hiyamizu's blog

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大島真寿美『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』を読む

2019年11月06日 | 読書2

 

大島真寿美著『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(2019年3月10日文藝春秋発行)を読んだ。

 

「文藝春秋BOOKS」の作品紹介 

第161回直木賞受賞作。
選考委員激賞!
虚構と現実が反転する恐ろしさまで描き切った傑作! ──桐野夏生氏
いくつもの人生が渦を巻き、響き合って、小説宇宙を作り上げている。──髙村薫氏
虚実の渦を作り出した、もう一人の近松がいた──

「妹背山婦女庭訓」や「本朝廿四孝」などを生んだ人形浄瑠璃作者、近松半二の生涯を描いた比類なき名作!

江戸時代、芝居小屋が立ち並ぶ大坂・道頓堀。
大阪の儒学者・穂積以貫の次男として生まれた成章(のちの半二)。
末楽しみな賢い子供だったが、浄瑠璃好きの父に手をひかれて、竹本座に通い出してから、浄瑠璃の魅力に取り付かれる。
父からもらった近松門左衛門の硯に導かれるように物書きの世界に入ったが、弟弟子に先を越され、人形遣いからは何度も書き直しをさせられ、それでも書かずにはおられなかった……。
著者の長年のテーマ「物語はどこから生まれてくるのか」が、義太夫の如き「語り」にのって、見事に結晶した奇蹟の芸術小説。

筆の先から墨がしたたる。
やがて、わしが文字になって溶けていく──

 

 

人形浄瑠璃作者・近松半二の生涯を描く。

穂積成章(後の半二)は父に連れられて幼い頃から大阪の道頓堀で浄瑠璃を見て、浄瑠璃作者への道を進む。

歌舞伎に人気を奪われ、竹本座の危機の中、苦労の末、「妹背山婦女庭訓」を生み出し、大当たりをとる。しかし、浄瑠璃衰退の波は留まることなく、歌舞伎の「伊賀越道中双六」から作った操浄瑠璃「伊賀越乗掛合羽」を拵えなおしたのが、半二の最後の作品になった。それも途中で亡くなっのだが、娘おきみが書き継いでくれた。

  

人形浄瑠璃文楽:古くは操(あやつり)人形、操浄瑠璃と呼ばれ、のち人形浄瑠璃と呼ばれる。竹本義太夫の義太夫節と近松門左衛門の作品により、人形浄瑠璃は大人気を得て全盛期を迎え、竹本座が創設されました。この後豊竹座をはじめいくつかの人形浄瑠璃座が盛衰を繰り返し、幕末、淡路の植村文楽軒が大阪ではじめた一座が最も有力で中心的な存在となり、やがて「文楽」が人形浄瑠璃の代名詞となり今日に至っています。(文楽協会HPより)

当時の浄瑠璃は現在のワイドショーの役目も果たすことがあった。例えば殺人事件、色恋沙汰が起こると、ニュースが広がる前に、すかさず事件をもとにした台本を作り、浄瑠璃が演じられ、話題を、人を集めたという。

  

歌舞伎と浄瑠璃:互いに競い合うが、お互いの台本を書き直して演じ合ったりする。歌舞伎は台本にかかわらず、役者が舞台を自分で作り上げる傾向がある。客も、脚本より、役者の魅力を見に来る。

 

婦女庭訓:親が子に教えるべきことを集めた庭訓。その中でも、おなごに教えることを集めた婦女庭訓。

 

 

半二:穂積成章(なりあき)。近松の半人前と近松半二を名乗る。

以貫:穂積以貫(いかん)。半二の父。妻は絹。儒学者で私塾を開く。浄瑠璃狂い。

文三郎:吉田文三郎。竹本座の人形遣いの名人、親玉。竹田近江から独立を目論む。

出雲:二代目武田出雲。千前軒。竹本座の座本で作者。

近江:武田近江。からくり芝居竹田座の座本で、出雲の後を継ぎ竹本座の座本になる。

並木千柳:並木宗輔。竹本座の浄瑠璃作者。

松洛:竹本座の作者部屋の重鎮。

泉屋正三:並木正三。歌舞伎の狂言作者から浄瑠璃へ。半二より5歳下。芝居茶屋・和泉屋の倅・久太郎。

治蔵:宇蔵の兄。出雲の手伝いから、竹本座を出て並木正三の弟子へ。

宇蔵:治蔵の弟。吉田一門で人形遣いの修業。

獏:半二の弟子

 

初出:「オール読物」2018年1月号~11月号

 

 

大島真寿美(おおしま・ますみ)

1962年、愛知県生まれ。

1992年「春の手品師」で文學界新人賞を受賞しデビュー。

2012年『ピエタ』で第9回本屋大賞第3位。

2014年『あなたの本当の人生は』直木賞候補

その他、『チョコリエッタ』(映画化)、『紅色天気雨』(NHKドラマ化)、『ビターシュガー』(NHKドラマ化)、『戦友の恋』、『ゼラニウムの庭』、『ツタよ、ツタ』、『モモコとうさぎ』など著書多数。

 

 

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

半二の生みの苦労や、吉田文三郎の独立への挫折など苦しい場面も多いのだが、半二がのんきで明るい性格なので、浄瑠璃の知識はなくとも、楽しく読めた。

 

物語を紡ぎだす苦しみ、面白味が全体のテーマで、それはよく書けているのだが、浄瑠璃というものがどうゆうものなのか、何が魅力なのかということはほとんど語られない点が物足りない。

 

 

 

獏の台詞「松洛はん、今年で齢七十七やったか、いや、八やったか。そこまでいかはると、人てのは、ひょいと、なにかを超えていかはるんやろか、風呂上りみたいに、えらいさっぱりしてはんのや。…」(p293)

おおそれながら私、今年、齢七十七になるんですが? どうしましょう!

 

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