴎外も漱石も同じ「間違い」を犯しているということになる)、それから百年あまりを経たいまのわたしたちがそういう考え方をしない、というだけに過ぎない。
わたしたちは産業化された社会が、手つかずの自然をそのまま残している社会より「優れている」とは考えないし、むしろ技術の進歩に対しては「行き過ぎているのではないか」と懸念を抱いているだろう。環境破壊の視点などは十九世紀にはなかったのだ。
おそらく資本主義の初期の段階での「イギリス人」とは、おそらく蒸気機関を発明し、それを工場に導入し、そこから利益を得ながらさらに工場を拡張し、資本を蓄積する人びとだったのだろう。その意味でネッド・ラッドは「イギリス人」にカウントされていなかったのではあるまいか。
二十一世紀のわたしたちは、さまざまな人びとが社会を構成していることを知っている。それぞれに立場も違えば考え方も異なる、ということも知っている。技術が進んだ地域の人びとが「進んで」いるわけでもなく、軍事大国が「偉い」とも思っていない。
にもかかわらず、「日本人」というくくりを、未だに平気でしているのではないだろうか。「西洋人」という言葉遣いはさすがにしないけれど、「アメリカでは…」「フランス人は…」「ヨーロッパでは…」「それに対して日本/日本人は…」という言い方は、いまなおわたしたちを縛っているのではないか。
「日本はナントカである」
「日本人はカントカである」
鴎外は日本の技術が未熟であり、日本人はさして優秀でも進取の気性に富んでいるわけでもない、と言われて腹を立てた。というのも、彼は名実ともに、「日本人代表」としてその場にいたわけである。
けれども、多くの場合、いまのわたしたちが「日本人代表」として、諸外国の人びとに対して面と向かっているわけではないはずだ。鴎外や漱石のように〈自分は日本人である〉と思うところの〈自分〉を、何とかしてうち立てようと苦闘しているわけではないのだ。にもかかわらず「日本人はナントカである」「日本はカントカである」というのは、どうもちがうような気がする。
少なくとも、わたしは「日本人はナントカである」「日本ではカントカである」という断言だけでもやめようと思っているのである。