陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

カート・ヴォネガット「才能のない子供」最終回

2011-06-09 23:41:14 | 翻訳
最終回




 ちょうどそのとき、使いの生徒が電報を先生に手渡した。ヘルムホルツ先生が封を破ると、そこにはこうあった。

 「どらむウレタ/ダイシャニノッタ ラクダノハクセイハ イカガ」

 錆びたちょうつがいをきしらせながら、木製の扉が開いた。身の引き締まるような秋の突風が、木の葉と一緒にバンドに吹きつけた。プラマーが広い扉の前に、息をあえがせ、汗をしたたらせながら立っている、中秋の名月のようなドラムを体にゆわえつけて!

「今日はチャレンジの日ではないことは知ってます」とプラマーは言った。「でも、今日ばっかりは例外を認めてもらえるんじゃないかと思って」

 威厳とともにプラマーが部屋に入ってきた。巨大な楽器がガラガラと音を立てながら、彼の後からついてくる。

 ヘルムホルツ先生は駆け寄っていった。プラマーの右手を両手でしっかりと握る。「プラマー、我が校のために君が買い取ってくれたのか。すばらしい子だなあ。君が立て替えてくれたぶんは、いくらだったとしても全額わたしが支払うから」と叫び、喜びのあまりに急いでこう付け加えた。「もちろん君にはちょっとしたお礼もさせてもらうよ。でかしたぞ!」

「あのですね」プラマーは言った。「これはぼくが卒業したときに、お譲りしますよ。ぼくの願いはたったひとつ。ぼくがこの学校にいる間は、Aバンドでこれを叩くことです」

「だがな、プラマー。君はドラムのことは何一つ知らんだろう」

「必死で練習します」プラマーはそう言うと、チューバとトロンボーンのあいだの通路を、パーカッションの位置まで後ろ向きにドラムを引っ張っていった。驚いたメンバーたちは、あわてて場所を空けていく。

「おいおい、一息つこうじゃないか」ヘルムホルツ先生は、プラマーが冗談を言いでもしたかのように笑いながら言ったが、もちろんそうではないことは十二分にわきまえていた。「ドラムというのはな、気まぐれに叩いていいってわけにはいかないんだ。ドラマーになろうと思えば何年もかかる」

「なるほど」とプラマーは言った。「じゃ、始めるのは早ければ早いほどぼくも上手になれるんですね」

「わたしが言いたいのはだね、おそらく君がAバンドに加わるまでには、もう少し練習時間が必要だろうってことなんだ」

 後ろに曳いていくプラマーの足が止まった。「どれくらいですか」

「三年の半ばぐらいかなあ。君の態勢が整うまで、君のドラムはブラスバンドに使わせてくれてもいいしね」

 ヘルムホルツ先生の皮膚は、プラマーの冷たい凝視に遭って、ムズムズし始めた。ずいぶんたってから、「地獄が凍りつくまで、ってことですか」とプラマーは言った。

 ヘルムホルツ先生はため息をついた。「そんなところかな」と言って、やれやれ、とばかりに頭を振った。「昨日の午後、わたしが言いたかったのはそういうことなんだよ。何でもかんでもうまくこなせる人間なんて、いないんだ。だれもが自分の限界に向き合わなくてはならなくなる。君はいい子だよ、プラマー君。だが、君には音楽は無理だ。百万年かかってもね。となるとやるべきことはたったひとつ。わたしたちの誰もが、いろんな場面でやらなきゃいけないことだ。にっこり笑ってこう言う。『まあ、よくあることではあるんだが、こいつはオレには向いてないんだな』って」

 涙がみるみるプラマーの目にあふれてきた。のろのろと戸口の方へ歩いていき、ドラムがずるずるとその後をついていく。敷居のところで脚を止め、自分には決して席が用意されないAバンドに向かって、物言いたげなまなざしを投げた。弱々しい笑顔を浮かべ、肩をすくめる。

「二メートル半のドラムを持っている人間もいれば持ってない人間もいる。それが人生ってもんですよね。あなたはいい人だ、ヘルムホルツ先生。だけどあなたにはこのドラム、百万年たっても手に入れることはできませんよ。だってぼくはこいつをぼくの母親にあげて、コーヒーテーブルとして使ってもらうんですから」

「プラマー!」ヘルムホルツ先生は悲鳴を上げた。哀れな声をかきけしながら、小柄な持ち主のあとをついていくかのように大きな太鼓が、校内のコンクリート敷きの私道をごろごろと引きずられていった。

 ヘルムホルツ先生はプラマーを追って走った。プラマーと彼のドラムは交差点で信号待ちのために止まった。先生はそこで追いついて、プラマーの腕をつかまえた。「わたしたちにはそのドラムが必要なんだ」息を切らしながらそう言った。「いくら出せばいい?」

「にっこり笑って」プラマーが言った。「肩をすくめて。ぼくはやりましたよ」プラマーはもう一度やってみせた。「ね? ぼくはAバンドには入れないし、先生はドラムが手に入らない。誰が気にします? これもみな、成長のひとつのステップなんですよね」

「それとこれとは話がちがうんだ!」ヘルムホルツ先生は言った。「まったくちがう!」

「先生の言うとおりですね」プラマーが言った。「ぼくは成長した。だけどあなたはちがう」

 信号が変わって、プラマーはぼうぜんとしているヘルムホルツ先生を交差点に残したまま渡っていった。

 ヘルムホルツ先生はふたたびプラマーの後を追いかけていかなければならない羽目になった。「プラマー」と相手をなだめるような声を出した。「君は絶対にうまくたたけるようにはならないんだがな」

「言いたきゃいつまででもどうぞ」プラマーは言った。

「だが、君のドラムを引いていく姿は見事なものだ」

「どうぞどうぞいつまででも」プラマーは繰り返した。

「いやいや、そんなことを言ってるんじゃないんだ」ヘルムホルツ先生は言った。「全然ちがう。もしブラスバンドにそのドラムが加わったら、それを引っ張る団員は、首席クラリネット奏者と同じくらい、重要で大切なAバンドのメンバーだ。ドラムが倒れでもしたらどうなる?」

「もし倒さずに進ませれば、Aのロゴがもらえるんですか?」プラマーは言った。ヘルムホルツ先生はその問いに答えた。

「そうしちゃいけない理由はないだろう?」




The End



(※後日手を入れてサイトにアップします。お楽しみに)