hiyamizu's blog

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アゴタ・クリストフ『昨日』を読む

2010年09月05日 | 読書2
アゴタ・クリストフ著、堀茂樹訳『昨日』1995年11月、早川書房発行、を読んだ。

私が今まででもっとも衝撃を受けた小説は、アゴタ・クリストフの『悪童日記』(1986年)だ。『ふたりの証拠』(1988年)『第三の嘘』(1991年)と続く三部作に、自分の内に隠れていた別世界を目の前にくっきりと見せつけられたような気がしたものだ。その後、彼女の次作を待ち望んだが、戯曲集『怪物』(1994年)『伝染病』(1995年)はまったく肌に合わず、途中で投げ出した。以来、三部作を大切に心にしまっておくため以後の彼女の作品は読んでいなかった。今回、図書館の棚でアゴタ・クリストフの名を見て、もうそろそろ良いかと、彼女の長編第4作『昨日』を手にとった。

ハンガリー(多分)の村に父の分からない娼婦の子として生まれたトビアスは、小学校教師の娘リーヌがただ一人の友人だった。彼は12歳で事件を起こし、国境を超える。彼は別名を名乗り、寄宿学校を出ると、時計工場で働く。ヨランダという彼女もできるが、空想の女性をリーヌと呼び愛する。そして、夜は亡命先の国の言葉(フランス語)で書く。

全編、空想的で、文章は詩的だ。そして、なによりも、絶望と孤独の背景の中で物語は続く。三部作は終始、傍観者の立場で語られていて、それが逆にすさまじい現実を際立たせていたが、本作品は心理描写もあり、読者は主人公の孤独や諦めの気持ちに多少寄り添うことができる。
以下、ネタバレぎみなので、白文字で書く。読みたい人はカーソルで選択してください。
最後は何事もなかったかのような平和な日常生活の記述と、「私はもはや書いていない。」という言葉で終わる。しかし、それは絶望と孤独が永遠に続き、それでも生き続けていくことを意味しているのだろう。

巻末にアゴタ・クリストフの「母語と敵語」と題する来日記念講演が収録されている。
21歳でフランス語を話しはじめ、30年話し、20年書いていて、いまだに習熟できず、辞書をたびたび参照するという。また、亡命時のなまなましい経験を語っている。亡命先での生活も安全ではあるが孤独だった。亡命者のうち、2名が禁固刑が待つ母国へ帰り、2名が米国、カナダへ、そして4名が自ら命を絶った。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

変わった小説だから、読んで面白いというわけにはいかない。しかし、三部作を読んで感心した人なら興味深く読めるだろうし、多くの人は待ちきれずにもう既に読んでしまったに違いない。



アゴタ・クリストフは、1935年ハンガリー生れ。1956年のハンガリー動乱のときに、夫と生後4ヶ月の乳児を連れて、オーストリア経由で亡命した。以来、スイスのフランス語圏のヌーシャテル市に在住している。
時計工場で働きながらフランス語を習得し、『悪童日記』で衝撃の文壇デビューを果たした。

訳者、堀茂樹は、1952年滋賀県大津市生れ。フランス文学者、翻訳家、慶応義塾大学教授。訳書多数。アゴタ・クリストフのすべての作品の翻訳をしている。


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